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   富田 狸通   あとがき

 夜もすがらの嵐に散る花、あわただしく逝く春とともに、狸通さんが溘焉として逝かれてから早くも一年になる。ぽっかりと大きな穴があいた思いで、「生きていられたらなあ」の歎息を漏らしたことも幾度か。追慕の情は尽きないが、再び帰られる人ではない。ところが今度、その余香残影を選び集めて「狸のれん」 一巻が刊行された。そののれんのかげから隙間から、あのなつかしい「松山の顔」が、かいま見られるのであるまいか。

 思えば愛申会の狸まつり、ゆうもあ・くらぶのヘソ祭り、さては野球拳や坊っちゃん会、はしばみ会、番茶会等々、狸通さんを中心にした団欒のたのしさ。多趣多芸、往くとして可ならざるなく、玄人の堂に入りながらアマチュアの則を越えず、口を開けば談論風発、五年余続いた南海放送の人気番組「ラジオ縄のれん」をはじめ、ラジオにテレビに狸通ファンの層のひろさ。さすがに五十余年に及ぶ俳歴の持ち主、行住坐臥、分厚い大福帳を傍らに幾冊もを書き埋め、さらに同好とともに連句の巻をまく作句力の旺盛さ。
石手句会、白鷺吟社での名宗匠ぶりもさることながら、狸の俳画に至っては正に天下一品、金皷堂に残された日本一のコレクション、千幾百の眷族たちとは別に、興のわくまま望まれるまま、軽妙酒脱な筆端から躍り出た千姿方態限りもない。したい三昧好き放題、寛容のうちに稜々の気骨を蔵しながら、思う存分に生きて自分も楽しみ他も楽しませ、誰からも愛され親しまれ、いつまでも惜しまれ慕われる。陽気で明 るく幸福な一生であったことよ。

 昨年十月「狸通さんをしのぶ展覧会」がNHK四国本部ロビーに催された時、尽きぬ想い出を語り合う席上、かねてから狸通さんの記念出版を意図されていた和田茂樹先生からまず遺墨集の発刊を提案され、敬愛する人たちの集まりとてたちまち衆議一決した。たまたまこの「非凡非聖」の達人に頃倒してひそかに顕彰を企画していた青葉図書の村上勉社長が、これを知って進んで大役を買って出で、みずからカメラを携えて、林関四郎さんとともに撮影して回る熱心さ。子規全集編纂で寸暇もない中で何くれと心を配られ る和田先生に代わって、前県立図書館長越智通敏先生が、山積する資料と取り組んで一気に整理し手際よく編集を終えられた。村上社長も越智先生も生前の親しい知友というでもないのにこの力の入れようは、狸通さんの大きな魅力と人徳にほかなるまい。

 忌日を迎え謹んで新刊一巻を霊前に献げれば、『こんなに早くできたのか、誑されるのじゃあるまいな」 と冗談の一つも飛ばして、屈託のない満足の笑い声が聞こえそうだ。よろこんで饗(う)けられるであろう。

 順雅園の桜は去年のように咲いて散ったが、狸通さんの姿は見られない。春愁さらに新たなるを覚える が、いまこの一巻をひもどけば、ページページに在りし日のおもかげをしのび、折々の声を聞く思いがす る。ここに狸通さんはよみがえり、永久に生き続けられるであろう。故人を知るものにも知らぬ人にも。

昭和五十三年四月二十四日                                             松山子規会会長 越智 二良



 本書の刊行に際し、資料の提供ならびに遺墨の撮影をお許し下さいました武智嘉幸・岡崎忠雄・大沢政夫・森田俊男・林関四郎・牧野龍夫・田中健三・三井清の方々に厚くお礼を申し上げます。  松山子規会


松山子規会叢書第3集 狸のれん ー俳面と句文ー
昭和53年4月24日発行 著者 富田 狸通
遺族 松山市道後湯之町13一18 富田 定由
発行所 印刷 松山子規会 松山市末広町正宗寺内 (有)青葉図書
発売 実費頒価 松山市小栗6丁目 3-23 (O899) 43-1165 2000円