日本放送協会松山放送局長賞
和田 さくら (聖カタリナ高等学校2年) |
| 「平和について」 |
私は今年の夏休みも、原水爆禁止世界大会に行ってきました。一昨年は長崎、去年は広島、そして今年も広島で世界大会に参加するのは三回目です。歴史の年表にはたくさんの戦いや争い事が記されています。一九四五年八月に、ヒロシマとナガサキに原爆が投下されたことはみんな知っていると思います。その原爆投下されてから今年で六十年もたちます。私にとってその六十年というのは、早かったのか長かったのか何とも言えない時間です。だけど、被爆者の人からすれば戦争によって愛する人、大切な人を失って一日一日が悲しくてすごく長く感じていたと思います。その日をきっかけに、「平和主義」と「非核三原則」を誓ったはずです。なのに、六十年たった今でも、世界では核兵器も戦争もなくなってはいません。そんなのおかしいと思いませんか?
ヒロシマの世界大会には、九千もの人々が平和を願って世界中から来ていました。海外代表としてアメリカ、フランス、インド、ロシア、韓国やアフリカの人など、それぞれの国の言葉で平和に対する想いを話してくれました。約三百人の人が海外からの高校生や青年でその中で百六十人くらいはフランスの人でした。でもフランス代表の人の話では、去年まではフランスからはたった一人だったそうです。それなのに今年は海外の人たちの半分以上の人が来たなんて驚きました。すごいなぁ、と思いました。愛媛からも去年に比べたら行く人は増えたけれど、高校生は相変わらず私一人でした。私は三回も世界大会に参加しているのに平和を広げることもできず、何の進歩もしていないなぁと反省しました。
また、被爆者の人がリアルな体験や戦争の怖さ、この六十年間の思いなども語ってくれました。この六十年間、怖くて被爆体験を人には話したことがなかったそうです。でも、今の若者の平和に対する思いが無さ過ぎるのに腹が立って話をすることを決心したそうです。私はそれを聞いて胸が痛くなりました。生々しくてぞっとするような話だったけれど、それを実際に体験した被爆者の人は今までものすごく苦しくて悲しい思いをしてきたのだと改めて感じました。でも嬉しかったのは、話をした後で「ありがとう」と涙を流していたことです。はじめは今までのつらい体験を思い出して泣きながら話していたけど最後は世界中の人からの拍手で少し笑顔が戻ったような気がして、つい大きく手をたたいてしまいました。
私が平和について考えるようになったのも、この大会に参加するようになってからです。はじめは、原水爆禁止世界大会と言われても何か堅苦しい感じで、楽しい事好きの私にはどうも気が進みませんでした。だけど、参加してみると、びっくりするほどたくさんの人で海外の人や北海道から沖縄までほんとにいろんな所から来ていて驚きました。友達になったり、交流も深まったりで楽しかったです。でも、自分が気が進まなかったように変な目で見られるんじゃないかという不安があってなかなか友達を誘う気にはなれませんでした。何回か誘ってみたりしたが、予定が入っていたり話をそらされたりでやっぱりって感じの結果でした。
しかし、このままでは世界は平和にはなりません。核兵器は一つでもあれば、ゼロではないのです。今でもアメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアに加えて、インドとパキスタンとイスラエルの八カ国では、約三万発もの核兵器が蓄えられているのです。さらにイランに北朝鮮までも核開発が進められているなんて、どれだけ人を苦しめて殺せば気が済むのでしょうか。これを止められるのは私たち人間しかいません。私も含めて、国境も文化も宗教も関係なく、すべての人がもっと平和を訴えなければならないと思います。今年の世界大会に参加して少し勇気をもらった気がします。来年は、愛媛の高校生も青年も一人でも多くの人が興味を持ってくれたらいいなと思います。そのためにも、私からそして友達からたくさんの人に声をかけていけばきっと、世界が本当に平和になる日は来ると思います。
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