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ばして、荒波に向こうて船出せないかんぞと
考えさせてくれる歌じゃ」権次が目をしょぼし
ょぼさせながら言った。
「ほんとじゃあ、わしの汚れた心まで洗(あろ)
うてくれるような気がするが。わし皮膚がこ
んなに黒うて、髪はチリチリじゃろ、世間の奴
らが馬鹿にするんじゃ。ほれで腹立てて暴れ
とったがそんなことも卒業や。真面目に働く
ぞ。権次も二年したら罪の償いはしたことに
なるんじゃけん、過去のことは忘れて真面
目にやろや」
「しかしのう、わしの場合出所したけんいうて、
罪の償いが出来たとは割り切れんのじゃ。親
を殺したという現実は、頭の中から拭い去る  0
ことが出来んのじゃ」権次は西の彼方に見え   8   
る瀬戸内の海を見ながら言った。         
             (八)
 M 中の卒業生達はそれぞれの進路に進んで
行った。
 弥生先生は私立女子高校教師になり、ピア
ノと声楽を教え始めていた。
 石田教諭は退職し、何度も少年院を訪問し
ていた。その一方で石田文法とも呼ばれ始め
ている、教諭独自の国文論文を発表し、学界
から注目され始めていた。
 しかし、論文が陽の目を見る前に、又権次の
出所を待たずして、膵臓癌のため五十七歳で
他界していた。
              完
                  平成十七年五月脱稿