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富田 狸通
狸まつり 昭和の巻、松山
非常時下の今日、統制々々の反面には、また生産拡充、物的愛護、資源擁護、さては何々と対応の国策は日を逐うていよいよ急に、われらが狸属も漸くものの用に、やさしく飼われてむごたらしゅう殺され、その肉と皮は大陸向けての、ご奉公を承ることとなりました。この秋に当り慰霊の狸まつりの句座を催したいと存じます。どうせ狸に名をかりての、お祭ですから何かと当て外れや、間の抜けることのあることは前以て御承知の上、左記方法により御出現賜はりたく、この段ご案内申上げます。
記
一、日時、昭和十四年十一月十三日十八時
一、会場 道後温泉前、狸通居(金鼓堂)
一、当日は必ず狸に関るす書画文献俳句、川柳、和歌、都々逸、伝説、玩具何でも一説一物を持寄るとと。
これが戦時下に狸愛好家で結成された松山愛申(田抜き)会の第一回狸まつりの案内状であった。
式次第
一、堂主出現あいさつ
二、祭文並に読経
三、一同般若心経和讃
四、持寄品披露鑑賞
五、狸汁の供養
六、句作披講
七、記念寄書と撮影
八、消失

とあり、同じおまつりでも、蓋し稀に行なわれる奇想天外な趣向であった。
いま当日の新聞記事のあらましを拾ってみると
「皮に化けた狸まつり」「狸慰霊の文芸祭」などの見出しで、デカデカと松山市民を煙に巻いたものであった。「会場の金鼓堂は門口から二階の奥八畳敷にいたるまで、ズラリ並んだ狸像が一千余点、集会者をアッといわせて先ず鼓間(コモン)の前田伍健翁の狸祭文があり、続いて茶くれん寺の吹笛和尚と、義安寺の玉水禅師の読経、緋の法衣をまとった富田狸通狸事長(リジチョウ)の他抜説教があり、八百八狸の番附発表、持寄り文献伝説等々怪談奇話はつくるところを知らず、次いで俳句、川柳、和歌、都々逸、狂歌、俚謡の披講でドッと雰囲気を盛り上げて、そのあとは狸汁で一杯、その頃には、あちらでもこちらでも席上揮亳や珍芸の続出で爆笑洪笑、何のことはない、張りつめた非常時を吹き飛ばして腹鼓打っての、息抜き歓談の一夜であった。さぞや狸属も目をむいで驚き成仏したことならん。」
などと書いてあった。夜も更けて十一時頃消失(閉会)という間際に電報ありて、いわく
「ワガケンゾクノタメセイカイヲシヤスオソデ、キザエモン」(お袖、喜左衛門は狸の名前)
これでは腹のたてようもないわけである。