筆者プロフィー
1934年10月3日 韓国釜山市で生まれる  松山北高 松山商科大学卒業  1957年より38年間県立高校教諭

現在、「まっやま山頭火の会」会長
伊 予 の 狸 談 義  B 狸思いつく まま  
いよ狸サロン 高村昌雄
 ギャラリー喫茶「香保理」のマスター山岡尭氏とお付き合いするようになって、いつの間にか化かされて狸の穴にはまり込み、気がついたらこんなところに出てくる羽目になってしまった。
 現在は毎月1回開かれる「伊予狸化大学ー通称いよ狸サロン」のレポ一夕一役として、あちらこちらと眷属一統を訪ね歩き、その消息を報告している次第である。
 この小文も、そんな中から思いっくままに書き散らしたもので、伊予に限定した話にならないが、悪しからず。それで、読者をうまく化かすことができれば、1匹前の狸になれるわけである。

分福茶釜」と「かちかち山

 私が最初に興味をもったのは、狸を題材とした昔話である。狸に関する日本の昔話といえば、先ず「分福茶釜」と「かちかち山」であろう。
 「分福茶釜」は群馬県館林市の「茂林寺」が本家のようになっており、周囲1.2m、重さ11・2kg、紫金銅製のいの茶釜が寺宝として茂林寺に安置されている。この他、横浜市港南区の東樹院にも茶釜が納められている。また、鳥取県では「金の茶釜」になっている。話の大筋では変わらないが、細かい部分にバラエティがある。話のタイトルも「分福茶釜」と「文福茶釜」の二通りがある。「分福」は文字通り「福を分ける」ということであるが、「文福」は茂林寺の和尚の名前に由来するもの。「かちかち山」の方は、全国いたるとこに類語があり、話の筋もいろいろであり、子供向きの絵本でも、狸がお婆さんを殺すというのは子供には良くない影響を与えるという配慮なのか、怪我をさせる程度にとどめてあるものもある。また、最後に泥船で海(川)に沈められて死ぬところも、助け上げられた狸が改心してめでたしめでたしとなる話もある。愛媛県の野村町にもこの「カチカチ山」の話がある。前半の部分は他地区の話とはぼ同じであるが、兎が敵討ちをする部分では、初めに泥船で海に沈められ、その次に、小屋を建ててその中に入れられて焼き殺されるという筋立てになっている。

証城寺の狸囃子

 その他、、千葉県木更津市の「証城寺の狸囃子」があるが、これは昔話としての類話はほとんどないが、野口雨情 作詞、中山晋平 作曲の童謡でよく知られている。木更津市の証誠寺(童謡では証城寺)には楽譜付きの詩碑がが立っている。

愛媛県にも、狸にまっわる民話、伝説は中予と東予を中心に分布しているが、南予には案外少ない

狸名はおさんと呼ばれ月おぼろ 六角堂狸(別名教カさん) 重信町西林寺の裏庭に信楽焼き狸
なぜか「蛸」をぶらさげている
松山の狸
六角堂狸(別名教カさん)
お袖大明神
 松山ではなんといっても市役所前の「お袖大明神」である。お袖大明神については先号で玉井葵氏がこの稿に書かれたから、詳細は割愛するが、最近、このお袖大明神にまつわる新しい話を聞いたので紹介しておこう。現松山市長の父君中村時雄氏が市長の当時、顔面神経痛にかかり困られた。そこである人がそれならとこれも先号に紹介されている大西町の明堂さんに行って拝んでもらった。ところがお袖さんが現れて、「市役所の目の前にお袖大明神があるというのに、頭も下げぬとは怪しからん。お参りすれば治るであろう」とのご託宣があった。このことを市長に告げたところ、「それはうかっだった」と早速お参りしたところ、たちどころに病気がなおったという。
六角堂狸(別名教カさん)」と「金平狸
 次が松山東警察署の前の「六角堂狸(別名教カさん)」である。入口左手の大榎の下の祠に祀られている。
 もう一か所、上野町の大宮八幡神社の「金平狸(金平大明神)」がある。大宮八幡神社の鳥居の左側にある大柏に棲み、文字が読めて、算盤も達者というインテリ狸で、商売繁盛に御利益があるということで、立派なお堂が設けられている。
  お袖大明神と教力さんは毎年節分の日と11月8日、金平大明神は4月29日に盛大な例大祭が開かれている。
隠神刑部狸(いぬがみぎょうぶ)
 松山の狸族一番の大物が「隠神刑部狸(いぬがみぎょうぶ)」であろう。この狸の活躍する「松山騒動八百八狸物語」は日本三大狸話の一つに数えられることもある有名な話である。もともと、享保年間の飢饉の時におこったお家騒動が、1805(文化2)年に「伊予名草」という物語となり、これをもとにして江戸末期の講談師田辺南龍が怪談として語ったのが「松山騒動八百八狸物語」で、その主役スターが「隠神刑部狸」。最近では、環境保護を訴えて話題になった名作アニメ「平成狸合戦ぽんぽこ」にも、阿波の金長狸、屋島の太三郎禿狸とともに応援に駆けつけて活躍している。今年の「松山城築城四百年」の記念行事の一つとして11月に新作歌舞伎として登場する予定だそうなので楽しみにしている。
久谷町に「八百八狸の碑」が立っている。
matuyama
その他の伊予の主な狸

三光姫狸
 また、高井町の高井八幡神社(窪天満宮)の本殿右側にある三光姫神社に「三光姫狸」が祀られている。娘姿に化けても色白ですぐに見破られたというが、日清・日露の戦争のときに従軍し、日本兵を助けたという伝説がある。信者もあり、油揚げなどがお供えされているが、例大祭が行われているのかどうかは知らない。
毘沙門狸
 その他に、大街道3丁目、東雲神社の毘沙門堂(現在市坪南法龍寺内に移転)にいた老狸の「毘沙門狸」は、一番町から道後の間を汽車が走りはじめた頃、早速汽車に化けたといわれ(先々号で山岡尭氏が紹介)、今年の札幌雪まつりで、松山市の出展した雪像に登場した。
お紅さん」「俳諧狸」「正安寺狸
 居相町の椿神社の鳥居の左、正岡子規の句碑のある側の大楠には「お紅さん」という娘狸がいて、瓦製の祠がおいてある。
 「おみつ狸」萱町6丁目(三津口)に「おみつ狸」、天山の付近に「俳諧狸」、湊町4丁目の正安寺に「正安寺狸」がいた。しかし、これらについては、祠もなく、伝説の痕跡もなくなり、忘れ去られてしまっている。それでも、正安寺の隣、千舟町の角の煙草屋さんでは「宝くじ」を売っているが、高額当選のポスターーが出ているところをみると、正安寺狸の御利益があるのかも、という人もある。
山犬(狼)」 東大栗町の木野山神社は「山犬(狼)」を祀るお宮で、毎年1月16日が例大祭で賑わうが、この本殿の左側に狸を祀った祠があり、右側に狸の石像が置いてある。

身代わり狸」「立石狸」「茶縞狸」「高坊主狸」「銀杏狸」「お産狸」「えじろ狸
 重信町も狸の話は多い。伊予鉄横河原駅の近くに若宮神社という小さな祠がある。ここには昔「手引き松」とよばれる二本の松があり、ここに「身代わり狸」と呼ばれる狸が棲み、東温高校の近くには「立石狸」がいて、人を化かしていたずらをしていたし、北野田のリトルリーグのグランドのある付近には「茶縞狸」、北野田新村の飛梅神社には「高坊主狸」、南野田には「お産狸」、上林於検校えじろ谷には「えじろ狸」がいた。それぞれに伝説がある。
蛸をぶらさげた狸
 格別の由来はないようだが、重信町西の岡の西林寺の裏庭に信楽焼きの等身大の狸が置かれているが、この狸がなぜか「蛸」をぶらさげている。珍しいものである。
銀杏狸」「おさん狸
 伊予市湊町(下吾川銀杏通)の大銀杏下の「銀杏狸」も「おさん狸」と呼ばれて親しまれている。傍らに 「狸名はおさんと呼ばれ月おぼろ」 という門田一貴の句碑が立っている。

東予地方

金貸し狸」「明神木狸」「棲白狸」「岩の端狸」「倉吉狸」「梅の木狸」「お奈遠お佐遠お袖の三姉妹狸」
 東予地方でも、菊間の「金貸し狸」、、西条の「明神木狸」や「棲白狸」、川之江の「岩の端狸」、伊予三島の「倉吉狸」、などいろいろな狸話が伝わっているが、もうその痕跡がなくなっているものが多い。その中で、今治市波止浜の「梅の木狸」は立派なお堂が建てられお祀りされている。日清戦争に参加して敵を悩ましたといわれる。また、今治市別宮町の大山祇神社の境内左にある大柿の下に「お奈遠」、「お佐遠」、「お袖」の三姉妹の狸が祀られていたが、現在は「お奈遠」の両のみが残っている。
 東予地方で有名なのは新居浜市一宮町の一宮神社の「小女郎狸」と、東予市北条の大気味神社に祀られる「喜左衛門狸」である。
小女郎狸
 「小女郎狸」は一宮神社境内の国の天然記念物に指定されている楠群の中でも一番大きな(高さ29m)楠の根元にある「楠木神社」に祀られている。傍らに、 「南無三宝小女郎憑きたる桜鯛」 「遠会釈人うつくしく誰だろう」 という2句1基の川柳碑がある。
喜左衛門狸
 「喜左衛門狸」は讃岐の禿狸と化け比べをやって見事に化け勝ったという。毎年、喜左衛門祭という例大祭が第三日曜日(本年は5月19日)に催され、町起こしに大いに御利益を授けている。来年は「日本たぬき学会全国大会」が開催される予定である。

狸像(真狸ちゃん)
 狸の神通力を町起こしに利用しているところは多い。特に狸の本場ともいえる徳島市では毎年「狸まっり」を市をあげて開催し、おおくの観光客を集めている。その他、「たぬき小路」と銘うった商店街を設け、狸像などを置いて、いろいろなイベントを開いて客を引いているところもある。
 松山市も、咋年、松山で作られた狸像を祀っている札幌市と狸の縁で姉妹商店街となり、千舟町の小公園に狸の記念モニュメントができた。そのときに札幌市から贈られた「狸像(真狸ちゃん)」は湊町商店街の一画に祀られる計画だと聞いている。狸には大いに縁のある松山なのだから、その神通力をおおいに頼って町の活性化を図ってもらいたいものだ。