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   一遍  旅に生きる  苦闘編
  十、 高野山(2)「かるかや」 パズルの面白さ 

 一遍の足跡をたどっていると、行く先々で似たような伝説や説話に出合うのはなぜだろう。ジグソーパズルを解くような面白さがある。
 説経節「かるかや」で知られる苅萱(かるかや)道心と石童(いしどう)丸の物語など、その典型だろう。
 物語の舞台は、福岡・太宰府、和歌山・高野山、長野・善光寺。これまで見てきたように、すべて一遍ゆかりの土地なのだ。
 こんな物語である。九州6カ国の守護職、加藤左衛門尉繁氏(しげうじ)は、世の無常を悟り、妻子を残して高野山で剃髪する。
 繁氏が出家当時、まだ母の胎内にいた石童丸は10数年後、「父に一目会いたい」と、高野山を訪ね、母を麓の宿に残し、一人山へ登るのだった。

 
◆答えのカギ握るは一遍?
 そこで、出会った一人の僧こそ、まさに繁氏、出家後の苅萱道心だった。が、苅萱は「修行のさまたげになる」と、父親とは明かさず、石童丸は落胆して山を下りる。
 宿へ帰ると、母は慣れぬ長旅の疲れなどで、わが子の名を呼びつつ息を引き取ったばかり。故郷の福岡へ帰ると、3歳上の姉、千代鶴姫も亡くなっていた。天涯孤独となった石童丸は、再び高野山へ。
 「ぜひあなたのおそばで」とすがる石童丸に、苅萱は父とは名乗らないまま師弟の契りを結び、高野山の「苅萱堂」で34年間の仏道修行。やがて苅萱は「善光寺如来のお告げ」と善光寺へ旅立ち、大往生、石童丸も後を追って善光寺へ。一刀三礼の地蔵尊を刻み、不断念仏で父の菩提を弔うのだった…。
 苅萱は、一遍が若き日、修行をした福岡・太宰府の苅萱の関守だったという伝説があり、同市内には碑も残っている。
 おまけに、繁氏出家の動機がおもしろい。表向きは、正妻の桂御前、二の妻、千里御前と一緒に花見の折、繁氏の杯に桜花のつぼみが一輪、音もなく落ちたのをみて、世の無常を知り、出家したことになっている。
 が、これとは別に、二人の妻は、一見仲むつまじく見えるが、ある夕暮れ、双六遊びをしている二人の姿が障子に映った。その影は、髪の毛を振り乱し、その先は蛇のごとくものすごい形相でケンカをしていた。
 この妻妾の嫉妬心を垣間見た繁氏が、「自分の罪の深さを後悔した」のも出家の一因だった、とも説かれるのだ。
 ナゾが多い一遍の出家の動機の中で、江戸時代初期に書かれた「九代北条記」は

 ある時、二人の女房、碁盤を枕となし、頭を指合せて寝たりければ、女の髪、忽(たちま)ち小さき蛇になりて喰ひあひけるを見て…

 と書いている。「かるかや」とまったく同じエピソードが出てくるのはなぜだろう。
 この絵解きを20年前に復活させた長野市内の西光寺の住職夫人、竹澤繁子さん(62)は「物語は、鎌倉時代の実話とされていますが、高野聖らが諸国を巡るうちに、一遍さんのエピソードも物語に取り込んでいった可能性も、という大学の先生もいます」という。
 そういえば、「かるかや」と双璧の説経節「小栗判官と照手姫」もゆかりがあって、照手姫の墓は、時宗の総本山、神奈川・藤沢市の遊行寺(清浄光寺)の塔頭寺院にあるのだ。
 説経節のジグソーパズル。答えのカギは一遍が握っている?    文  冨野治彦

 写真左上/長野市内の西光寺で行われる説経節「苅萱道心と石童丸」の絵解き。住職夫人の竹澤繁子さんは「一遍ゆかりのエピソードも入っています」
 写真右下/苅萱が父の名乗りをしないまま石童丸と34年間、仏道修行をしたといわれる高野山の「苅萱堂」 
              写真 大塚聡彦
                                             (2003/03/14)