卓 話  「私の他力本願」  太田 美智子 氏 (一遍会 理事)
 「他力本願」本来の意味合いと少し違った使われ方をされているようです。都知事とか、世のリーダーシップを取っている方達が云われますと、二義的な意味合いでは解らないことは無いのですが、残念に思われます。私の思っている「他力本願」を考え直してみました。
 以前テレビで拝見したのですが、本田宗一郎さん、この方は、とにかくバイクや車が、お好きでその為には寝食も忘れての生活、それを奥様が黙って支えてこられたそうです。
「私と同じように、それ以上に、頭脳 技術が有り、努力された方は幾らでもいます。その方達に比べて、私が認められ、成功したのは、部下、家族、妻の御蔭は勿論ですが、本当に運が良かつたとしか云いようがありません」
非常に謙虚なお青葉だと思います。でも 真実だと思います。
 天災人災を含めて、とてつもない災害を受けた時、助かつた人は、なになにを信仰しているからだとか、自分の行いを含めて、何々さまの御藤で助かつたとかよく聞きます、でも少し違う気がいたします。災害は善人悪人、老若男女全く問わず、何時 何処に襲って来るか解りません。
生まれた時は平等だと云われますが、それは人権の問題だけで有り、生まれた場所、生きて行く条件で全く違います。例えば、生まれたばかりの赤ちやんが、幸せばかりとは言えません 病とか障害を持って生まれ、苦しむだけ苦しんで亡くなる、この子が、一体なにをしたのでしょう。誰がこの子を救えるのでしょう。人間ばかりでは無く、この地上に生まれて来る、動、植物の全てがそうなのです。この世の幸せも同じ様に降つて来ているのだと思います。こんなことから、今の世の宗教に対する、疑問点が湧き出しました。
 虚弱体質に生まれついたせいか、ものごころ付いた頃から、目に見えるもの、聞こえるもの、触れるもの、五感に感じられるもの全てが不思議でした。その中でも、特に不思議なのは、自分の存在でした。存在感の掴めない不安定な気持のまま現在に至っています。その様な中で自然に惹かれていったのが、
生命体、命、魂の在り方、そして繋がりでした。
 地球上の動植物全ての生き物は、一つから何十億単位の細胞で成り立っています。嫌気性バクテリア以外は、皆な他の生命を自分に取り入れないと生きて行けません。魂の存在とは、どこの段階から考えられるのでしょう。地球生態系から外れて存在する人間、その浮遊状態も忘れての、知識、知恵、蝕くなき探求心は、一体何なのでしょう。これは、偶然に人が手に入れたものでしょうか、それとも必然的なものでしょうか。私には解りません。
 宇宙がピックバンにより、発生されたと言われているのが約137億年前、太陽系が47億年。地球上に類人猿、猿人が、現れたのが20万年前、ホモ・サピエンスは、2万年前とか、生命の素である有機物質は、彗星に依って粛されているそうです。ならば、地球上の生命体のみならず、宇宙に浮かぶ我が銀河系も他の星雲達の、幸も不幸も、又 生死もひとつではないかと思えてくるのです。
 音読んだSF小説の中に、柔らかい草原の中に赤い蛍のように点滅する光の点々を持った、真っ白い惑星の話が有りました。それは白く長い毛と優しい赤い目を持った惑星、それ自体が、ひとつの生命体だったのです。それを読んだ時、我が意を得たりと、思いました。大変な経験をなさった、生命学者の柳澤桂子さんのお話の中に、粒子の存在、粒子の繋がり、それはこの世に存在する全てのものが繋がっていると言う事、全てが共同体で有る事。生きる為と死ぬ為の本、般若心経の本、読むまでも無く、私の胸の中にすっと入って来たのです。
 実家は浄土真宗ですが、決して仏教的な家庭では有りません。でも 親鸞上人の高い所からでは無く、衆生と共に災害も幸せも一緒に生きる、私と一緒にころんで躓いて下さる、そんな方と、感じて居ました。それは この一遍会に入る前には、お名前だけしか存じ上げませんでした、不遜な私が、一遍上人のお人柄を知るにつれ、人肌に感じる嬉しさでも有りました。
 「他力本願」を他人任せと使われているのは、寂しい事だと思って居ります。少し言葉が足りませんが、「人事を尽くして天命を待て」とは、無駄で有ってもするべき努力はすべきだと云う事でも有ると思います。自分自身が、努力とは全く縁の無い人間で本当に恥ずかしく、偉そうには言えませんし、人事を尽くしてとは、どれほどの事をすれば良いのか解りませんが、中学時代の恩師である 高橋治先生の口癖は、「チヤーンスの神様は、前髪がふさふさで、後頭部はつるつるなので掴めないから、前髪をしやんと掴めるように、いつも準備をして置きなさい」と独特の口調でおっしゃっていました。これも人事を尽くす事だと思います。
 「生かされている」、と云う言葉もあまり好きではありません。動物や植物達は、唯ひたすらに生きています。ゴリラ、なまけもの等、あの澄み切った目と優雅さは、人間以上に哲学に耽っているのではないかと思われて仕方がありません。
わたしの拙い辞を聞いて下さい。
眠る
鼻先で眠る
真っ白い子猫
生まれて 二十六日
フツ
細く柔らかいひげが
わたしのまつげに
ふれる
息  してる
 有難うございました。