10月度第416回例会
講師   平田 玲子
講演記録】 阿弥陀仏像の変遷と浄土教
 仏の姿というものは、その時代の仏教のあり方によって、その表現が変わってくるものである。今回は、我が国において阿弥陀仏が絵画と彫刻の上で、どのように変化していったのかを時代を追って、ながめて見ようと思う。
 阿弥陀仏には、大きく分けて4つのものがあると考えられる。
一つは、古代のもの。
二つ目には、古代の流れを引く浄土変相図系のもの。 
三つ目には、密教系のもの
四つめには、浄土教系のものである。
 飛鳥時代の阿弥陀信仰は、漠然としているが、中宮寺に残る「天寿国繍帳」などがあるところをみると、多少は、それがあったのかもそれない。また、白鳳時代には、入唐帰朝僧である恵陰が『無量寿経』を講説したところから、阿弥陀浄土の存在が知られるところとなったことは、想像に難くない。
 法隆寺にのこる「阿弥陀三尊像」(伝橘夫人念持仏)がその頃の作品である。(図1奈良時代前期の作品で、蓮の花に座し、通仏相で表されている。また、焼失した法隆寺金堂壁画の「阿弥陀浄土図」(図2)もやはり、この時代のものと考えられており、衣を通肩に着け、左右の手を胸前に挙げて転法輪印を結ぶ。この相は、敦煌の阿弥陀浄土図にもみられ、我が国でも奈良時代全期に渡ってみられるところから、当時、阿弥陀信仰が、広く行われていたと考えることができるだろう。
 一方で、当麻曼荼羅と言われる浄土変相図が、八世紀に作られている。
 これは、大陸の影響を強く受けた、もしくは、大陸のものそのものと考えられているが、観経(観無量寿経)を基にした浄土変相図であると考えられている。鎌倉時代初期に、この転写本、模本が作られ、同時代の解釈も加わり、当麻曼荼羅系の浄土変相図が作られたが、他にも大陸から浄土変相図が渡来し、様々な浄土変相図が見られる。(図3
 平安時代には、密教が伝わり、空海の真言宗密教の阿弥陀法による定印の像が行われるようになる。この印相は弥陀定印とよばれ、両手の指を交差させ、ひと指を立てて大指の先に合わせるもので、この定印阿弥陀の形相は、両界曼荼羅の西方に配位する阿弥陀如来に由来する。一方、天台系宗密教では、円仁によって、中国から別の特色を備えた定印阿弥陀像が伝えられている。これは、円仁招来金剛界曼荼羅の尊形が典拠になったもので、宝冠をのせた姿が特徴的である。
 やがて、平安時代後期になると比叡山に恵心僧都源信(942-1072)が現われて、来迎思想を説くにあたり、浄土教の流行、阿弥陀仏に対する信仰が盛んになり、西方極楽浄土の光景を図絵する阿弥陀浄土図の制作が多くなる。
 平等院鳳凰堂は、藤原頼通が作らせたものであるが、極楽往生するために作らせたものであった。当時は、「朝の懺法、夕の念仏」というように、法華経を読んで、現世の罪を懺悔し、阿弥陀の念仏を称えて極楽往生を願うのが、一般的であった。鳳凰堂の本尊の「阿弥陀如来座像」(図4)は定朝作の名品であるが、それまでの一木造りではなく、寄木造りであることもよく知られている。定印で、座像である。この頃の阿弥陀仏は、座像が多い、仏画の上でも、同じ傾向が認められる。
 平等院鳳凰堂は、藤原頼通が作らせたものであるが、極楽往生するために作らせたものであった。当時は、「朝の懺法、夕の念仏」というように、法華経を読んで、現世の罪を懺悔し、阿弥陀の念仏を称えて極楽往生を願うのが、一般的であった。鳳凰堂の本尊の「阿弥陀如来座像」(図4)は定朝作の名品であるが、それまでの一木造りではなく、寄木造りであることもよく知られている。定印で、座像である。この頃の阿弥陀仏は、座像が多い、仏画の上でも、同じ傾向が認められる。
 鳳凰堂の扉絵は、大陸系の浄土変相図が基になっていると思われるが、和様の解釈も認められる。
 源信の説いた来迎思想は、やがて阿弥陀来迎図あるいは阿弥陀聖衆来迎図を出現させる。阿弥陀仏の名号を称え、功徳を積み、極楽浄土に往生したいと欲するものの命終わるときに臨み、阿弥陀仏が、観世音・大勢至菩薩等の聖衆とともに現れて、これを迎接する有様を描くものである。(図5
 来迎相の阿弥陀像への関心が高まり、右手を上げて左手を下げ、それぞれ大指と人指を捻じた、いわゆる来迎印の阿弥陀像も作られるようになる
 浄土教は、鎌倉期に入り、新たな仏教が生まれる中で、徐々にその姿を変え、描かれる阿弥陀仏も、立像が多くなり、来迎図も、様々なバリエーションを展開している。「早来迎」の阿弥陀如来は(図6)、雲に乗り、斜め下に、向かって降下するが、雲や衣がたなびき、いかにも速度が感じられる。また、山の間から姿を現す「山越阿弥陀図」(図7)は、密教的な解釈から生まれたものだという説もある。
 以上、かなり大胆ではあるが、簡単に阿弥陀仏「像」の変遷を見て来た。
 現在、阿弥陀仏は、仏像の中でも最も多く、どれも似たように見えるが、時代や、教義によって少しずつ異なった表現がなされているのである。
(注)浄土教の変遷と阿弥陀仏「像」 挿図 (省略) 
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図1 阿弥陀三尊像(伝橘夫人念持仏)  7〜8C 法隆寺
図2 法隆寺金堂壁画 「阿弥陀浄土図」 7〜8c 法隆寺
図3  阿弥陀浄土変相図 12C後半   和歌山 西禅院
図4 阿弥陀如来座像 定朝作 平等院鳳凰堂  11C中頃
図5 阿弥陀聖衆来迎図 12C後半 和歌山 有志八幡講十八箇院
図6 阿弥陀二十五菩薩来迎図 13C後  京都 知恩院
図7 山越阿弥陀図13C前半京都 禅林寺