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第11号 平成21年11月5日発行

 事務局より               宮内正博

会員の皆様、如何がお過ごしでしょうか。日頃は何かとご支援・ご協力頂き、誠にありがとうございます。私は、この度の総会で三代目の同窓会会長に就任しました。今までの立派な初代、二代目の会長の後を継ぎ、責任の重大性を痛感しているところであります。実は、二代目会長の高須賀昭夫さんから八月五日の早朝に電話があり、急に入院することになったので、今後の事は副会長の田内聡美さんや理事・監事、「にぎたつ会」会長の稲谷吉彦さん等と相談して運営してほしいとのことだった。その日の八月五日と八日・九日の三日間は放送大学愛媛学習センターの広報支援活動があり「衣山サンシャインでのアンケート調査に協力して」主な理事の皆さんが来ていたので、内々の相談と九月五日に役員会を開いて話し合うことになりました。その役員会では「次期役員人事について」話し合った結果、理事を数名増やし、会長・副会長の人事を内定しました。今までの初代会長の山田進さんは人望・指導力があり、学習センターでの最初にサークル活動「にぎたつ会」を立ち上げられ、そして「愛媛同窓会」も設立した方でありました。二代目会長の高須賀昭夫さんは、愛媛学習センターでは最初の学部卒業生であり、文化協会などでも活躍しており、放送大学愛媛同窓会の設立当時からの理事で人望、指導力もあり、本当にうまく運営して、礎を築かれた方でありました。これからも引続き会長をやって頂けるものと思っていただけに残念でなりません。今は、ただ一日も早く元気になられて復帰されることを願っています。さて、「愛媛同窓会」の組織ですが、平成十六年三月六日に結成し、卒業生の皆さんとの楽しい親睦と交流の場にしていくことを目的に設立しています。ホームページも開設していますので「放送大学愛媛同窓会」で検索して見て下さい。活動方針としては、会員の皆さんの「ためになるか」「おもしろいか」「ニュース性はあるか」を基準にして、会報「石鎚」の年二回発行や行事をしています。具体的には、年末には、教職員や在校生との親睦交流の場として、「にぎたつ会」との合同忘年会、六月にはボウリング大会、ビアガーデンでの飲み会、十月の総会には講演会・懇親会などの楽しい行事を行なっています。   微力ですが、これからも会員の皆さんが参加してもらえるような、楽しい行事を計画して行きたいと思います。今後とも、皆さんのご支援・ご協力よろしくお願いいたします。

テキスト ボックス: 生きがい

             馬越 博 

歳を重ねるごとに「生きがい」を持つことの大切さを痛感する今日この頃である。今「あなたにとって生きがいを感じる時とは」と聞かれた場合、迷うことなく「剣道をしている時」と応える。ルールに従って、竹刀で打ち合い汗をかくことは、ストレス発散としても最高である。そんな剣道は、歳を取ってもできる唯一のスポーツである。県内でも、七十、八十代の剣士は多い。その人達が若者と同等にやっている。修練を積んでいる人は若者以上に達者である。それができるのも剣道ならではの魅力である。剣道は竹刀で打ち合う競技であるが、そこには奥深いものがある。心と技が両輪となり、それが一体となった時、本物の打ちがある。剣道の理念として「剣の理法の修練による人間形成である」と定められているが、それは、本物の打ち(正しい剣道)を求めてこそ得られるものである。剣道の魅力にとりつかれて生涯剣道を目指す者は多い。私もその中の一人である。私は、週に四回から五回稽古をしている。剣道漬けの毎日である。効果はバツグン。まず体力ができる。竹刀で頭を打つのも刺激になる。素足も良い。仲間ができる。共通の話題を持っているものが集まって話すのも楽しい。もう一つ挙げれば、禅に深く関わっており、人間修養の道に通じる。剣禅一如という言葉は、端的にそれを表している。剣道では、面を打ったり小手を打ったりするが、それは面や小手にスキがあるからである。ところが、このスキは、打ってやろうとその人の欲が出たところにできるものである。正に人生そのものである。「無欲」の大切さがよく分かる。しかし、いくら剣道の効果を挙げても良いことばかりではない。挫折も味わう。最近は年齢からくるものが多い。私も六十歳を過ぎて、高齢期の入り口にさしかかっている。ゴルフの世界でも「球が飛ばなくなったのでやめた」という人がいる。スポーツをするほとんどの人は、頂点を目指してやっている。健康のためにと思っている人でも、一歩上を目指している。それがなんらかの理由で体力が落ち、思うようにスポーツができなくなると、その挫折感は大きい。挫折に陥れば、本当に落ち込む。しかし、それから立ち直るのも人生である。立ち直るきっかけをつかむには、色々な人の生き方を参考にする。世の中には、普通では考えられないすごい人がいる。たとえば、ガンを告知され死期が迫っているのに平常心を保ち人生を歩んでいる人。障害を持ちながら、そのハンデを苦にすることもなく相当な努力で成功している人。その数は数え切れない。剣道でも片手で頑張っている人がいる。片手どころか両足がない人もいた。両足がないのにどうして剣道ができるのか疑問に思われがちであるが、その人は正座の体勢で右手に竹刀を持ち、移動する時は左手で体全体を浮かすのである。テレビで放映されたものであるが、実際に見るまでは想像できないことであった。これからの人生、問題は年齢と病気対策である。年齢によるリスクはジワジワとやってくるが、病気によるリスクは一挙にやってくる場合が多い。誰もが「若い頃は幸福だったが、今は不幸だ」ではいけない。求めるのは今の幸福である。そのためには、予防することは勿論であるが、どんなに挫折しても、立ち直る努力と工夫が大切である。そのエネルギーを得るためにも「生きがいある剣道」を続けたい。

生活と福祉 平成二十一年第一期卒)

 

第10号 平成21年5月26日発行

巻頭言 用意周到の大切さ   同窓会会長 高須賀昭夫

今年の三月に作家の平岩弓枝さんの講演会に行きました。三十年前のことですが、平岩さんの小説「花の影」がテレビドラマ化され、各地の桜名所が三年掛りでロケがされたそうです。三年目には、ワシントンのポトマック川の桜を背景にロケが組まれ、新珠三千代さん、杉村春子さんらが参加しています。ところが運悪く、ロケ前日に寒波が襲ったため、桜の花が全滅していました。

スタッフが途方にくれていたところ、小道具係りの山ちゃんが「先生、これを使ってみてください」と桜の造花を見せにきました。その当時は桜の造花は技術的に無理だと言われていましたが、若者の彼は、研究を重ねて良い生地を探し、本物そっくりの造花を完成させていました。彼は、誰にも言わず、一か月かけて桜の花びらを一枚ずつ作り、茎に張り合わせ、その量は段ボール三箱分もありました。彼は、万が一桜が咲いていないことを想定し、内緒で現地に搬入していました。  

日米友好のために植えられたポトマックの桜は、枝を折ったり木に登ったりは禁止されていたのです。そこでスタッフは、夜中に造花を枝に付けたのでした。その夜は、たまたま復活祭のため警察が休みだったので万事うまくいきました。その当時のメンバーが集まると、いつも山ちゃんのこの偉業が話題になります。

米国のサブプライム問題を契機に世界中が大恐慌になりましたが、この事態は万が一の事を想定していれば、当然に防止できたことでした。山ちゃんの様な用意周到な本当のプロがいれば、こんな事にならなかったと考えます。

余談になりますが、どんな組織でも山ちゃんの様な裏方のお蔭で物事がうまくいっています。ちなみに、愛媛同窓会でも、発足当初から会計担当の山本敬子さん、機関誌「石槌」編集で助手をされている中川正司さんなどのお蔭で当会が上手く運営されています。平岩さんは、とかく陽の目が当たらない裏方にエールを送りたかったのでしょう。


バリ島訪問記    愛媛大学名誉教授 井門 義男 

ハワイ大学東西センター

ハワイ大学東西センターの主催する国際会議・兼同窓会が、インドネシア・バリー島で昨年11月中旬に開催され、日本からも約30名の関係者が参加し、多種多様なジャンルの研究発表が披露された。参加者350名の中には、ずっと以前にオバマ大統領の母親にホノルルの高校で英語を教えたという参加者もいて、文字通りアジア・太平洋諸国の国々が一堂に結集し有意義な会期の様相を示すものだった。このハワイ大学東西センターというのは、アセアン諸国を基盤に、アジア・太平洋諸国、欧米等を含む18か国に国際委員をもつ非営利団体の高等教育機関である。1960年に米国政府によって設立。これからの地球規模の観点にたち、人々が幸せにそして平和に満ちた生活が営まれるようにと、研究機関での分野は、文系・理系を問わず幅広い専攻に分かれている。ちなみに私の専攻分野は「英語教育」で、公費在外研究員として1962年に受け入れられた。勿論本格的な英語の修業を始めたのもこの頃からである。以来半世紀。今以て出口を模索している。つまり、一国の外国語をマスターすることは、針の耳にらくだを通すよりも難しいと言うことを実感している昨今である。

国際会議のテーマとその関連

 会議のテーマは、いかにもバリーに相応しく、―UNITY  IN  DIVERSITY― 。つまり『多様性の中に見られる統一性』(筆者訳)ということであった。「インドネシアの人口は24千万人で、世界第4 位。百を超える多民族・多言語国家である上に、日本と同じ島国であり、島の数は17千を超える。こうした地理的状況よりかもしだされる測り知れないハンデイキャップ を乗り越えて、今日の民主化を創り上げてきた。また宗教的にも世界最大のイスラム教信者を有する国であり、民主主義とイスラム教をうまく両立させ、勿論宗教の自由も認めており、多種多様性を統一あるものに創り上げてゆく英知と協調性、更には忠誠心を有している民族である。」(平成21424 愛媛新聞掲載の駐インドネシア大使・塩尻孝二郎氏の講演より一部引用)

 本会議のテーマに相応しく、各種分科会では共通して地球温暖化対策、地震・津波、IT通信、異文化間コミューニケーション等に関する研究成果が発表された。松山から同行していた学友・村上嘉一氏も教育の部門で〜PCを使っての高等教育の再考〜というテーマで、すばらしい発表をされた。

 私の部門(英語教育)では、インドからのラオ博士、韓国・ソウル大学からのチャン教授と半世紀振りに再会。 50年前の姿そのものに、バリーにて遭遇。〔学べば老いて衰えず、死すとも朽ちず〕という金言が脳裏に浮かびただただ呆然とするのみ。その時の両氏の眼差しは、バリーの子供の様に、輝いていたのが特に印象的であった。

 正直に申し上げて、私は今までに約20か国の諸国を訪れたものの、観光ルートでさわがれる美しい風景、おいしい食べ物、みやげ物、等のことはすぐ忘れてしまいがちである。バリーでは、と問われると土に生きる農民の汗のにおい、土のにおい、また島々に目を転ずれば、日に焼けた漁師の星のような眼差しなのである。島民が自然と雄雄しく取り組んで生きているその生き様を垣間見るとき、私の心は限りなくいやされる。

タクシーとの出会い

バリーの海辺、市街地からかなり離れた田舎町でタクシーをひろわねばと、歩道で待つことにした。この地域では道路を行き交う車の数もそれほど多くはない。そんな時、反対車線走っていたタクシー一台。これはとばかりに、手を上げそのタクシーにUターンを要請。ところがUターンの間に、別のタクシーが7,80メートルの間隔をおいて、直進してきた。結局学友との短時間の口論のすえ、私は自らの主張を退け、先着たタクシーに乗ってしまったのである。如何に帰路を急ぐ旅とはいえ、私の胸中には、道中穏やかならざるものがあった。否それよりも、我々の軽率な判断により、結果的には正当な同業者の仕事を奪ってしまった先着の運転手は、我々に対しホテルまでの道中瞬時として笑みを浮かべることはなかった。こうした運転手の生き様から、私たちは測り知れない人生の道しるべをいただいた次第である。

島民のCREATIVITY (独創性)

島民の素朴な生活の中から、彼ら自らの創意と工夫によって生み出されたCREATIVITY なるものは、島のここかしこに見られる。その前に独創的な考えについて、少し考えてみたい。専門の話になって恐縮であるが、下記の英詩をご覧頂きたい。         

The dog is lying by the door. 

 The cat is sitting on the chair.

The pen is lying on the floor.

There is contentment in the air. (ロンドン大学・ウィドウソン教授)

私が1985年から86年にかけて、ロンドン大学在外研究員として研究に従事した際に氏の講演の中で接したものである。よく見ると最初の3行はすべてbe動詞+〜ingの文型を示しているのに対し、最後の行は先行する3つの枠組みから逸脱していることがわかる。この逸脱に対して読者は、各種各様の想像を思い巡らし、最終的にはその読者にしかない文学的洞察を創り出すものである。この様にして生み出された洞察力を私はCREATIVITYとよびたい。

 更に具体例を一つ紹介させていただきたい。バリー会議後のある夜、私はグループの者と共にケチャックダンス(バリーを代表する物語風の舞踊)を観るために市郊外の屋外舞踊広場に向かった時のことである。車を降りて狭い路地を歩いていると、左右に並ぶ民家の玄関(入口)の丈が極めて低く造られていた。そこで現地の案内人にそのわけを聞くと、実は強盗、窃盗、等で現地を襲う悪質な西欧人が容易に入れないように、いわばストッパーの策として当時の人々が編み出した所以である由。そう言われてみれば、これとよく似た土地に生きる人の知恵として、私はイギリス・バーミンガムの田園地方で以前見とどけたCATTLE GRID なるものを回想した。それは現地で放牧されている牛や羊が家の屋敷に勝手に入ってこないように仕組まれた策で、屋敷入口に厚い鉄板を敷き、それに牛や羊の蹄がはまって進めないように工夫が凝らされているもの由。

終わりに

 インドネシアと言う国は1945年に立憲体制の国として独立。以来250を超える民族の多様性、多言語、多宗教と直面する数多くのハンデイーを一つ一つ克服しながら、いまやG20の一国にまで発展し、ASEAN(東南アジア諸国連合)の中のリーダーから、今後世界のリーダー国としてその指導的地位が期待されている。

その様なインドネシアの中枢ともいえるバリーの滞在は、短期間のものであったにも拘らず、それは今日我々が置かれている生活環境の外に自らを置くことによって得られた体験であっただけに、今もなお私の心に大きな収穫として根付いているのである。

風呂敷文化とトランク文化 愛媛学習センター長 讃岐 幸治

                               かつては外出するときは、必要なものを風呂敷に包み出かけたものだったが、最近は駅や空港で見かけるのはトランクである。義理人情の世界に生きる「フウテンの寅さん」までも大きなトランクを持って旅を続けている。今や風呂敷を持ち歩く人は少なく、トランク花盛りである。 風呂敷は、布切れ一枚であり、なんとなく野暮ったい。それに比べてトランクは皮製の箱型の入れ物で、手の込んだ細工も施されている。トランクを持ち歩く方が、かっこよく、華やかに見えるからかもしれない。ところで風呂敷もトランクも、ものを入れる入れ物であるが、その特徴に焦点を当ててみると、大きな違いが見られる。風呂敷はスイカでも包めるが、トランクはそうはいかない。トランクは、ハバと奥行き、高さが決まった箱物であり、その箱に収まるものでなければ、詰め込むことができない。トランクは、自らの枠に収まらないものは排除する。さらにトランクのなかをみると、間仕切りがしてあり、小物を入れる間仕切りのなかに大きなものを入れるわけにはいかない。それぞれの間仕切りにあわせて分割して入れるしかない。

 それに対して風呂敷は、何でも包み込むことができる。丸かろうか、四角であろうが,三角であろうか、いびつなものであろうが、何であれ包み込むことができる。風呂敷は、入れるものを選ばない。スイカであれ、一升瓶であれ、風呂敷は包み込んでしまう。その上に簡単な手提げ・リュックにもなるし、寒いときにはスカーフ代わりに使うことができる。必要ないときにはポケットに仕舞うことができる。場所もとらない。重宝この上のないのが風呂敷ということになろう。融通無碍というか融通性に富んでいる。

 トランクは西洋文化の代表、風呂敷は日本文化の代表のようである。西洋文化はトランクのように自らに合わないものは排除する文化であり、日本文化は風呂敷のようにどんなものでも包み込んでしまう包容の文化であるといっていい。

 たとえば宗教にしてもそうだ。イスラエル、イラク、パキスタン、パレスティナなどでの戦争、紛争をみると,宗教だけが原因でないとしても、それらの国では自分の宗教以外のものは絶対に認めないどころか,徹底して他を排除しようとしている。トランク型の文化である。それに対してわが国では、結婚式は神式で、クリスマス会をやり、正月には神社にお参り、葬式は仏式でやる。それに対して何らの違和感もない。包容力に富んでいる。何でも受け入れる、包み込んでしまう風呂敷型の文化といっていいだろう。

 こうした視点で見渡してみると、衣服もそうだし履物もそうだ。背広などの洋服は、だれで着られるものではない。身体の大きな人が身体の小さい人用の洋服を着ることができない。身長や胴回りなどが決まっており、それに合う人しか着ることができないのが洋服である。それに対して和服は、太った人でもやせた人でも、背の高い人でも低い人でも、同じ一枚の着物を大概の人が、だれでも着物の寸法を多少調整すれば自由に着ることができる。とても融通性に富んでいる。成長にあわせて、裾をおろして着ることができる。履物にしても、西洋と日本とではトランクと風呂敷のようである。靴はどれでもいいというものではない。多少なりとも小さめの靴を買うものなら、靴ずれがして履けたものではない。他人の靴はまず入らないし、入ったとしてもぶかぶかで歩けるものではない。靴に合った足しか受け入れないのが靴である。それに対して下駄や草履は、足の大きさがちょっとくらい大きくても小さくても、履ける。下駄や草履は、融通性のある履物ということになる。

 家屋はどうか。最近は洋風の家が多くなった。各部屋が壁で仕切られている。出入りはドアである。ドアに鍵がかけられると、家族のものでも他の部屋に自由に入れない。トランクの間仕切りのようになった。日本家屋は、障子と襖で仕切られている。だれでも自由に出入りできる。その上に障子や襖を取り外せば、大部屋として使える。融通がきく。 庭園に目を転じてみても、西洋と日本では違う。トランクは入るものと入れられないものを明確に区別する入れ物であるように、西洋では人間と自然とを明確に区別した庭園をよしとする傾向にある。自然とはまったく似ない幾何学的なデザインを特徴とする庭園づくりになっている。自然には存在しない「人工」的なものが美しいとされている。それに対して日本の庭園は自然を包み込む、自然と見間違えるほどにつくられた庭園が美しいとされる。借景がそうだし、石組みがそう。なお西洋と日本の庭園で最も違うなと思うのは、西洋は自然に逆らって下から上に向かって噴出す噴水に対して、日本は自然に水が上から下に向かって水が落ちる滝づくりだ。自然に逆らうことなく、自然と一体化する庭づくりがよしとされている点であろう。

 また人間関係にしても西洋と日本では違うようだ。トランクが自分のなかに入るものしか入れない入れ物であるように、西洋では独立や自律など個人の分離を重視する個人主義的な人間関係が主流を占める。子育てにしても、小さいときから子ども部屋に入れて独立・自律を目指させる。問題が起こせば、何事であれ自己責任だとして罰せられる。それに対して日本では風呂敷のように包み込んでしまう。区別、分離することよりも関連性を重視する傾向にあり、集団主義的な人間関係が主流を占めている。もう少し簡単に言えば、西洋はトランクのように他を排除して個々人の独立を、日本は風呂敷のようになんでも受け入れ相互の和、連帯を重視する人間関係を特徴とするといえる。

最後にもう一つ、風呂敷は小さくたため、どこにでもしまえるのに対して、トランクはなかに何も入っていなくても、それ自体が場所をとる入れ物である。この点も西洋文化と日本文化の違いを示すものといえる。椅子と座布団を比べてもいいし、ベツトと布団を比べてもいい。椅子やベツトは一定の場所を占領しつづる。それに対して座布団や布団は必要がなければ別の場所にしまえる。

 日本は風呂敷文化であり、西洋はトランク文化である。こうみていいのではないか。

もう一つの自分   王 明炯おう めいけい

みなさん、ニーハオ!今年の春、私は無事に放送大学を卒業しました。とても嬉しかったです。卒業認定通知書が届いた日、封筒を開けてみると、私が卒業できたことを信じられなくて、すぐ放送大学愛媛学習センターに電話をかけて確認しました。事務局の方が私の声を聞いて、すぐわかってくれて「卒業おめでとうございます」と言ってくました。それを聞いて、安心してよかったという気持ちでいっぱいでした。これまで私の勉学にご指導を頂いた先生や愛媛学習センター長をはじめ、支えていただいた皆様、本当にお世話になりました。

私は九年前の春、留学生として今治明徳短期大学の生活科学学科に入学しました。入学後、初めて介護という単語を知り、興味深く介護基礎知識の授業を受けました。日本に来たばかりの私にとって、授業の内容がとても難しかったです。それで、教科書の図を見たり、先生に聞いたりしてだんだん分かるようになり、福祉に対してとても興味が湧いてきました。二年間の留学生活を終え、私は短大で職員として働くことになりました。しかし、福祉に関する専門的な知識はまだ不十分だと思い、どこかの大学に入って詳しく勉強したい気持ちはずっと持っていました。ある日、学校の図書館で本を見る時に、放送大学のパンフレットが目に入って、ついでに一部持って帰りました。よく読んでから、私は興味を持っている生活と福祉専攻があり、また、放送大学は働きながら学習できる大学で、よかったと思って、さっそく申込をしました。これをきっかけとして、愛媛学習センターに通うことができました。自分の好きな分野の勉強ができ、とても嬉しくて毎日充実している感じでした。できれば将来勉強した専門知識を活かして、中国で福祉専門学校を作りたいという夢も持ちました。

しかし、入学してしばらくしてから、仕事と勉強の両立が予想以上に大変でした。勉強した福祉に関する内容について、中国の友達と話しても、みんなが理解できなく、学校を作る夢を友達に反対されました。その理由の一つは、中国の国民の意識と国の制度がまだ十分ではないからです。中国の家庭では、年寄りを施設に預けることはとても不孝に言われます。また、現在の中国の医療制度では、福祉に関する制度はまだ具体的に成立されてないからです。向上心があっていいことだと褒めてはくれましたが、勉強している専攻は、将来中国では就職が難しいと、友達はそう言いました。また、今治から松山まで通う間の疲れもだんだん出てきて、どうしようと思ったこともあり、勉強も進まなくなりました。今までの私は、一つの目標を決めて、目指す途中で何らかの理由で、あきらめたことがあり、そのため、何度も後悔した経験がありました。今回、途中で退学したら、またいつか後悔すると思いました。たとえ将来帰国して今まで勉強した内容がすぐ役に立たなくても、あきらめて後悔することはもう経験したくないです。自分の最初の入学の目標を目指して最後の卒業まで頑張らないといけないと決心して勉強を続けてきました。

振り返ってみると、放送大学愛媛学習センターへ通ったこの五年の間、大変なこともありましたけれども、自分自身にとっていい体験をしながら、もう一つの自分が見つかって、とてもよかったです。これからより自信を持って、いろいろなことをチャレンジすることができると信じでいます。生活と福祉 平成21年第1期卒

  

第9号 平成20年10月25日発行

☆ 祭り雑感           同窓会会長 高須賀昭夫

十月は、各地で祭りが開催されるが、日本の神事は年間を通じてかなり多く開催されている。祭りを含めて、日本の神事は、神様をお招きして人間がお接待をして、神様に喜んで頂くことを目的にしている。つまり、神と人間がお互いに遊ぶと言う交流の場を通じて神より力を頂くのである。

 民俗学で、「ハレ」と「ケ」と言う概念がある。「ハレ」とは、晴れ着のハレであり、晴れ舞台のハレであり、祭りなどの公の神事の事を指している。一方の「ケ」は、けがれのケであり、日常の穢れや、

疲れの事を指している。祭りなどの神事は、神事と

言うハレの場を設け、日頃のけがれや疲れ等のケを取り除く行為だと言われている。

したがって、我国で神事が、年間を通じ頻繁に行われるのは、再生の儀式を多くすることで利益(りやく)をいただく為である。つまり、我々は再生することで元気になっていったのである。

 祭り等の神事では、多くの人々が集まり祭礼が誕生していったが、見方によれば、神をダシにして人間同士が交流していったとも言える。どちらにしても、日本人は、祭り等の神事により、神より活力を頂き、これにより勢いや飛躍を頂ける事を深く信じていた。だから、今でも神事に関係ないところでも、例えば、百貨店などの特別な企画展やスナックなどの行事でも祭りの名称を付けたがるのである。

 なにはともあれ、人と人の交流は、我々の潜在する力を飛躍させてくれる原動力があることに違いはない。同窓会総会、講演会なども、見方によれば、祭りとも言え、これを契機に飛躍の原動力になれば良いがと願っている。

愉しく生きて楽に死ぬ 

                               愛媛大学名誉教授  小沼 大八

社会の第一線を退いて、はや数年が経つ。「乞食と年金生活は三日やったら止められん」と教えてくれた友人がいるが、このエッセーの読者諸氏にもわたし同様、年金生活を送っているひとは多いだろう。

なにはともあれ、働かずに月々の生活費を振込んでくれる(少し足りないが!)のだから有り難い。かくなれば長生きをせねば損だとばかり、健康には大いに気を遣っている。

早寝早起きに努め、少々義理を欠いても二次会には付き合わず、温泉に通っては心身を清め、そして夜はアルコールで心身を消毒する。おかげでお腹がちょっぴりメタボなほかは、まずまずの健康状態である。

それにしても許せないのは、社会保険庁のあのお役人たちの無責任ぶりである。なまじ権限を握っているだけに、公僕精神を欠いた役人ほど、度し難いものはない。

 現役時代は仕事に追われ、日々の生活も仕事を中心に回転する毎日だった。だから仕事の合間を縫ってするちょっとした遊びが、なんと愉しかったことか。デパ地下を散歩したり、書画骨董店を冷やかしたり・・・。けれども定年後のいまは、そんなセコイことをする必要もない。刻苦精励する必要もなければ、切磋琢磨する必要もない。老後のわが願いは、「愉しく生きて楽に死ぬ」ことに尽きている。

 「愉しく生きる」にはどうしたらよいのか。なにはともあれ健康が第一である。健康を損ねると体力・気力が落ち込んで、愉しく生きることへのエンジンが掛からない。大病などすると、老人は一挙にひとが変わったように老けるからご用心だ。健康には遺伝的要素も大きいが、さりとて日常のちょっとした心掛けが健康を左右することはいうまでもない。

規則正しい生活を心掛けよう。野球とおなじで、われわれのからだもイレギュラーするとエラーが出やすいのだ。

 食生活にも気を配ろう。最近食品にたいする信頼が揺らいでいる。困った話だ。思えばわが国は農業と工業との落差があまりにも大きすぎる。だからこれだけ農業に適した風土に暮しながら、食料自給率がきわめて低い。いまの日本が抱える大きな課題だと思う。

日本はもっと食糧自給率を高めねばならない。

「身土不二」「医食同源」「地産地消」などと、JA農協が喜びそうなスローガンを並べるが、こうした格言には健康への深い教訓が宿っていることを忘れてはなるまい。

 そして運動。運動といっても、過激な運動は「年寄の冷や水」だ。わたしの周囲をみても転んで怪我をしたり、腰痛や関節痛に苦しむ老人が多い。原因の多くに筋肉や関節の硬直が挙げられる。してみれば老人はからだの鍛錬よりもむしろ、柔軟さを心掛けるべきであろう。

ちなみにわが知見によれば、からだが硬いひとほど頭の働きも硬い。歩け!歩け!歩け!歩くにまさる柔軟体操はないのだ。最近はどこの総合病院も整形外科の入院患者がいちばん多いという。ほとんどの患者が老人である。吊ったり、引っ張ったり、暖めたり冷やしたりと、あたかも人間修理工場を見学しているようで考えさせられる。

 ストレスもまた健康の敵である。いまストレスに苦しむ老若男女はその数を知らない。世はまさにストレス時代なのだ。そのためストレス退治の療法が大繁盛。精神医学者や臨床心理学者たちは大忙しである。けれどもストレス退治にひと手は要らない。足繁く温泉に通って心身を清める(ミソギする)ことだ。そして夜はアルコールでよく心身を消毒することだ。少々のストレスなど、たちまち雨散霧消するから不思議である。

 そこで問題は老いの愉しい生き方である。なにをどうすれば老後を愉しくすることができるのか。ズバリ言おう!「輪」と「巡り」である。「輪」はサークルの和訳。そして「巡り」は文字どおり、あっちこっちと巡り歩くことを意味する。

 市民社会が成熟してきて、われわれの周辺にもいまや文化サークル、趣味のサークル、スポーツサークル、ボランティアサークルなど、さまざまなサークル活動が活発である。

してみればそうしたサークル活動に臆せず参加しよう。生き甲斐ができる。元気がもらえる。ボケ防止にもなる。そしてなによりも仲間ができることが愉しい。老人はともすれば引き篭もりがちである。けれども引き篭もると、喋らないからすぐに言葉を忘れる。いざ喋ろうとして言葉が出てこない悲惨を味わうことになるのだ。気楽に馬鹿を言い合える仲間ほど有り難い存在はないといえよう。

 「巡り」もまた愉しい。たとえばいまわたしが身を入れている巡りに、花巡りがある。年間の花暦を作って、近隣の花の名所を巡り歩くのだ。暮らしに花が添えられてとても愉しい。帰路温泉に立ち寄ってミソギなどすれば、それこそ気分はルンルンだ。かくして巡りに身を入れ始めると、旨いもの巡り、古本屋巡り、文化財巡り、神社仏閣巡り、景勝地巡り、美術館巡り、さては世界遺産巡りなど、つぎつぎに巡りたいところが湧いてくるから、ゆっくり昼寝をしているヒマもない。老いを愉しく生きるにはどうしたらよいのか。

そのキーワードは「輪と巡り」に尽きるといえよう。

 「楽に死ぬ」にはどうしたらよいのか。死が近づくと、われわれのからだのあっちこっちの機能が麻痺する。そして最後に心臓が停まればあの世行きである。闘病生活や入院期間が長ければ長いほど、われわれにとって死への道は苦しいといえよう。最近よく聞く言葉にPPKがある。ピンピンコロリの略語だという。要するに昨日までピンピンしていて、今日コロリと往くあの死に方である。思えばこれにまさる楽な死に方があろうか。いま懸案になっている医療保険の赤字や病院不足、医師不足なども、皆がPPKであの世に往けば、一挙に解決するから世話はない。 そこで問題は、どうしたらピンピンコロリであの世に往けるかだ。有効な処方箋がないから、やはり人間は死ぬのは難しい。ただヒントがひとつある。人間のからだの真ん中に心臓がある。しからばこの真ん中の心臓から一挙に死ぬのだ。残念ながらひとはからだの端からジワジワと死んでゆく。だから時間が掛かる。そして苦しい。足先から死なぬように足を鍛えよう。頭のてっぺんから死なぬように頭を鍛えよう。PPKで往くための秘訣だといえようか。そしてもうひとつ、忘れてはならぬことがある。やはり神仏によくお祈りすることだ。南無PPK!南無PPK!南無PPK!。

第8号 平成20年5月25日発行

             同窓会会長   高須賀 昭夫

元海軍大佐で反戦論者水野広徳    

 水野は、松山 三津の出身で遠縁にあたる秋山真之の軍服姿に憧れて海軍兵学校に入学した。彼は日露戦争での日本海海戦の従軍体験を下に海戦記「此一線」を上梓した。この本は当時一大ベストセラーとなり、この印税などを元手に私費で第一次世界大戦のヨーロッパを二回にわたり視察している。

第一次世界大戦によるヨーロッパの戦死者は、軍人だけでなく国民を巻き込み約千二百万人、負傷者は約五千万人の犠牲者を出していた。猛攻で破壊し尽された戦跡を見て回り、近代戦がいかに残虐であるか、また、庶民が戦勝国も敗戦国も同様に悲惨な生活を強いられるかを実感した。

これを契機に、彼は戦争が人類最大の愚かな行為であることかを確信し、軍国主義の日本がいかに危険であるかを痛感した。盲目的な軍国主義者、帝国主義の賛美者から、反戦、人道的平和主義者へと一大転換をとげた。四十七歳で退役後は、対米非戦争者となり、仮想敵国としていた米国とは絶対に戦争してはならないという、論陣を張った。彼は、二十年も前に戦えば東京全市が一夜にして灰塵に帰すと大空襲の惨禍を的確に予言している。

 彼の主張は、当時世間に受け入れてもらえず、非国民のレッテルをはられ、昭和七年頃より反戦論的な意見は、一切 雑誌、新聞などで執筆禁止処分となった。水野の名前は、国内より米国においてよく知られており、米機の投下した宣伝ビラに写真入で水野の文章が引用されている。

昨今 憲法第九条改正が議論されているが、今一度 彼の反戦論思想に注目すべきではないか。なお、十月十一日に別記の要領で講演会を企画していますので、ぜひご参加ください。                (人間の探求平成十二年一期卒) 

『石鎚7号』巻頭言

   長寿の秘訣             同窓会会長 高須賀昭夫

私の友人が、大州市に住む遠縁の老人から長寿の秘密を聞いてきた。その御仁は、百歳に近い年齢でありながら、先ほど趣味の水墨画の個展を開催するなど凄く元気な方である。長寿の秘訣の第一点は、常に明日はどんな事をして楽しもうかと考えるのだと言う。例えば、桜の咲く季節であれば、近くの桜の名所を見物に行くことを考える。また、別の日には、近くの友人や従兄弟の家を訪問し交流を図ることを考える。ただ、単に考えるだけでなく、そのプランを毎日必ず実践している。第二点は、寝る前に今日出会った方で感謝したい方を思い浮かべ、心から感謝すると言う。例えば、朝の散歩において「おはようございます」と声をかけてくれた小学生に対して感謝している。第三点は、一般的に世間では年をとれば欲を捨てろと言うが、これは間違いだと断言する。例えば、八十歳の方であれば百歳まで生きたいという欲を必ず持つべきと言う。百歳の方であれば、百二十歳まで生きたいと欲を持ち続けろと言う。この生きたいと言う執念、つまり、欲が、食欲や意欲に繋がるのであろう。我々は、この老人に見習って、大学卒業後も放送大学で学ぶことで楽しみを見つけ有意義な人生を送りたいものである。

学びから遊び・楽しみとしての学びへ センター長 讃岐 幸治

     センター長讃岐先生と職員の方の昼休み

昼休みの一時、三好さんと政田さんと新聞記事をめぐっておしゃべり。キッカケは「神戸大が中高一貫校新設――094月 受験エリート校にはしない」 (毎日新聞、2007,8,22)の記事からはじまった。わざわざ「受験エリート校にしない」と強調している点に興味をもった。その記事の横に目を向けたら、大阪芸術大学のキャラクター造形学科の学科長として「子連れ狼」の原作者、日本を代表する漫画家の小池一夫の名前があった。最近では、こうしたマンガ、アニメ学科を設置する大学が増えてきているらしい。この二つの記事をもとにおしゃべりが本格的になっていった。一つは受験から「苦痛」「勉強」をイメージし、もう一つはマンガから「楽しさ」「遊び」を連想したためだったと思うが、それらを対比していくなかで、わが国における文化・産業や学習・学びのあり方に「遊び」の要素が表舞台に現れつつあるのではないか。こうした展開だったようだ。ここでは、二人に触発されたことをもとに、二つの流れについて触れてみたい。一つは、日本の文化・産業のなかに「遊び」の要素が大きな比重を占めてきているのではないか。かつては、マンガを見たり遊んだりしているものなら、「そんな暇があれば、勉強なり手伝いをせよ」と、マンガや遊びはつまらないもの、無駄なものとして扱われていた。私自身、マンガが好きだったが、周囲に馬鹿にされるようで、隠れるようにしてむさぼり読んでいた覚えがある。大学にマンガ学科・アニメ学科などが設置されることなど夢に思っていなかった。ところが今日では、「三国志」にしろ「経済白書」にしろ、マンガ本やアニメで見たという世代が多くなっている。「日本の歴史」などもマンガで学んだという子どもが多い。若い者だけでなく麻生外相にしても大変なマンガ愛好家といわれる。「ポケモン」つまり「ポケットモンスター」からして、67か国、2地域で放映され、世界で総額2兆円規模といわれるテレビ業界における日本アニメの占めるシェアは65%といわれる。アニメやコミックは日本発の文化として、また日本経済を支える一大産業になっている。これが現実だ。マンガやアニメだけでなく、洋服や電化製品、化粧品、すべての商品がもの自体の値段よりもデザインやブランドロイヤリティに支払う値段の方が高くなっている。一見無駄と思われる遊びの部分に多くの金を支払っている時代になったともいえる。こう考えると、これらを支える人材を養成しようとマンガやアニメ学科などが大学に設置されるのも当然で、経済構造、文化構造が変わり始めているということである。もう一つは、学びが「勉強」「苦痛」から「楽しさ」「遊び」の方向へ変わり始めているということである。わが国では、何かを学ぶということを「勉強する」といってきたが、「勉強する」といえば「強いて勉める」であり、「無理に」とか「無理をする(させる)」とかの意味で使われていた。受験「勉強」をするのは「苦痛をともなう労働」「無理をすること」であり、それから解放を常に願って送る苦行のことだった。買い物で値引きしてもらうとき、「勉強してください」というが、これは買い手が売り手に対して無理強いすることである。売り手にとっては苦痛なことであろうが、そこを我慢して、堪えてもらうことを「勉強してください」といっていた。いまや、学習することは他から強制されて無理にさせられる勉強という観念を払拭し、本来的に楽しいものであるという観念が芽生え始めている。自らすすんで学ぼうとするのは、楽しいからである。放送大学でも、生涯「学習」をあえて生涯「楽習」という言葉で言い換えたり、『自ら「学び」を楽しむ方々「学人」を応援します』といったキャッチフレーズを使ったりしている。それは、学習は無理に誰かに強いられて行うものではなく、「マンガやアニメ」を見たり読んだりするように、自らすすんで行う「楽しい」行為である、ということを強く打ち出そうとしてのことである。「俳句に遊ぶ」、「書に遊ぶ」などともいう。いまや勉強・苦痛としての学びから楽しさ・遊びとしての学びへと移りつつあるのではないだろうか。こんなおしゃべりだった。

気になる「き」の話 

日本語には、身体の名称を使った言葉が数多くある。例えば腹であると「太っ腹、腹が立つ、腹に一物、腹を探る、腹が悪い」などである。鼻であると「鼻が高い、鼻であしらう、鼻につく、鼻にかける」などである。日本語の成立は、いにしえの古語を漢字に変えたことに由来する。特に動詞に注目すべきと考える。このことを源として多くの言葉が創られていった。例えば、古語のうつを漢字で「打つ」と表現した。そこから打算、打倒、打破、打撲などの言葉が派生していった。日本では、明治維新後に欧米文化を伝達する際に、あまりにも日本語のボキャブラリーが不足していた。そこで福沢諭吉、西周などの啓蒙学者が大量に日本語を創造したのである。つまり、我々が日常使っている日本語は、明治時代に造られたものが大半である。古語の中で日本人が一番好んだのは、「き」の言葉である。この気を源に百二十ほどの日本語が誕生した。例えば、「気が長い、根気、意気、気転、気難しい、気迫、天気」などである。松山地方の方言に「あの人、けなかった」という表現があるが、これは死んだことを指している。「け」は、気と同系列であり、その人の気が亡くなったこと、つまり、死を指している。日本人は、ここに挙げた「腹、鼻、打つ、気」のように一つの古語を根幹として、多くの言葉を誕生させた。日本語の成立について、ぜひ皆さんにも関心を持っていただければと願っている。

 


特別寄稿

クラス会

                  客員教授 小沼大八 

 高校を卒業してことしでちょうど五十年になる。そしていまだにつづいているのが、わがクラスのクラス会である。二年に一度開く決まりだが、ことしは琵琶湖湖畔に建つホテルが会場だった。なにからなにまでヨーロッパスタイルの、結構づくめのホテルである。会員制で一般客はお断わりらしいが、事業に成功した級友がいる。そいつの口利きで部屋がキープできたのだという。われわれ小市民には縁遠い話だが、いまの日本には会員制という名の富裕層がおるらしい。なにしろ広島県の田舎町の高校だったから、校区がやたらに広かった。だからわがクラスにも山から下りてくる連中がいた。島から上がってくる連中がいた。戦後の貧しい時代だったが、おかげで山にも海にもよく遊びに出掛けた。男女共学で三年間クラス替えがなかったためか、わがクラスは殊のほか仲がよかった。そしてクラスのパワーは常に女性の側にあった。クラス会がいまもつづく一番の理由に、このパワーが挙げられよう。そしてもうひとつの理由はなんといっても、高校時代の三年間、われらのクラスの担任だったライオン先生の存在である。そのふところから育ったという一体感が、われらのクラス会を支えているといってよい。丸刈り頭に鼻ヒゲを生やし、色付き眼鏡を掛けたその風貌からして愛想がない。それでもライオンとあだ名されるその風貌が、われらの敬愛を集めていた。豪放磊落でいて、そのくせいかにも寂しげで、あたかも草原をさまようライオンのような存在感を感じさせた。仄聞するところによれば、先生は幼くして両親を失ったという。おそらく人生の辛酸を舐め尽くされたにちがいない。身辺に漂う寂寥感が無言のうちにそのことを語っていた。そしてその寂寥感が先生を歌詠みの道に導いた心でもあったか。ライオン先生はすぐれた歌人でいらっしゃった。「木槿(むくげ)」という名の短歌会を主催し、少数だが熱心な門人を育てておられた。そして先生はしきりに、われわれにも短歌を作ることを奨励された。先生の選に入って、「木槿」の雑詠欄に自分の作品を見つけた時のあの喜びを、わたしはいまも忘れない。
  眼を閉じて母を思へば海浮かぶ

         海を思へば母あらはるる  
 先生の十三回忌に、門人たちが建立した歌碑に刻まれた一首である。歌碑は音戸の瀬戸を見下ろす景勝の地に建つという。なんと心やさしい歌だろう。母のイメージが海に溶け海がふくらんで母となる。海には「産み」の言葉が掛かっていると読むべきか。産みの母を恋うる一首と読み解きたい。さて、われらがクラス会のことを語ろう。今年は琵琶湖湖畔に十三人が集まった。およそ四分の一の出席率である。思えば卒業してすでに五〇年、鬼籍に入った連中も数人ではない。それを思えばよく集まったといえるかもしれない。「幸せな奴が出てくるクラス会」という川柳がある。言ってみれば、クラス会は「幸せクラブ」なのだ。長年つづけるとおのずから、出席する顔ぶれが決まってくるのは止む得ない。とはいうものの、いままで一度も顔を見せなかった男が突然、幸せいっぱいの顔をぶらさげて現われたりするからクラス会はオモシロイ。高校時代は難渋な男だったが、そいつが臨月のような太鼓腹にゴルフ焼けした額を乗っけて現われたから、全員が「おーっ!」と驚きの声を発したのも無理はない。しかも風貌ばかりか、そのしゃべくりまでがまるで吉本ではないか。たちまち一座のアイドルとなって、かれは五〇年の空白を一挙にとりもどしたのである。さて、クラス会が「幸せクラブ」だとすれば、われわれ老人にとって幸せとはなにか。出席者に共通するものを拾いだせば、答えはおのずからみえてこよう。なにはともあれ、健康が第一である。「幸せクラブ」はなによりもまず、「健康クラブ」なのだ。家庭環境もまた大事である。家庭に問題があると心が暗い。心が暗いと足取りも重くなる。クラス会などに足が遠のく気持ちがよく分かる。大金持ちである必要はないが、若干の金銭的余裕もまた、老人の幸せには欠かせぬ条件となろう。 思えば若干の遊び金が老後をどれほど楽しくさせることか。日頃は質素に暮らそうとも、遊び金をつくることを忘れまい。そして第二は社会性を失わぬことである。友人、知人がポツリポツリと消えてゆく。老人は孤独になりやすいのだ。けれども社会性を失うひとはまず笑いを忘れる。つぎにことばを忘れる。老苦は孤独に尽きるといえようか。「幸せなやつ程よく笑う」とはある心理家の言葉だが、有り難いことに、われらのクラス会には笑いが満ちている。健康、よい家庭環境、金銭的余裕、そして社会性。われらがクラス会は期せずして、老人の幸せがこの四つのうえに乗っかっていることを教えてくれる。けれども考えてもみよう。この四つを自力で手に入れることがどんなにむつかしいか。神仏のご加護なくして、どうしてそれが叶えられよう。老人が信心深くなる理由がみえてくる。さて、「不幸はひとを哲人にし、幸福はひとを凡庸にする」とは、ある哲人の箴言である。幸せは現状に満足させるから、ひとを凡庸にするというのだ。なんと真理を言い当てた言葉だろう。思えばわがクラス会などはその典型にちがいない。再会したらまず祝杯。そして夜はお定まりの宴会である。飲んで食って馬鹿話をして、笑い転げて座が大いに盛り上がる。そして翌日は最寄りの観光地をブラブラ散策して散会。なんと凡庸にして無内容な集まりであろうか。そんなクラス会をわれわれはもう五〇年もつづけているのだ。さて、次回は徳島県の鳴門大橋のたもとにあるホテルが再会の場所に決まった。何人集まるか、楽しみである。

                (愛大名誉教授 哲学)