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平成22年4月 4日 卒業生・入学者の集いお手伝い
4月18日 役員会議 会員数・会報・行事について
5月25日 会報発行
6月27日 ボーリング大会&親睦会
9月 4日 役員会議 次期役員人事他
9月15日 22年1期卒業生への会員募集等
10月4日 卒業生・入学者の集いお手伝い
10月中旬 第8回定期総会
第七回定期総会・講演会・懇親会を開催
最後に、「この街で」を全員で、合唱して和気藹々のうちに終わった。尚、同窓会の活動を支えてくださる方三名の登録ありました。
平成20年6月29日(日)15:00〜
☆ 優勝 小西光子さん。
出席者で事務局長の十亀さん手作りの陶器の賞品に高須賀会長からも出していただき豪華な賞品を目指して目指して頑張りました。昼食は東急インのピノモンテでいただき、「坂の上の雲ミュージアム」を見学しました。出席者は13名でした。(当日不参加が3名)
坂の上の雲ミュージアム館の前にて
はじめに
松山城の観光ボランティアガイドをしていると、「坂の上の雲と松山市の二十一世紀のまちづくり」にまつわることを聞かれたり、市内に点在する関連施設・史跡が話題になったりしますので、そのことについて寄稿してみたいと思います。
小説「坂の上の雲」
皆さんご存知のとおり、小説「坂の上の雲」は一九六八年から四年余に亘り産経新聞に連載された司馬遼太郎の大作で、全集本六巻(文庫本八巻)の一〇〇〇万部を越す大ベストセラーになった国民的文学といわれています。この物語は「坂の上」にうかんだ「雲」を目指してか、「雲」にひかれてか、登ってゆく若者たちの群像を中心にすえて描いています。それは「明治」という世界史上ユニークな時代を背景にした日本の青春像でもあります。その若者三人の主人公は伊予松山出身の正岡子規・秋山好古・秋山真之の青春時代から日清・日露戦争に至る近代国家を目指した明治の日本を描いたものであります。その三人の主人公の「秋山兄弟」は、時代の波にもまれながら環境の要請から陸海の軍人になって、それぞれの役割に応じ、それぞれの特長を、それぞれに生かしぬいてゆくのであります。一方、病気になって正規の学業も中道で捨てたその友「正岡子規」は、万事新しいものを好み明治に生きながら伝統の古文芸を新しく見直し、批評の力が、そのまま内部に沈潜して、よみがえらせてきた俳句と短歌の開拓者となるのであります。 つまり、文武の道にうちこんだ「松山の青年三人は青雲の志を抱いて、明治という上昇気流の時代に生きたといえます。」という事を語り、描き、評し、伝える長編ものだといえます。その物語の中に「司馬遼太郎が松山のために遺してくれた大いなる遺産を読み取ること」ができます。
「坂の上の雲」のまちづくり
そこに着目した松山市は、「近代的な国づくりを目指した明治人の気概や情熱、目標に向かって進む行動力や高い理想を二十一世紀の日本に伝えるまちづくり、市民が誇りの持てるまちづくりをしよう」というものであります。
基本理念として「坂の上の雲」を通じて行った「明治」の再評価を松山の新しいまちづくりの土台にしています。その具現化の手法として「松山」に残る「明治」にまつわる事物を発掘し、地域の貴重な財産として活用していくのであります。さらに、明治を出発点に、広く松山の歴史・文化・風土を辿る動線を確立するというものであります。この手法をまちづくりに展開することにより、松山全域をひとつのフィールドミュージアムと位置づけ、センターゾーンを「松山城」とその周辺に、サブセンターゾーンに「道後温泉地区」「三津浜・梅津寺地区」「松山総合公園」「久谷・砥部地区」「風早地区」「忽那諸島地区」として「松山らしさ」を全国に発信していく、というものであります。
「坂の上の雲」ゆかりの関連施設・史跡
フィールドミュージアム構想とは松山市全域を屋根のない博物館に見立てて、市内に点在する小説ゆかりの関連史跡や地域の文化資源を発掘、再評価し観光の活性化に役立てるというものであります。そして、回遊性と物語性のあるまちづくりを目指しています。
* その核に「坂の上の雲ミュージアム」
*「松山城」日本三大連立式平山城のひとつ
*「子規記念博物館」子規の生い立ち、業績など豊富な資料で紹介
*「子規堂」子規の育った家を復元
*「愚陀仏庵」漱石と子規が五十二日間同居した上野家の離れを復元
*「秋山兄弟生家」市民団体が全国募金で復元
*「明教館」松山藩の藩校(松山東高校内に移築)
*「萬翠荘」旧藩主久松定謨の別邸
*「ロシア人墓地」日露戦争のロシア兵捕虜九十八人が眠る
*「その他」にも、梅津寺に好古・真之像、県生涯学習センターに秋山兄弟の遺品の軍服、サーベル、指揮刀など。道後鷺谷墓地に好古の墓があります。
おわりに
このような小説を題材にした「日本一のまちづくり」は全国に例がないユニークなものであります。松山には年間約五〇〇万人の観光客が訪れています。二〇〇九年秋には、NHKが「坂の上の雲」を大河ドラマ化し放映することが決定していますので、さらに多くの観光客が期待されています。「いで湯と城と文学のまち」松山を全国のお客様に紹介するときの一助になればと思い寄稿してみました。 (松山観光ボランティアガイド)
(社会と経済 平成十六年一期卒)
★定期総会:10月14日(日)学習センターにてに決定
事務局長 十亀 義則
講演会には45名が参加
去る10月15日日、愛媛学習センターに於いて、第4期の定期総会が開かれ、事業報告や決算が承認され、向う年間の事業計画や予算が決定され、第四期の役員も選出されました。総会には、愛媛学習センターから小沼大八客員教授・渡部博文事務室長等を来賓にお迎えして、午前10時、開会されました。冒頭、高須賀会長より「第三期を終えて、何とか基礎固めも出来て、第四期は欧米では四の字は重宝に扱われるので、それにあやかって事業も定着してい」と挨拶があり、小沼先生からもお言葉をいただいた後、議案審議に入った
議事では「平成18年度1学期の卒業者の内、9名が入会して、95名の会員になった。事業報告では、会報『石鎚』第3・4号の発行、親睦ボーリング大会などの報告がおこなわれた。決算では68,381円の支出で、次期繰越金が196,100円なったと会計報告、監査報告がなされた後、承認された。続いて、第4期の事業計画が提案され、会報『石鎚』の年二回の発行することやセンターとの連携を強化して、会員が1人でも多くになるよう働きかけて行くこと、親睦ボーリング大会、にぎたつ会とも親睦行事を共催することなど確認し、その裏付けとして予算8万円を計上し承認された。最後に役員改選が行われ、理事の真鍋孝敏氏が退任し、新しく藤崎貞親・松森温子・宮子公子の各氏が理事に就任し、会長に高須賀昭夫氏、副会長に中川正司氏、掘北妙子氏が再任された。続いて、「漱石と小泉八雲」と題して、講演が行われた。講師、菊池佐紀氏(文芸誌『アミーゴ』主宰、文学・文書作成講座講師)の講演は、「漱石の一生」を紹介しながらドライな鏡子夫人との夫婦関係に触れられながら明治の文豪が次々と作品を発表される様をユーモアたっぷりに話された。一方「ラフカディオ・ハーンの生涯」は小泉節子と結婚し、小泉八雲として、睦ましい夫婦関係を築き、膨大な著述によって、日本人の精神と文化を世界に紹介した功績は大きい。が、ロンドン留学から帰朝した漱石のために八雲は東京帝大講師の座を失い、失意の中で死んでいく。そして最後に、八雲の残した予言「文明が発達するほど、人間は堕落し、やがて亡びる」は、今まさに問われている、と警鐘を鳴らして話を締め括られた。今回は、今迄で最高の四十五名が出席、好評の中で講演会は終わった。その後、講師の菊池先生や事務所の方・在校生を交えて、三つのテーブルに分かれて親睦交流を深め、午後一時半頃に終わった。会員の皆さんの同窓会行事へのご参加をお待ちしています。
第1章 総則
第1条 本会は、放送大学愛媛同窓会と称する。
第2条 本会は、会員の親睦と交流を図り、相互研鑽に勤める事を以って目的とする。
第3条 本会は、早々大学愛媛学習センタ―内に事務所を置く。
第4条 本会の会員は、放送大学の卒業生で、入会の手続きをしたものとする。
第2章 事業
第5条 本会は前条の目的を達成するために次の事業を行う。
@親睦、交流会の開催
A情報交換、各種研修会の開催
B名簿の発行とその他必要な事業
第6条 本会の事業年度は、毎年10月に始まり、翌年9月に終わる。
第3章 総会
第7条 本会の総会は、年1回開催する。
A総会は会長が招集し会の重要事項を審議する。
B総会は相応の会員の出席により成立し賛成過半数を以って議決される
C総会の議長は会長がこれに当たる。
第4章
第8条 本会に次の役員を置く。
@ 会長1名
A 副会長 2名
B 理事 若干名
C 監事 1名
第9条 役員は総会で選出する。
第10条 役員の任期は1年とする。但し再任を妨げない。
第5章
第11条 本会の経費は会費、寄付金、雑収入により賄う。
第12条 本会の会費は5年間3,000円とする。
第6章
第13条 会則の改正は総会の議決によって行う。
付則 この会は平成16年3月6日より施行する。
この会則は一部改正して平成16年10月17日から
施行する。