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   一遍  旅に生きる  苦闘編
  一、 プロローグ 風のように生きた姿追って 

 癒やし。なんと優しい響きだろう。北朝鮮のミサイル発射や米国とイラクの緊迫関係。国内では長期不況に大量失業。こんな世相だから、よけいにそう思えるのかもしれない。
 浄土宗の一門、時宗の開祖、一遍智真(1239−1289)が生きた鎌倉時代も似たような時代だったらしい。本格的な武士の時代の到来。蒙古襲来という未曾有の国難。加えて地震や飢饉。人々は不安と混乱の中にいた。
 そんな騒然とした時代に、一遍の生き方は画期的だった。地位も名誉も捨て、墨染めの衣にわらじ履き。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えつつ、念仏札を配り、極楽往生への道を説いて列島を風のように歩いた。その一遍が今、人気なのだという。

 
◆16年にも及んだ遊行
 鎌倉時代は法然、親鸞、日蓮、道元など、新仏教のリーダーを数多く輩出した時代だが、なかでも一遍は異色の指導者だったようだ。
 昨年10月9日から12月23日まで、京都と奈良の国立博物館で2回に分け、一遍の生涯を描いた日本初の絹本伝記絵巻「一遍聖絵」(鎌倉時代、全12巻、国宝)の展覧会が開かれた。平成7年から6年がかりの絵巻きの修復が終わったのがきっかけだったが、期間中の入場者数は計約2万7000人。両館が独自に作った図録約4000部は完売だった。
 「あの時期にしてはよく入ったですね」と、年末に開催した奈良国立博物館のスタッフ。
 作家、司馬遼太郎さんは平成8年2月に亡くなったが、その直前に行われた河合隼雄氏(現・文化庁長官)との新春特別対談が同年の産経新聞元日号に載っている。この中で司馬さんは「一遍さんは魅力的ですね。いま強いて古い日本にモデルを求めようとするなら、一遍しかいないかもしれません」といっていた。
 「癒しへの漂白」とサブタイトルをつけた小説など一遍の伝記小説も最近、増えている。
 跳(は)ねば跳ねよ 踊らば踊れ春駒の 法(のり)の道をば 知る人ぞ知る
 一遍が信濃(長野県)の佐久で、同行の時衆ら十数人と始めた“踊り念仏”。念仏の法悦に感極まって踊り出さずにはいられなかったのだという。これが日本の盆踊りのルーツになったともいわれている。
 一遍の死後も、時宗の僧は戦場へ出向いて死者の供養をし、ケガ人の治療にあたった。『太平記』など、戦記物語の編集にも一役買ったほか、連歌や能、歌舞伎など日本の古典芸能にも大きな影響を与えた、といわれている。
 「法然も親鸞もこの世の中に目線を置いてものごとを考えた。が、一遍はスペースシャトルで宇宙へいったん飛び出したような感じがするんです。地球全体が“南無阿弥陀仏のバリアー”に包まれていることを確認したうえで地上へ戻り、遊行を開始したのではないか」と、神奈川・藤沢市の時宗僧養成学校「宗学林」学頭、長島尚道さん(62)はいう。
 雨の日も風の日も、ときならぬ大雪に見舞われた日もあったに違いない。遊行は一遍の後半生16年に及んだ。
 命がけの旅に生涯を賭けた一遍の後ろ姿を追いかける。
                       文  冨野治彦

 写真左上/一遍の生涯を描いた国宝「一遍聖絵」。日本初の絹本絵巻でもある(清浄光寺・歓喜光寺所蔵)
 写真右下/松山・宝厳寺にある一遍の木像(重要文化財)。遊行に生涯をかけた男の厳しさと温もりが顔ににじむ   写真 大塚聡彦
                                             (2003/03/03)