5月度例会  今村 威 氏 「湯聖 一遍さん」 講演要旨
一、一遍の温泉に関する事例
@文永十一(一二七四)年三六歳 熊野湯の峰温泉 「一遍上人爪書き名号碑」
  湯峰王子跡−本宮例大祭の前日、関係者が頑ぎの湯浴みをして、古道を通って大社へ帰る「湯登神事」。  
  一遍もこの地を訪れ、岩に名号を爪書きしたという伝承。
A建治二(一二七六)年三八歳 別府鉄輪温泉開湯。
B正応元(一二八八)年五〇歳 最後の帰郷の際、河野通有の懇望により、湯釜に六字の名号を書く。
二、鉄輪温泉の開湯(伝承)  (『一遍上人と鉄輪温泉』一遍上人探究会編による)
 一遍上人が豊後の国から豊前の国へ賦算の途中、別府野口の里で濃霧にあい難渋する。そこへ白髪の翁が現れ 「鶴見岳の山霧と、八丁四面の鉄輪地獄の湯煙で民衆が難儀をしている。これを救うことは、人間には無理である。鶴見山麓の火の神、鶴見権現に祈れ。」 と告げる。一遍が二十一日の断食祈願をすると、又白髪の翁が現れ、「大蔵経の経文を一字一石に記し、称名を唱えつつ投げ込めば、地獄を埋めることが出来よう。」 と教えてくれた。
 一遍が時衆の僧や寺々の僧の協力を得て、お告げを実行していると、民衆たちも食べ物を寄進して協力した。ほとんどの地獄は静めることができたが、最後に三間四方の噴気がどうしてもとまらない。一遍が再度参籠して祈ると、「その噴気を止めるに及ばず。これは経文の功力と温泉の力が合わされ霊場となつたものである。ここに蒸し風呂を築けば、いかなる難病も必ず治るであろう」 とお告げがあつた。このようにして一遍は鉄輪の開湯に成功した。 国守大友頼泰は一遍の労苦を謝し、松寿寺を寄進した。
 (注)『一遍と時衆』(浅山園祥)・・・専修念仏だけではわが国古来の禅祇崇拝をする民族的宗教感情と一致しないことを知るや、かれは念仏を神祇に結びつけた。
三、事跡の現在
 @松寿寺の跡は、永福寺となり、一遍の像を安置し、「日本第一蒸湯開基」 「一遍上人安置道場」 と掲額
 A蒸し湯・渋湯・熱の湯・元湯・すじ湯などは一遍が開いた温泉として、現在も市民に愛用されている。なお、蒸し湯には、一遍立像がまつられ、「瀬戸内の石風呂の手法をとりいれた」 との説明がある。
 B湯浴み祭−秋分の日、永福寺の一遍像を輿に乗せ、渋の湯と元湯では湯浴みを、蒸し湯ではサウナ浴をさせる。その後、元湯前に一遍像を安置し、稚児をはじめ行列参加者が、お湯掛けをする。地元の温泉や商店など温泉を引いているところは、竹筒にお湯を汲んで、永福寺に奉納する。
 C上人が浜:一遍が伊予から上陸した浜。沖には海鹿聴聞岩もある。あたりは上人町と名付けられ、小学校も 「別府市立上人小学校」 となっている。 
四、伊予と豊後
 @伊予風土記:大国主命が少彦名命を蘇生させるために、「大分の速見の湯を下樋より持ち来た」 った。
 A太山寺文書:用明天皇の御代、豊後の国の真野長者が、高浜沖で暴風に遭い、太山寺の観世音菩薩の加護により、九死に一生を得たのを謝して、豊後の匠を集めて、一夜で堂宇を建立した。
五、聖徳太子 湯の岡碑文
  日月は上に照りて私せず、神の井は下に出て給へずといふこと無し。
六、『一遍上人−旅の思索者』 (栗田 勇)−蒸湯がとくに一遍聖人開基といわれること。
 元寇の役の傷病者のために、改良されたということは、すでに、一遍開基のとき、この湯が、文永の役の戦傷者の治療と結びついていたことを暗示しているのではないか。(中略)おそらく、早くから開けた温泉治療の名湯で生まれた一遍智真は、深く、湯治による傷病者の治療の方法を研究、組織化していたのではなかろうか。
4月度例会 円増 治之 氏 「良寛随想」 講演要旨
 次号の「一遍会報」第307号に掲載します。インターネット会員以外の方は暫くお待ち下さい。
3月度例会  小沼 大八氏 「こころの文化」 講演要旨
 自分をみつめ自分を知る工夫を、いま仮に「こころの文化」と呼んでみよう。近代における科学・技術の発達は、われわれに未曾有の物質的豊かさをもたらした。けれども、われわれはいま、そんな物質文化の繁栄に身を委ねるあまり、こころの文化を見失ってはいないだろうか。
 けれども、こころの文化を置き忘れてはなるまい。それというのも、自分を忘却し、自分を見失ったままこの人生を送ったのでは、どんなに長生きをしても、どんなに贅沢な生活を送っても、それは自分の人生を生きたことにはならないのだ。せっかくいただいた、たった一回かぎりの人生である。自分の人生を生きようではないか。
 とはいうものの、自分を知ることは難しい。ひょっとすると、それは他人を知る以上に難しい作業かもしれないのだ。けれども、それは何故なのだろう。そして自分がそれほど知りがたい存在ならば、自分を知るにはどんな工夫が必要か。以下、本日の話の順序と要点を箇条書きにして示しておくことにしよう。
1.自分を知ることの意義
 「汝みずからを知れ」という、ソクラテスの一軒から哲学は始まった.
2.自分を知ることはなぜそんなに難しいのか。
われわれの五官は自分を知ることに対して無力である。
・前五藷〈眼・耳・鼻・舌・身)・・・外界を知る.
・第六識〈意識=こころ)・・・・・・自分を知る.
3.こころの不思議さ
こころは自分のものでありながら、けっして自分の思いどおりにはならない。
「凡夫ノ心ハ物ニシタガヒテ移リヤスシ。タトヘバ猿猴ノ枝二伝フガゴトシ。マコトニ散乱シテ動ジヤスク、一心シズマリガタシ」〈法然「法語集」〉。
4.こころの文化とは、こころの散乱を鎮め、こころを内側に向けさせる工夫をいう。
A. 環境を生える
        イ. 静けさがもつ意義
ロ. 薄暗さがもつ意義
ハ. 夜がもつ意義
二. 日曜日がもつ意義
ホ. 祭りがもつ意義
へ. 巡礼がもつ意義
B. からだを整える
      イ. こころとからだの閑係
ロ. 行儀がもつ意義
ハ. 座法がもつ意義
ニ. 正座と結執扶座