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平成十七年六月十一日、一遍会は第四〇〇回例会を迎えた。例会では映画「捨聖一遍上人伝」を上映した。この映画は昭和五十五年長野プロダクション制作の上映時間二時間の大作である。一遍会生みの親の一人である「一遍堂」の故新田兼市氏が蔭のプロデューサーでもあり記念例会に相応しい企画であった。 |
第一回例会は昭和四十五年(一九七〇)一月二十三日に「一遍堂」で開催され、初代会長佐々木安隆氏「証興大師の由来」と旧制松山高校教授北川淳一郎氏「別府の史蹟」の講話があった。出席は僅か九名であった。三十五年前の殆どの会員は物故者となり当時の事情を知る「語り部」は居なくなった。 |
一遍会の基礎を固めたのは時宗教学研究所長であった浅山円祥師が宝厳寺第五十二世として昭和四十七年九月来松以降である。師の講話と謦咳に接した会員の中から坂村真民氏、古川雅山氏、越智通敏氏はじめ多くの一遍研究家が輩出し一遍会の黄金期を迎えることになる。 |
次なる大発展は平成元年〜二年に展開した「一遍生誕七五〇年没後七〇〇年記念事業」である。宝厳寺檀信徒と一遍会会員の強固な連帯で成功裡に終わった。平成二年には「愛媛新聞社賞」を受賞した。事業細部は『今こそ一遍を〜記念事業を終わって』と『一遍の後をたずねて』に収録されている.。 |
一遍会の「高度成長」は一方では財政的な破綻を来たした。多額の予算を計上してきた一遍会の独自行事は宝厳寺ご住職や会員の賛同を得て大幅に削減し身の丈に合った活動に切り替えてきた。NPOや企業の支援、インターネットを軸にしたインターネット会員の誕生により、華やかさはないが会員は往時の一〇〇名規模に戻ってきた。小沼大八現会長の提唱する「哲学と宗教と歴史と文学と・・・宗教文化を探求する文化団体としての一遍会」に一歩づつ近づきつつある。 |
長き過去を知るものこそ遠き未来を語ることができるのであり、一遍会小史の取り纏めは正に「一大事今日只今之事」であり、第一段階として第一回から第四〇〇回までの例会の記録(開催年月日・会場・講師・講演内容ほか)を一覧に纏めることとした。「一遍会報」は昭和五十三年三月の第七十三回例会時に創刊されており、初期の会員である西岡千頭氏、上田雅一氏、浦屋薫氏、渡辺満泰氏を訪ね保存されていた「一遍会報」をお譲り頂いた。お蔭で第二六八回例会が記載されている会報第一九六号を除いて取り揃えることが出来た。今夏愛媛県立図書館に「一遍会報」全巻を納本した。一遍生誕寺である宝厳寺にも来春の一遍生誕会には全巻寄贈する予定である。 |
第七十三回例会以前の資料は残されていない。歴史における落穂拾いに僥倖はない。「念ずれば花開く」ことを信じて汗をかくしか王道はない。今回「アーカイブ一遍会」として進行中の作業の一端を会員各位に報告した。同志を募りこの難事業を遂行することが今日の「一遍会」を我々に残していただいた先人諸先輩への恩義であり、なによりも一遍さんへの感謝の念ではあるまいか。 |
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(注)本資料を「一遍会」の許可なくして文献として引用することを禁じます。 |