9月度第403回例会 
講 話  「現代人にとっての念仏〜大無量壽経に学ぶ〜」
講 師  杉野 祥一 氏 (一遍会理事・NHk学園講師) 
◇講師からのメッセージ
念仏といえば、昔も今も、極楽往生を願って「南無阿弥陀仏」と唱えることですが、私たち現代人は素朴な信仰を見失っているように思われます。科学的知識が豊富な現代においては、西方に浄土があるといわれても、死んで極楽に往けるといわれても、容易に信じることは出来ません。それでは、私たちは「南無阿弥陀仏」を唱えながら、何を願えばよいのでしょうか。これは大きな問題です。
そこで、今回の講話では、昔の念仏信仰はどのようであったかをいくつか見た上で、そういう信仰を持てない現代人の念仏を考えるために、今一度、阿弥陀仏とはどのような仏さんなのか、その仏に帰依する(ナム)とはどういうことなのかを、大無量壽経によって学び、現代人にも理解できる浄土の教えを模索してみたいと思います。 
講演内容
はじめに
 私たちは、一遍会の会員として、一遍上人の教えに従って、例会の始めと終わりに念仏をお唱えすることにしています。念仏とは「南無阿弥陀仏」と唱えることです。
「南無阿弥陀仏」の言葉の意味は、南無も阿弥陀仏もインドの古い言語からの音訳で、ナムは帰依する、すなわち頼みとしてすがる、信じるという意味で、アミダブツとは、無量寿(アミターユス)仏あるいは無量光(アミターバ)仏を意味します(アミタとは、限りがない、無量ということを意味していて、どちらの言葉にもアミタがついているので、漢字では阿弥陀仏と呼ぶようになつたものと思われます)。
つまり、阿弥陀仏とは、寿命も光明も無限の仏様という意味で、これがこの仏様の名前でもあります。だから、「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀仏を頼みとしてすがります、信じます、ということを言い表している、ということになります。
 さて、「阿弥陀仏を信じます」と言い表して、私たちは何を信じているのでしょうか。それは、極楽往生である、ということになります。阿弥陀仏が住んでいるところが極楽浄土であり、そこへ往って生きることを願うことが阿弥陀信仰であり、浄土の信仰です。「極楽浄土」の元になるサンスクリット語は、スカーヴアティーといいまして、これは「楽しいことがあるところ」という意味です。これは、誰もが往きたいし、できるなら今すぐ往きたいと思うような名前です。阿弥陀仏を信じることによって、私たちは、悲しみや苦しみのない幸多い楽しいところへ迎えられると、信じることができるのです0「南無阿弥陀仏」と言い表すことによって、そういう極楽へ往きたいです、ということも言っているということになります。
 この阿弥陀仏の極楽浄土は、よく知られているように、西の方角にあるとされています。なぜ西なのかはよくわかりません。ただ、インドの浄土信仰では、浄土は西だけにあるのではなかつたようです。東方には、アシユク仏の妙喜国という浄土があり、上方には弥勒仏の兜率天があるというふうに、十方に様々な浄土があると考えられていました。
それが、阿弥陀仏の極楽浄土の信仰が優勢になつて広まったので、浄土といえば極楽浄土で西方にあるということになりました。ただし、西方にあると言っても、「西方十万億土」 と言われるように、極楽はこの世界の中の西の方にあつて、行こうと思えば行けるところというのではなくて、この私たちの世界の西に別の世界が無数にあり、それらの世界を十万億も過ぎたところにやっと極楽がある、という気の遠くなるような話なのです。
 何だ、それじゃあ行けないじゃないか、と言いたくなりますが、確かに、いくら飛行機を飛ばそうが宇宙ロケットに乗ろうが、極楽に辿り着くことはできません。それでは、どうすれば極楽に往けるのでしょうか。そこで大切になるのが、「南無阿弥陀仏」 と唱える念仏です。極楽浄土に往くには念仏しかないという教えです。しかし、念仏しても、生きている間に極楽に至ることはできません。そこで、教えられているのが、念仏すれば、死ぬ時に阿弥陀仏が迎えに来てくれて、死んで後に極楽に生まれ変わることができる、ということです。死んで後に極楽に往って幸せに暮らしたいのなら、念仏せよ、念仏こそが肝要である、ということになります。阿弥陀信仰、浄土信仰において、念仏が重要とされる所以であります。
 さて、話が念仏から始まって、また念仏に帰ってきてしまいました。ここで語ってきたのは、阿弥陀信仰、念仏信仰の基本事項というべき事柄ですが、これらのことはすべて 「阿弥陀経」 という大乗仏典に説かれていることなのです。
 阿弥陀経は、極楽浄土がどんなにすばらしいところかを説いたお経で、極楽には、七つの宝でできた池があり、砂は金ででき、美しい鳥の声が聞こえるなどと説かれていますが、その中に重要なことが説かれています。漢訳から引用すると、次のようになります。
その時、仏、長老舎利弗に告げたもう、「これより西方、十万億の仏土を過ぎて、世界あり、名づけて極楽という。その土に仏ありて、阿弥陀と号す。(か丸)いま、現に在まして説法したもう。舎利弗よ、かの土をなにがゆえに名づけて極楽となすや。その国の衆生、もろもろの苦しみあることなく、ただもろもろの楽しみを受く。ゆえに、舎利弗(その仏土を)極楽と名づく。
舎利弗よ、汝の意においていかに。かの仏を、何がゆえに、阿弥陀と号すや。舎利弗よ、かの仏の光明は無量にして、.十万の国を照すに障礙するところなし。このゆえに、号して阿弥陀となす。また、舎利弗よ、かの仏の寿命および人民(の寿命)も、無量無辺にして阿僧祇劫なり。ゆえに阿弥陀と名づく。
舎利弗よ、もし善男子・善女人ありて、阿弥陀仏(の名号)を説くことを聞き、(その)名号を執持するに、もしは一日、もしは二日、もしは三日、もしは四日、もしは五日、もしは六日、もしは七日(の問)、一心不乱ならば、その人命終る時に臨んで、阿弥陀仏は、もろもろの聖衆とともに、その前に現在したもう。この人(命)終る時、心、斯倒せず。(命終りて)すなわち阿弥陀仏の極楽国土に往生することをえん。
 考えてみれば、ここで語られている事柄は、すべて事実として認識することのできないことばかりです。誰も、無量の光を放ち無限の寿命を持つ存在者を見たことがありませんし、この世界の他に無数の世界があると言われても、その無数の世界の彼方に楽しいところがあると言われても、死ぬ時に阿弥陀仏の来迎があると言われても、死んで後に来世があると言われても、それらを確かに認識することは、私たちには全く不可能なのです。確かなのは、私たちが「南無阿弥陀仏」と唱えているという事実だけでしょうか。 
 しかし、私は、これら認識できないことはすべて捨て去るべきだと言いたいのではありません。むしろ、認識できないことだからこそ、信じること、信仰が大切とされるのだ、と言いたいのです。事実として確かに知ることのできることは、信じる必要がありません。お釈迦様がこの世に現れて仏教を興されたということは知ればよいのであつて、信じる必要はありません。
しかし、阿弥陀仏が極楽浄土にいるということは、事実として知るごとができないので、このことと関わりをもとうとするならば、まず信じるしかない、ということになります0自分の目で見たことでないと絶対に信じないと言って悼らない人がよくいますが、実はこの人は信じるということがそもそもできない人なのです0と言っても、実は、私もその内の一人かもしれません。
 現代人は、おおむね、信じることが苦手になつているのではないでしょうか。御利益や超能力を信じる人や信じたがる人はかなりいるようですが、それらは、事実として装われて与えられるものですし、あると言おうがないと言おうがどちらにせよ事実として認識されうるものですので、純粋に信じるということではありません。そういうことなら現代人は必死になったり、ふらふら付いていったりしますが、本当の信仰に生きるということは現代人にとつて究めて難しいことになつてしまったように思われます。
それは、恐らく、信じるしかない事柄に自分を投げ出して、すべてをその方に向けて真撃に生きる姿とでもいうべきものでしょうが、これはここ数十年の間に、急速に日本人から失われていったものではないでしょうか。
 それでは、日本人の阿弥陀仏信仰が昔はどのようであつたかを、いくつかの文献から、典型的と思われるものを選んで見てみたいと思います。(日本の浄土教には、源信、法然、親鸞、一遍といった優れた祖師と著作がありますが、今回は、信仰という観点から、敢えて、これら中心的な思想家を避けています。)
昔の日本人の阿弥陀信仰 (省略)
○平安時代・慶滋保 著『日本極楽往生記』より
○鎌倉時代・『一遍聖絵』より
○江戸時代・釈仰誓撰『妙好人伝』より
『大無量壽経』で説かれていること(省略)
結 び
 さて、すべての人が救われて幸せになつているとは、どういうことでしょうか。いやな奴も、自分に悪いことをしてくる奴も、悲しんでいる人も、皆共に救われるとは。
凡人にとつては、何と思い描きにくいことでしょうか。考えてみれば、「西方十万億土」とはそういう精神的な距離を象徴的に表したものかもしれません。そして、第十九願に現れるように、人間にとつて最も深く大きな苦しみは、死の不安、恐怖、孤独ではないでしょうか。誓願はそこに立ち会いたいと願うのです。来迎や往生として信仰されてきたものは、実は具体的な死にゆく人に対する慈悲の行いのことではなかつたか。
それらの慈悲の願いによる活動に自分も参加したいと願うことが、「南無阿弥陀仏」と唱えることではないか、という気がしてきます。