富田 狸通
狸 念
狸といえばすぐ対照に連想されるのは狐であるが、狐狸といって同じ化けものの類でも、狸と狐とは生態による化け方と、また思想的にも大いに異るものがあるのである。
狐の話といえば狡猾で陰険で猜疑心の張本のように扱われて気の許せない凄味があって、古川柳にも「古る狐よく巾着の底を抜き」とあり(油断のならぬすご腕の売笑婦の例)これが狸の方になると「狸の遺言決して茶釜には化けるなよ」とあって茶釜専門に化けた上州館林の茂林寺の分福茶はチャンとノ.ーモアー焼傷の戒めを親切に残していることは狸らしく、無邪気で滑稽で人情豊かな憐愍の情をさえ思わせるものがある。四国地方は昔、弘法大師が霊場八十八ケ所を開基する時に、狡猾にして陰険な狐を嫌って四国の島から狐を追放して、その代わりに諷教的で正直な親しみのある狸を可愛がって布教に利用したという伝説がある。従って狸ばなしの多いことは恐らく日本一であると思う。
さて弘法大師が狸の人となり、いや狸なりを立派に信用証明しているわけで、弘法大師も偉らいがこの不出世の全知識に見出されて起用された狸も矢張りただの動物でなく、見どころのある善獣であることを思わすものがある。
また人間を評価する時、常に頭脳の冴えを以てその尺度とし、頭のヨサがすぐ人間を値打付ける標準のように考えた時代があったが、いや今でもこの見方があるようで、最近わが国の国会でもとかくソツのない人間を高く評価しすぎるくせがあって、そのためにゴタゴタが絶えんわけでもある。
人間を作るのは決して頭脳はかりではない、即ち狐のような薄っぺらな小ざかしさではない、とりわけ東洋における日本思想は先ず人格であり肚の力を作ることである。それほとりも直さず肚の感激と情熱で、古来この気まえと意気の肚の力が人間の生涯を彩る場合が多いことは幾多の実例が証明する通りであって、つまり頭は科学、肚の力は人格をつくるものである。
頭のヨサは丁度独楽が始めのうちはクルクルと派出に回転しているが、心棒という信念の弱さでおしまいにはグラグラと見苦しく倒れてしまう如く、肚の力はその反対に無恰好で頼りない達磨が始めのうちは如何にも不器用にグラグラとグラついているが、最後にはどっしりと本然の姿に坐り直す、アノ落ちついた底力、見るからに頼母しい姿、即ちこの肚の力こそ人間完成への最大要素である。
女は愛嬌といって胸の感激を讃え、男は度胸で大狸の人、つまり肚の据った人物をこそ望ましく、また信頼に足る人というべきであろう。男子一ト度、ポンと腹を叩いて「ヨーシッ、引きうけた」と、うなずけばツベコベいわずとも無言のうちに萬事が解決されるというものである。近頃政界では「われこそ政界の古狸でござる」と自讃する向きもあるほどであるが、狸は決して肚黒い動物ではない。分福狸や証城寺の禿が世の老若男女、童児にたいるまで絶対に親しみ愛されていることを考えて見てもわかるように、陽気で稚気で親切で、そんじょそこらの政治屋のように利権を追うてウロチョロして口約を膏薬ほどにも思わぬ輩のようなズルイ智慧はない。
狸は腹つづみを打つというほどで、肚の大きいところは大度量で為政者は政策のかけ引きよりも清濁合わせのむ肚の力が先ず必要で、良識ある政治家には「政界狸おやじ」の評名は打ちつけの代名詞でもある。
或はまた、江戸城の大広間に二人きりで対座し、無言の中に無血江戸城の引渡しを完了した西郷隆盛と勝海舟の肚の力、また胸元に拳銃を擬せられても「話せばわかる」とポンと腹を叩いたり、或は「東に原敬、西にレーニンあり」と反り身で壮語した昔の為政者、さては一休、沢庵、快川等々は陣笠を冠ってよろこんでいる豆狸らの真似の出来ぬ大狸であり、また千両役者の肚芸は千金の重みを持つものでもある。
われわれ日本人は今日こそ羽織を捨て白足袋を脱いでいつでも丸裸で話し合える襟度がほしいものである。外交然り、政争然り、労争然り、金儲け然りで人生の妙諦は猿智悪の近視眼的な利慾をはなれて何事もあせらず、あわてず負けて勝ち、損して徳する度量と融通無碍にして円転滑脱の善意ある人造りを狸念に求めたいものである。