1月度第407回例会
講 話    「一遍上人の吟誦詩歌」
講 師 松本 松吉 氏 (一遍会 理事) 並びに 吟道明教館関係者
吟(朗)詠者 
返脚 玉鳳 氏 「十一不二頌」
升田 貴松 氏 「はかなしやしばしかばねの」
武田 峰松 氏 「六十万人頌」
仁尾 錦洲 氏 「おのづから相あふ時も」
松本 松陽 氏 「和賛・百利口語」
桐間 龍芳 氏 伴奏尺八 都山流大師範 
卓 話   渡辺 雄登三 氏 (一遍会 長老)
歌 唱   阿部 春子 氏 (一遍会 会友  「ほのぼのコンサート」主宰者)
詩朗読   森原 直子 氏 (一遍会 会友  「野獣」主宰者)
○会員の神野香澄さん執筆の「岡之坊通信如月号」巻頭に「一遍会のことごと」が掲載されています。抜粋してご紹介します。
「間の抜けた賀状の届く小正月」  いつものように何から筆をおこそうかと何ヶ月もの間頭の入り口に詰まっていた思い、その垣をとっぱらってくださったのは今日一月十四日一遍会一月例会(第四〇七回)の渡邊雄登三先生のお言葉でした。
毎年、年始めのこの会では、最長老の渡邊先生のお話から幕が開きます。「矍鑠」とはまさに先生にぴったり、九十二歳を迎えられた先生のすっと立たれたお姿は会場の眼を一点に集めて離しませんでした。そして話を出された近況報告。一枚のプリントは今から十八年前、七十四歳の時に同学年誌(昭八会でしょうか)に書かれた原稿とか。それを基にしてのお話でした。奥さんとのお見合いの時のエピソード。何気ない一言に会場のみんなが湧き、心が和みます。
ところが四人のお子様のうちご長男が五歳でジフテリアで、ご次男は三歳で自家中毒でともに亡くされ、お二人のお嬢さんは他家に縁づかれ、お二人になったとたんに奥様が病気、入退院のあとのご他界。「偶然に配られた妻(者)」としゃれておっしゃいましたが、かけがいのない配偶者を失われた先生のお心のうち、我々はどうのこうのと言うことなぞできるものではありません。
そんな雄登三先生が、生きている以上しっかりせねばならぬと思って、オトさん(雄登)からゴトさん(五T)へと変わっていったお話でした。(注)五Tは@テニスAタバコB旅C便りD集いです。会員の皆さんには全文を定期便でお送りしましたので省略します。
こうして元気な時にコロッと人に迷惑かけずにあの世にいけたらなあと思う。これが先生のまとめの言葉です。七十四歳の渡邊雄登三先生がそのまま今に続いていらっしゃいました。お話をお聞きしながら、十何年前かの時間は、私たちの間には流れなかったのです。それほどお元気でユーモアたっぷりのお話、年の始めに生きる力を与えてくださった先生に、なんと感謝申し上げていいかわかりません。先生が最前列に座っていらっしゃる。それだけでもう先生のお姿そのものが教えなのですから。
昨年のお正月、一遍会例会で私は素晴らしいお年玉を頂きました。先生のお書きになった短冊一筆。「十念 南無阿弥陀仏  おと三」 それ以来、家でも会場でも、杉野さんのお声とともに、先生の短冊を心に浮かべながら「南無阿弥陀仏」を唱えさせていただいています。ちなみにわが家は真言宗善通寺派岡之坊、毎朝本堂への日参では、南無大師遍照金剛。私の中ではそれらがちっとも矛盾しないで存在するのです。いろんな宗派を乗り越えたところにそれらはあって、ちょうど今日の小沼代表のご挨拶「哲学と宗教と歴史と文学と・・・・・宗教文化を探求する文化団体としての一遍会」というところに帰するような気がします。  以下略