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  富田 狸通

狸と文字

 能書家の弘法大師が「筆はこれに限る」と言ってほめたのが狸の毛で作ったものであったということで、狸の毛の筆は今でも珍重がられている。

 狸の毛は字がうまく書けるだけでなく、狸自身もよく字を書いたということが伝えられている。

 江戸末期のころ、相模原上磯部の南のはずれに「まんじ屋」という酒屋があった。姓を川崎という。ある晩建長寺の勧進は帝の一行が投宿した。建長寺の勧進は帝の御召しとあって行列は大名並みでシタニー、シタニーと威風地を払って到着したので、まんじ屋としては一世の誉れなのでその取扱いは丁重をきわめた。入浴に際しても風呂の廻りに紅白の幕を張りめぐらして「高貴など坊故に決してのぞき見などは許されぬ、見たら罰が当って眼がつぶれるぞ」というきびしい取締りであった。

 入浴の時間があまりにも長いので、見せぬものは見たい好奇心の人情から一人の女中がそっと幕のすき間から をのぞいて驚いた。湯ぶねのへりに大きな長い尻尾が見えてポチャポチャとお湯をたたいている。おそろしさをがまんしてなおもよく見ると、お湯の中には白い毛をした禿狸が眼を細くしてやわらいでいるので店中大騒ぎとなったが、めったに厄害を加えるとあとの崇りがこわいので、乞われるままに馳走を振舞って翌朝は何事もなく、またシタニー、シタニーと八王子へ向けて出発した。

 古い狐狸の類は人間の生き血を吸うと昇天出来る通力を得られるということで、この古狸も建長寺の僧の生き血を吸った狸の化身であったのである。今でもまんじ屋にはその時の狸が書いた「南無阿弥陀仏 建長寺」の軸があり、現在当主の川崎朝信さんが珍蔵しているそうである。

 古書に残る狸の書面としては耽奇漫余中に白雲子の芦雁の図、良恕の寒山の画があり、また下総香取の大貫村藤堂家には文化二、三年の頃その家の天井に住んでいた古狸が書いた「竹」の一字に「百十才田ぬき」と賛のある一軸が残っているという。

 この狸は字が専門で藤堂家の主人が紙と共に墨を筆にふくませて机上に置き「狸よ、これに書け」というと、その紙と筆がスーと天井の上に飛んで行き、しばらくすると紙に字が書けて主人の前にヒラヒラと飛んで来たという。

 字は決まったように鶴、亀、松竹の一字に限られていたというから、めでたく出来ていた狸らしい。しかし字はいずれも間の抜けたタドタドしいものであるという。