| 関西ウィークリートピックス | 大阪 | 兵庫 | 京都 | 滋賀 | 奈良 | 和歌山 | 三重 | みてみて関西 | アフター5 おいしい時間 | TOP |




   いのりとほほえみ 女性と仏教
  三、 長谷詣で 清少納言も参拝の喜び綴る 

 平安時代、仏教信仰は貴族の中で、女性たちを中心に広まっていく。女性たちがこぞって参拝したのが奈良・長谷寺(桜井市)。本尊の十一面観音に寄せられる信仰は「長谷詣で」という言葉を生んだ。
 清少納言が『枕草子』に参拝の喜びを綴ったほか、『蜻蛉日記』や『更級日記』にも、念願の長谷詣でを果たした女性が興奮を語っている。
 ただこの時代、女性たちは「変成(へんじよう)男子(なんし)」、つまり「男に生まれかわらなければ、成仏できない」と考えられていた。

 
◆仏教の中心には女性の姿が
 9世紀以降、一つの経典が女性たちの心をひきつけるようになる。
 その経典「法華経」提婆達多品(だいばだったほん)では、「女性は女のままでは成仏することができず、男に身を転じなければならない」と説いていた。
 女性たちは法華信仰を篤くした。その後、末法思想が広まると、法華信仰は男女を問わず、ますます盛んになる。平清盛が広島・厳島神社に奉納した「平家納経」(国宝、平安時代)は、法華経をはじめとする経巻を豪華に装飾したものだ。中には経巻の見返し絵に、信心する貴族女性の姿を描いたものもある。彼女たちもまた、男に生まれ変わろうと願ったのだろうか。
 「ただ、当時の女性たちが切実に男身になろうとしたかは疑問」と、相愛大の西口順子教授(66)は考えている。
 西口教授は昭和50年代後半、仏教史や女性史を研究する仲間とともに「研究会・日本の女性と仏教」を発足させ、15年間、議論してきた。その中に、有髪で出家した平安時代の女性が死ぬ間際になって完全剃髪望んだことを考察する論文があった。完全剃髪が男僧と同じ姿であることに注目すると、死ぬ直前に初めて、男の姿になって成仏しようと願った女たちの意図が見えるという。
 西口教授は「女性たちも、元気なときから積極的に性を変えたかったわけではないでしょう。死ぬ直前になって、仏に近づく手段として変成男子の考えを取り入れたのだと思う」と当時の女性たちに思いをはせる。
 京都・仏光寺に伝わる「一流相承系図」(重要文化財、鎌倉-室町時代)では、教団の門弟の系譜を絵像で表しているが、多くの門弟が尼僧姿の妻とともに描かれていた。夫婦は各地の道場主と考えられている。
 「女が家内を取り仕切るように、寺でも教団でも、仏教の中心部分には女性の姿があった」と西口教授は言う。
 奈良国立博物館で開かれる特別展「女性と仏教」(4月15日から)には、平家納経や一流相承系図のほか、奈良・伝香寺に伝わる地蔵菩薩立像(重要文化財、鎌倉時代)も並べられる。この像の胎内には、尼が男子に生まれ変わることを祈った願文があった。
 変成男子。古来、女たちはこの制約をどう考えてきたのか。伝えられた仏教美術から、その思いをくみとってみたい。      文  石井奈緒美

 写真左上/登廊でも有名な長谷寺。平安女性の信仰も厚かった
 写真右下/厳島神社に奉納された「平家納経」。信心する貴族女性の姿も描かれている
                          写真 岡本 義彦
                                             (2003/03/26)