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   いのりとほほえみ 女性と仏教
  一、 善信尼 排斥にもあつい信仰揺るがず 

 日本初の出家者は女性である。飛鳥時代の帰化人・司馬達等(しばたっと)の娘・嶋。敏達(びたつ)天皇13年(584)、出家して善信尼(ぜんしんに)と名乗り、蘇我馬子が屋敷の東に建てた仏殿で仏像を供養した。その時、わずか11歳だったという。
 物部守屋の仏教排斥によって、弟子とともに法衣を奪われ、監禁され、鞭打たれたこともある。しかし、あつい信仰は揺るがず、蘇我氏が物部氏を討った後は百済に渡って戒律を学んだ。
 古代、日本に仏教が根付くなかで、女性の果たした役割が大きいのだ。

 
◆日本初の出家者は女性だった
 当時の尼の姿を知りたいなら、飛鳥時代に制作されたという「天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)」(国宝、中宮寺蔵)を見るといいかもしれない。そこに刺繍された女性は、スカートをはき、肩から袈裟のようなものをかけている。尼である可能性があるという。
 こうした人物や亀甲文、鳳凰などを刺繍している天寿国繍帳は、日本の仏教の基礎を築いた聖徳太子の死を悼んで、宮廷の女性たちが作り上げたと伝えられる。ただ、現存する繍帳(横約83センチ、縦約89センチ)は、すべてが飛鳥時代に作られたものではない。鎌倉時代に複製されたものが6割近く、つぎはぎされている。
 鎌倉時代、繍帳は行方不明になっていたという。それを、中宮寺の尼・信如が、夢のお告げに従って見つけ出し、複製品を作らせた。ところが、江戸時代になって飛鳥と鎌倉の繍帳が共に傷んで分裂。それぞれ一部を失ったため、二つの繍帳の残った部分がはり合わされた。
 この補修は、制作当初の画面構成を分からなくさせた。飛鳥の刺繍と、その部分を模写した鎌倉の刺繍を重複して用い、本来とは違う部分に貼り付けているからだが、それでも奈良国立博物館の内藤榮・工芸室長は「鎌倉時代の複製部分も貴重」と話す。鎌倉の尼僧たちの手による刺繍は、忠実な模写で、失われた飛鳥の模様も伝えている。きっと尼僧たちは先人の祈りを真摯に受け取り、後世に伝えようとしたのだろう。
 ところで、日本初の出家者が女性だったことには、何か理由があるのだろうか。
 西大寺の僧で種智院大で教鞭をとる佐伯俊源さんの説明によると、神を信じてきた日本人は当時、仏教を海外の神「蕃神(ばんしん)」と呼び、神と同じレベルでとらえていた。
 「古来、神につかえて呪術的な能力をもつ人間には女性が多かった。祭政一致だった邪馬台国でも、神や精霊の声を聞くことができる卑弥呼が女王として存在した。仏を神と同じ範ちゅうで理解していたとしたら、シャーマニズムの一環として、『蕃神を祭るのは女性の仕事』と考えたのかもしれない」
 日本最初の出家者、善信尼は崇峻天皇元年(588)、百済に渡って仏教を学び、同3年3月に帰国。その後、多くの弟子たちを育てたという。奈良国立博物館で開かれる特別展「女性と仏教」を前に、「いのりとほほえみ」の歴史を歩いてみたい。
        文  石井奈緒美
                  ◇
 国宝・重要文化財など約200点を集めた特別展「女性と仏教」(産経新聞社など主催)は4月15日から5月25日まで奈良国立博物館で開催。

 写真左上/国宝「天寿国繍帳」(部分)。女性は袈裟をかけているようにみえる
 写真右下/天寿国繍帳が残る中宮寺。女性のいのりの歴史を伝えている
                                   写真 岡本 義彦
                                             (2003/03/24)