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   いのりとほほえみ 女性と仏教
  二、 光明皇后 慈悲の精神で福祉に尽力 

 奈良時代の仏教を語ろうとしたとき、光明皇后の名を忘れてはならない。信仰心あつく、東大寺を創建した夫・聖武天皇を支え、仏教思想から福祉に力を尽くし、貧しい民や病人のための悲田院や施薬院を設けた。
 奈良・法華寺を建てたのも皇后だ。父・藤原不比等の邸宅だった場所を総国分尼寺にした。
 戦前から寺の法灯を守り続ける久我高照門跡(81)は「光明皇后の慈悲深い精神を伝えていくことが私たちの勤めです」と澄んだ声で話す。

 
◆信仰に満ち溢れた環境で育ち
 光明皇后は権勢を誇った藤原不比等を父に、仏教信仰篤い橘三千代を母に育った。
 特別展「女性と仏教」にも出展される「阿弥陀如来および両脇侍像」(国宝、飛鳥時代)は、三千代が念持仏として日夜、拝んでいたという伝説がある。皇后は信仰に満ち溢れた環境で育った。
 「光明皇后はご両親の信仰を見て、ご信仰深く、慈悲深い清らかな心をお持ちになったのでしょうね」と、久我門跡は柔らかな笑顔で話す。
 門跡自身も、幼少のころから日常生活の中に仏教の教えがあった。15歳で寺に入ったときも、「育った環境に信仰があったから、違和感なく寺の生活に慣れた」という。
 「子は親の姿を見て育つもの。今の家庭では、思いやりや、辛抱がおろそかになっている。親が手本を示さねばなりませんね」
 光明皇后と、聖武天皇という信仰深い両親の下に育ったのが孝謙天皇である。後に称徳天皇として再び皇位についた際、父が建てた東大寺に対して、平城京の西に西大寺を創建した。
 「称徳天皇は、政治と仏教を二人三脚で守り立てた父と母の思いを一身に継承して皇位につかれた」と西大寺の僧、佐伯俊源さんは話す。「奈良時代末には、律令体制が変質し、天皇家の私的な信仰がだんだんと政治の表舞台に表れてきたようです」と当時を読みとる。
 この風潮の中で、称徳天皇の信頼を得た僧・道鏡が、それまでの律令法制にはない「法王」の称号を得ている。
 一方、女帝を支えた人々の中に女官たちの姿があった。
 西大寺創設にさいし、納経された「大毘盧舎那成仏神変加持経(だいびるしゃなじょうぶつしんぺんかじきょう)」(国宝)と「金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)」(同)はそれぞれ、称徳天皇に仕えた女官、吉備由利(きびのゆり)と百済豊虫(くだらのとよむし)が願主になっている。
 佐伯さんは「後宮の女官たちが現代に名前を残したことで、天皇の私的な信仰が政治にも影響を与え、女官も大いに活躍したことが伺える」と考えている。
 奈良時代、日本の仏教を支えたしなやかな女性の姿が見えるようだ。 文 石井奈緒実

 写真左上/創設当時、巨大な伽藍を誇った西大寺。残された塔跡がかつての威容をしのばせる=奈良市 
 写真右下/光明皇后の時代から、法華寺で作られている土人形「守り犬」。今も、当時と変わらぬ手法で尼たちが手作りしている      写真 岡本 義彦
                                             (2003/03/25)