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  富田 狸通

狸礼讃の動機

 さて狸を愛し、狸して明け暮れている私を狸の子孫眷族の如くいわれる向きもあるが、これには次のような動機があってのことである。
 今を去る三十八年前え、大正十二年の初秋のこと。その年の九月一日は忘れることの出来ぬ関東大震災で、当時在学生であった私は、大学は焼けるし下宿は倒れるやら、何しろ大東京が数日間の地震で昔のままの武蔵野の焼野ケ原になったので、何時から大学の講義が始まるかなどは見当がつかぬ。学生は虚脱状態で毎日焼跡の整理につとめた。その混乱の中にただ一カ所焼け残った渋谷の道玄坂の一部に夜店が開かれたのでブラッと出かけて行った時のことである。
 焼ける前の神田の夜店と違って書籍類はなく楽しいガ ラクタや屑物の中に一体の酒買狸像を見付けた。学校を 止めようか、田舎へ帰ろうか、と迷っている矢先きだったので、何となく郷愁とも希望ともつかぬわけのわからん楽しさを覚え、しばらくその前に立ちすくんだ、そしてジッと見ていると剽軽で間の抜けたその狸像は鷹揚で「あわてるな、くよくよするな、なるようにしかなら ん」と静かに教えてくれる。大きさは三十センチほどのものであったが、とりあえず求めて帰って下宿の本箱の上へ置いて朝な夕な眺めるうちにとうとう狸宗の病みつきになったわけである。
  ケ、セラセラでどうやら学校も卒業することが出来たのもこの狸像のおかげで、そのうちに大学で習った事と実社会の隔りの多いことも別に驚きもせず腹も立たず納得も出来るように思えて来た。歴史の時間に狸親爺たと印象付けられていた徳川家康は、看板通りの大狸だということもわかるようになり、自我一辺の信長が小狸なら、権知一如の秀吉も豆狸で、あわてず啼かさず無理せずに遂に三百余年の幕府の基礎を築いた家康こそ押しも押されもせん大他抜きだったと思う。
 さもあれ、今日もデモ明日もデモでデモ暮ししている日本の現状に便乗して各界を問わず暗に権謀術策を弄しわれこそ時代の大狸なりと自讃している人達は民主々義の裏街道を行くマネタヌキの類といわれても仕方あるまい。従ってあれを思い、これを見ているうちに私は「たぬきして、とぼけて、まぬけておもしろおかしく暮らしたい」という妙諦を心得た。