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  富田 狸通
浪人ものと狸

 「順雅園の怪」について思い出されるのは久留島武彦先生の「浪人ものと狸」の童話である。

 それはーー昭和二十三年の夏のこと、久留島先生が墓参に帰省された機会にーー古寺にたぬきのあたまありというーー道後の市隠寺(この寺は道後公園前にある古寺で、前住職の関家吹笛和尚は狸趣味家で俳人でもあった。この寺は一名を「茶くれん寺」ともいって、昔は尼寺で代々松山藩主の隠居所であった)へ招待して同寺の境内にある心学の碩学で有名な田中一如先生の墓と事蹟について座談会を催したことがあった。

 この心学というのは姓学ともいい、儒教と朱子学とを合作した学問で、その説くところの要旨は、元来人間の身体は陽であり、その心は陰である。ゆえに人間は天地を支配し得る力を持っている。が決して分不相応を望むことなく常に分に応じた歓喜に満足し知足安分を以て人間完成の道とすべしという教えである。そしてむずかしい理論をいわず、時には童話やお伽話を作ってその話の中に一貫している人情、道徳、智性、風刺を平易に説いて指導する方法で、丁度他愛ない狸ばなしを基本として修養する狸哲学にも一脈通ずるものがあって「心学」か 「狸学」かで話題がはずんだ揚句「これは面白い、心学変じて昭和の化け学となる」と先生も大いに共鳴して、「狸通さんのために一つ狸ぱなしをしよう」と言ってその時の先生の即席ぱなしがこの「浪人ものと狸」であったのである。

 ある時、ある浪人の独りものが誰も借り手のない化けもの屋敷へ引っ越して来た。そして荒れ果てた埃くさい座敷に腰をおろした浪人は背中にくくりつけた風呂敷から竹皮包みの握りめしをとり出して、半分ほど喰べると、どろりと横になって昼寝を始めた。暫らくして目を覚まし、ひょいと頭を上げると小さな狸が浪人の喰い残しの握りめしを失敬しているのである。思わぬ情景に浪人は「コラッ、畜生のぶんざいで断りもなく武士の弁当を盗み喰いするとはふらちの奴め、その分には捨て置けぬ、それへ直れ」と言って怒ってみても相手が小狸なれば大人気もなく「狸とても同じこと、腹が減ってはひもじかろう、今後は拙者が養ってやるから心配するな、相見互い、武士の情じゃ」と独りごとを言って見た。

 この情けある言葉が腹のすいた狸に通じたのか、狸はペコンと頭を下げてきまり悪るそうに土間の方へ出て行った。それ以来、この狸を養って可愛がってやり、用のある時には畳の上をコツコツと叩くと床の下かち小狸が出て来るように馴れてきた。

 それから或る日のこと、浪人が常に肌身はなさず大切にしていた錦の切れで包んだ小箱を床の間に置いて、コツコツと畳を叩いて小狸を呼び出した。

 「コレ狸め、この錦の小箱には拙者のためにはかけがえのない大切なものが納めてあるのだから決して粗相のないよう、しかとお前に預けて置く、いいかきっと留守を守りおれよ、しからば」 と念を押して出かけて行った。半時ほどして浪人が帰って来た。そして床の間を見ると、くだんの錦の小箱は無惨にこわされて中に納めてあった浪人の最愛の妻の白骨があたり一面に散乱していた。驚いた浪人は烈火の如く怒ってコツコツコツと荒々しく畳を叩いた。出て来た狸は恐縮し切って頭を下げて尻尾を巻き、もの言いた気にあやまっている恰好は畜類だけに一層の可憐さが、打ちおろさんとする浪人の挙を待っている。処置もないことで二、三日はすぎた。

 それから間もなく浪人は代官所から呼び出しのお達しをうけた。取り調べられるような覚えのない彼は不審に思いながら、ともかく出頭して見ると劈頭からきついお叱りであった。

 「汝浪人の分際で何用あってあのような大きな、しかも屈強者の番人を抱えているのか、乱世の今ン日、不屈至極の奴めが、偽りは聞かぬ、ありていに理由を申せ」
 とのことである。一向に合点のいかぬ彼は

 「いなことを承る。拙者はお見かけ通りの浪々の身、なにしに以てそのような番人家来を抱え得ましょうや、何か人ちがいでも」と答えも終らぬうちに役人は扇子の先で床を叩き「だまれッ」 と一喝してから
 「汝、いかにうそいつわりを申し立ててもお上ミには動かぬ証人があるぞ」

 ときめっけて「そのものをこれへ」と言って人相のよくない浪人風体の男を引き出して来た。これがその証人である。そして真実をまっすぐに申し述べよといらだって責め立てた。そこでこの証人というものの陳述が思いもよらぬ不思議にも次の通りであった。

 「ヘイ、私は確かにあの浪宅へ忍び込みました。そしていろいろと物色しているうち、床の間に錦の布で包んだ小箱が目に止ったので稀代の宝物に相違ないと、手に取って手早くその紐を解きかけた途端、にわかに家が鳴動して、アッと思う間に土間の方から雲つくような強そうな大男が現われて、私を睨みつけたその眼光の鋭さ、口は尖って天狗の如く、恐ろしいというよりも身体がすくんでしまい、南無三、小箱をほうり出して逃げ出そうとしたが動きがつかず鼠のようにとまどった末、逃げみちはただ一つ、その大男の股の下をくぐってやっとの思いで這い出した次第。何条偽りなど申しましょう。あの家にはおそろしい大男を番人に抱えていることは相違ありません。この眼で見た事実でございます。ヘイ」

 と、よっぽど恐ろしかったと見えて、ひげ面の悪相に似合わずガタガタふるえながら申し立てたのである。この奇怪な証言に浪人はハッと思いあたるものがあった。ウンとうなずいて膝を打ち

 「さてさて狸奴、でかしおった、感心な奴、拙者の言いつけをよく守ってくれた。畜生ながらもあっぱれもの」と、独り合点の独りごとを言ってあたりかまわず哄笑して厳粛なお白洲の空気を煙に巻いてしまった。そしてウロウロしている役人共を尻目にかけて一目散に我家にとって返した彼は小狸へ縄をかけて代官所へ引っ立てて行き

 「おおそれながら、この小狸、人も及ばぬお家芸、畜生とは言え日頃の養いを恩に着て拙者への報恩、人騒がせの罰をほめてやって下され」

 と大威張り、芽出たしめでたしでチョン--小狸が大男に化けて錦の小箱を守り賊を走らせたのであった。この童話を聞いてから四年目の六月にハチ狸の霊が空き巣狙いを捕えたと思われる「順雅圏の怪」が起こったのであるから不思議というも奇、伝説はこうして生まれるのであろう。

 南無八豊雲佗申女、八豊明神霊位頓生菩提。