富田 狸通
伊予の銘狸列伝 金平狸の巻
さて、その次はこれまた大関格にある荏原(現在温泉郡久谷村上野)の金平(きんぺい)狸である。
金平狸は別の法名を金森(かなもり)大明神といい、荏原の大宮神社境内天然記念物の大柏に鎮座まします有名狸で真疑のほどはさだかでないが、松山騒動八百八狸の地元である久谷久万山の郷に近いところから隠神(いぬかみ)刑部狸の直系狸だと言われている。
金平は勿論男狸で、八股のお袖狸の亭主だともいわれ、品のあるインテリ狸で、文字が読めて、またソロバが上手なので伊予狸族中の学者狸として大きな存在である。また感心なことには家主である大宮八幡社の宮司をつとめる大西家の代々に対しては絶対服従のお使い狸として評判が高い。
このことについては先代の大西さん(当時大阪の鉱山局長)から私が直接に聞いた話に次のような次第がある。大西さんが明治の末期荏原村から毎日松山中学校に通学した当時の話で、何しろ荏原村から松山市へ通うのは森松駅まで徒歩で出て、森松駅から伊予鉄の坊っちゃん列車に乗るより他に方法のない時代で時々帰宅がおそくなる。時には日が暮れて森松駅へ着くことがあり、今と違って森松街道には電灯は少なく駅を降りると暗くて淋しい田舎道を歩かねばならない。そんな時には必ず大西少年の前には、大宮神社の定紋の入った提灯が現われて旧道のせまい田圃みちを案内してくれるので迷わず真っすぐに帰宅できたということである。そしてこの提灯が現われると大西少年は妙に心中安心感が湧いて出て淋しい夜空に向って思わず知らず口笛が吹きたくなる位い浮き浮きして来たということである。
この提灯はいうまでもなく主人を迎えに来る金平狸で、このように主人思いの金平は荏原在の人々に対して常に親切であり、迷い児の世話から病人のお使いや老人をいたわる心のやさしい狸であったので、大明神の位を得て信仰を集め現在は大柏の根元に立派な堂宇とおこもり堂まで建てられていて、毎月九日の日には地方の信者で組織している「金平講」の連中がお通夜のおこもりをして金平狸を祀る金森大明神の徳をたたえている。
金平狸に関する文献は今から七十年ほど前に神社の火災によって焼失してしまったが文化、文政ころの伝説によると、大阪に荏原屋金十郎という大きな宿屋があった。ある日ここに一人の修験者が泊り込んだ時、主人金十郎の態度に不審を抱き、金十郎が入浴しているところをのぞき見して正体が狸であることを見破った。
そのことを感付いた金十郎は客の修験者を自分の居間に招いて「あなたに知られた通り自分は人間ではない。実は伊予の国荏原の大宮八幡社の大柏の洞に棲んでいる金平という古狸であるが、千里四方以内でこのことを人に話したらあなたの命はないものと思ってくれ。そして若し伊予の荏原に行くようなことがあったら郷里の人達に金平は元気でいるから大阪に来た時には是非この荏原屋へ立寄るように伝えてほしい」と頼まれて修験者はわざわざ荏原在まで尋ねて来てこのことを村人に告げたので又一段と金森大明神の信者が増したということである。