8月度 講演要旨(熊野 伸二 氏 「多情多恨 〜地方記者の見て来たもの〜」)
 一遍会八月例会は、予定していた講師に支障が生じ、急拠、同会理事、熊野伸二氏が代役を務めた。同氏は、約四十年間の新聞記者や、多くの人びとについて、現場を踏んだ者らしい臨場感のある話をした。
 コンピュータやインターネットをはじめ、種々の情報メディアを利用し、多様な情報を収集処理し、活用する能力 (メディア・リテラシー) を高めるためには、記事の裏側を洞察することが必要といい、その上で事件記者として取材してきた旅客機墜落事故、台風災害、保険金詐取事件、暴力団抗争事件、少年非行などを紹介。三六五日、二四時間、神経のすり減る事件記者生活を語った。
 行政担当時代には、現在、国の史跡に指定されている来住廃寺跡の発掘調査取材と子規記念博物館建設について話した。まず来住廃寺では、民間の住宅開発業者の申請で始まった発掘を、記録保存にとどめたい行政の意向を察知し、出土例の極めて少ない貴重な埋蔵文化財をそのまま保存する方向で論陣をはり、保存を実現させた。子規記念博物館は、計画当初「子規資料館」 「記念館」構想が浮上していたが、「先人の業績を現在・将来へ生かし、継承するためには、博物館法にのっとった博物館にすべき」 とキャンペーンを展開。結果的に全国にも誇り得る博物館の実現を見た。
 あらゆる年齢層、職業、階層の人びとを取材する中で、印象に残った有名、無名の人びとについても話した。将棋の大山康晴氏の名刺は、墨痕鮮かに、その名前だけを書き、職業も住所も、連絡先もなかった。四文字の氏名だけで、その人物が全国に通用することの偉大さを知ると同時に、垣間見せた経済的な”しまり屋”ぶりは、聞く人の笑いを誘った。名車の創始者として世界に知られる本田宗一郎氏は、気さくな好々爺だったことも紹介された。
 約三十年前に出会った詩人、坂村真民さんの顕彰は、いかにして始まったか。そして今同氏の詩碑は全国四十七都道府県から世界五大陸へと建立が続き、七百基に及ぶことなどを話した。
 世論形成に絶大なカを発揮するマスコミの一員は、常に弱者の立場、反権力の立場で謙虚に、取材対象と向き合わなければならない。「言うは易く、行うは難い」記者活動の一端がうかがえる話だった。
(注)インターネット会員には9月度は「窪寺まんじゅしゃげ祭り」情報を加えて下旬に資料を郵送致します。