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スケジュール 

臼杵探訪:石仏他

平成22年4月9日(金)7:15 立花駅集合

6月8日(金)こまちクラブ探訪:

妙見山古墳・伊予国分寺跡(礎石13個)・乗禅寺石塔跡(五輪塔4基、宝篋印塔5基、多宝塔2基)玉川美術館

1.妙見山古墳

  場所:今治市大西町大字宮脇乙579-1

現在は藤山健康文化公園の中に保存されています。

妙見山古墳は前方後円墳です。竪穴式石槨は発掘したままの形で見られます。古墳復元と環境保全が評価されて平成9年度のグッドデザイン賞を受賞しています。

 妙見山古墳のある山頂から見下ろした風景です。

竪穴式石槨をそのまま保存されている頂上からの景色です。その海に浮ぶ小島から墓石は運ばれました。古墳時代3世紀末から7世紀頃、古墳時代の遺蹟です。どこから来てこの地域に住み着いたのだろう。この地域には遺蹟は多い。唐子山、国分、鯨山他、である。海上交通の要として栄えていたのだ。この妙見山古墳を含む公園は古墳はもとより、自然も素晴らしい。是非訪れてください。春夏秋冬ときっと満足されると思います。

藤山歴史資料館の正面入り口と学芸員さん

いろいろと詳しくお話いただきました。訪問される時は事前に御願いしましょう。

2.乗禅寺石塔跡

3.伊予国分寺跡

4.玉川美術館

   上記の報告もしたいと思います。

※文化財ロード地図(寶巖寺〜来住廃寺迄の車道を避けて歩く道)らしき物を作ってます。お問い合わせをしてください。


第3回4月24日(火)大三島周辺 探訪
   古町駅に9時集合 今回は11名。

    村上水軍の館
菊間のかわら館から見学し、野間仁根の荒れ果てた生家を覗き見ながら通り過ぎる。吉海町のバラ園の中にある郷土館で仁根の絵を見る。私は初めて野間仁根の写真を見た。今までもっと激しい人のように思っていたが穏やかな顔だったのでちょっと意外。食事をバラ園のレストランでおいしい烏賊のから揚げとひじきご飯の人気メニューをいただく。宮窪町の水軍の館ここはお勧めスポット、詳しくは何時かの機会に。そして村上三島書道館、美しく穢れなき書体に思える。(癖のないからだ、とは小沼先生)伯方の塩を見学し大三島神社で楠に敬意を表し今回の探訪終わる。初めてのところが多かったのでとても面白かった。(1回目の大三島周辺探訪となる)

 
 第2回3月2日(金) 文化財ロードを歩く
        集合場所:時間 道後駅  10:00
 総勢11名、10時過ぎ、いよいよ「文化ロード」の出発である。宝巖寺を通り伊佐爾波神社の赤い社殿の前で元気なうちに写真を写す。
 神社から裏道を通り石手寺の裏にでる。案外歩きやすく、静かで気持ちいい。石手寺は国宝を持つ寺ではあるが雑多な物に埋め尽くされている。整理のつかない現在の姿そのものである。遍路橋を渡り、スーパーでお弁当を買い、東野茶屋あと(旧藩主の別邸)で食事をする。緑の中に池もありよい場所である。繁多寺では住職の小林先生の柔和なお顔にお会いし、1時から2時の約束である、浄土寺に向かう。1時半過ぎ到着、住職のお話を聞きながら「空也上人」の御像を拝観する。晴天で夏のような暑い一日であったが10キロほどを4時間足らずで韋駄天のごとく歩かれる小沼先生に引っ張られての一日でした。道程を後日地図にまとめたいと思っています。

 
 

内容:文化財ロードの提案 

顧問 小沼大八 愛媛大学名誉教授 
会員 稲谷吉彦 岡部正三 十亀義則 高須賀昭夫 田内聡美 
   高木萬里子 松井昌子 松森温子 宮子公子 明関 幸 
   山本敬子

文化財ロードの提案


                     文化財保護審議会会長 
                    愛媛大学名誉教授 小沼 大八
湯築城公園(国特別史跡)→道後温泉本館(重文)→宝巖寺→一遍上人立像(重文)→伊佐璽波神社本殿・回廊・楼門等(重文)→石手寺仁王門(国宝)、本堂・三重塔・鐘楼等(重文)→繁多寺(第五十番札所)→日尾八幡神社,三輪田米山墓所(市指定)→浄土寺本堂・空也上人立像(重文)→久米官衙遺蹟群(国特別史跡)

瀬戸内という海上交通の要衝に位置していたため、伊予は商品経済が比較的早くから発達した。気候が温暖で物実りがよいから人口も多かった。近代以前の伊予は日本でも有数の先進地だったのである。だから県内には優れた文化財が数多い。ご承知のようによきパトロンがいてはじめて、職人はその腕前を存分に発揮する。だから優れた文化財は常に財力のあるところによく集まる。
 ちなみにわが松山市には国宝が3つある。国宝を持たない県がいくつもあることを思えば、これは実に驚くべきことなのだ。奈良や京都のような古都をのぞいて、こんなに国宝もちの都市がほかにあろうか。道後平野がその昔、豊かであった証拠といえよう。石手寺仁王門、大宝寺本堂、大山寺本堂、いづれも鎌倉建築を代表する優品である。残念ながら松山市民は、自分のそんな文化財の宝庫に住んでいることをあまり知らない。
 文化財保護法第27条は、「文部科学大臣は、重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるものを国宝に指定することが出来る」と定める。この条文からも明らかなように、国宝は「たぐいない国民の宝」なのだ。我々は地元に国民の宝が3つもあることをもっと誇り、そしてその活用をもっと真剣に考えてよいのではないか。
 国宝に準ずる重要文化財クラスまで視野を拡げれば、松山が誇るべき文化財はさらに数を増す。道後地区一つを取り上げてみても、中世城郭の遺構を誇る湯築城公園が国の特別史跡に指定されている。そして道後温泉のシンボル、道後温泉本館が重文である。
 明治期の建物だが、総三階建て純和風の建築が誇らしい。そして谷一つ隔てれば、そこは一遍上人誕生の寺、宝巖寺である。寺宝の一遍上人立像がすばらしい。室町彫刻を代表する優品である。そしてその南隣の伊佐爾波の丘には丹塗りの社殿が美しい伊佐爾波神社が建つ。中世には湯築城の鎮守として、藩政時代は藩主の祈願所として崇敬を集めた古社である。本殿、回廊、楼門等すべて重文と格式が高い。
 道後地区だけでもこれだけの重文に出合えるのだ。さらに足を延ばしてみよう。少し歩けばそこは石手寺である。国宝の仁王門をくぐると本堂、三重塔、鐘楼,護摩堂と、重文の建物がずらりと建ち並ぶ。遍路橋を渡ってしばらく歩くと、今度は四国霊場第五十番札所、繁多寺がみえてくる。そして鷹子町に入ると、そこは日尾八幡神社が鎮座する。繁多寺、日尾神社共にその裏山の樹叢がすばらしい。日尾八幡は書家として名高い三輪田米山ゆかりの神社である。彼はその昔、この神社の宮司を勤めていた。神名石に刻まれた米山の雄渾な筆致が一見に価いしよう。
 そして神社から僅か数百歩で、われわれは第49番札所浄土寺にたどり着く。平安時代、諸国を遊行して念仏を広めた空也上人ゆかりの寺である。本堂及び寺宝の空也上人立像が共に国の重文に指定されている。
 さて、鷹の子温泉前を過ぎて、家並みの中をさらに南西方向に進んでみよう。すると来住廃寺跡という道路標識にぶつかる。大きな仏塔の基壇が残っているので、これまでここは古代寺院の廃寺跡とみなされてきた。ところが発掘が進むにつれて最近漸く、ここが古代律令国家形成期の巨大な官衙跡であることが分かってきたのである。国による土地買い上げが進み、「久米官衙遺蹟群」として最近、国の特別史跡に指定された。古代国家の跡を伝える貴重な遺跡群である。
 といった次第で、湯築城公園から久米官衙遺蹟なで距離にして10キロ。なんと数多くの文化財がその間に横たわっていることか。10キロといえば、遠足にも散策にも程よい距離である。
 おまけに途中には湯加減のよい温泉が点々と湧き出している。残念ながら折角のお宝も、それが散策に適した道路でうまく結ばれていないのが現状である。いってみれば、これらのスポットは点在するだけで、それを結ぶ線がうまく整備されていないのである。
 そこで提案である。排気ガスを吸わないですむ快適な遊歩道で、これら文化財をうまく結ぶことが出来ないだろうか。これらのスポットをうまく結べばすばらしい「松山文化財ロード」が誕生するに違いない。提案する次第である。

第1回 北条、河野の里の文化財 

                       平成18年10月13日(金)
庄部落の薬師堂 木造菩薩立像2体、風早の里、昔は如何な豪族が暮らしていたのでしょう。
この2体の菩薩は唐招提寺風のもの。奈良朝末期か平安初期に作られたもの。

 北条地域の文化財を訪ねて

                   放送大学愛媛同窓会 
                    理事 十亀 義則

 去る10月13日、愛媛文化財協会 会長 小沼大八先生(放送大学愛媛学習センター客員教授)のご案内で北条地域の文化財を視る機会に恵まれた。最初に「善応寺」へ、さすが河野氏発祥の地だけあって、斎灘が一望できる場所にあった。河野通盛公が1336年(建武3年)道後湯築城に移すまでは、河野の土居館は京都の東福寺に模して、広大な寺院に改造した善応寺もあったようである。高台の善応寺より青い海、正面に忽那諸島が見えて心がなごむ場所でもある。境内には通盛の墓所や県指定の古文書・木造釈迦三尊像・金銅誕生仏立像などがある。     
     返り花源平遥か河野郷
  義則

 次は、「庄部落の薬師堂」で、普段はお目にかかれない国指定重要文化財「木心乾漆菩薩像」一躯(像高204センチ、全高233センチ)両腕の肘から先がなく、顔も損傷が目立つが目鼻両耳など乾漆を使っているそうで、お顔にも親しみが持て、奈良朝末から平安初期の作といわれ、県下で最古の仏像のようである。もう一躯の「木造菩薩立像」(像高は足元を欠失しているがそれでも215センチある)頭部もはっきりしないが、頭の髪は集め束ねており、天衣をかけ、胸飾・腕輪をつけ美しく立つ像であったと思われる。小沼先生が持参した奈良招堤寺の諸像の写真と見比べると共通する点がある。二躯とも奈良朝風の古風を存しながら、平安初期の伊予緒像の重要な作であったようである。立派な仏像収蔵庫に収められているので拝観することはできない。もう一つの建造物は薬師堂の本堂である。ここには松山市指定の薬師如来像と四十三の仏像が安置されている。
     稲が香や仏像つつみ館堂  義則
 三番目に、「奥の谷古墳」を訪れた。県指定の史跡になっているが、庄部落の民有地の山裾にある。この古墳は、東南部に入口を持つ横穴式石室で、全長十二メートル、玄室幅二、一メートル、同長さ六メートル、天井高二、五メートルの規模を持ち、巨大な花崗岩を用いている。と案内板に書かれている。古墳時代後期のもので、六世紀後半から七世紀初頭に造られたと考えられる。他にも北条地域にはたくさんの古墳があるが、県指定はここだけである。
     古墳跡みかん畑と同居中  義則
 四番目は、小高い丘の「光徳院」を訪ねた。ここから見下すと正面に鹿島が浮かんでいるようにみえる。この寺は、1303年(嘉元元年)僧尊龍上人が後醍醐天皇の勅願寺として開基したとある。ここには、県指定の御本尊の「聖観世音菩薩立像」や「阿弥陀如来立像」がある。

そして最後は、近くの「宗昌寺」を訪ねた。ここは住職自らが掃き清められた庭から本堂内に案内して頂き、県指定の「木造文殊菩薩座像」「大蟲禅師木像」と「大蟲禅師の墓(石造宝篋印塔)の説明を懇切丁寧にして頂いた。今回は、ここで文化財の探訪は終りになったが、北条界隈には沢山の神社仏閣・古墳があり、見れば見るほど興味津津、お忙しい中をこのような場所へご案内・ご説明して下さいました、小沼大八先生には感謝の気持ちでいっぱいです。
    風早や奈良朝憶ふ秋の風  義則