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  富田 狸通

伊予の銘狸列伝  銀杏狸の巻

 宇和島へ抜ける伊予市の郡中街道に昔から道中の目標となる大きな銀杏の木があって、そこに「銀杏狸」というのが棲んでいる。現在も銀杏の根元に大小のお神酒瓶を並べた祠が置いてあり、夏は街道筋のオアシスとなり夕立の特には雨宿りの場所で旅人には大変便利な大銀杏である。

 月のよい夜更けには仔狸共が、てんでに箒を持って道を掃除しているのを見かけたり、また雨の降りそうな夕方には銀杏の木のぐるりに二十本ぐらい番傘を並べてくれるという面白い狸である。

 或る夏の夜、鰻を捕るのだといってモジ(竹で編んだ細長い籠のことで、鰻を捕る道具)を持った村の青年三人が銀杏の木のまわりをクルクル廻されていたのを見つけて連れて帰ったという話もあって、相当に法の利くいたずら狸である。

 この銀杏狸は木の枝に化けるのが得意で、附近の百姓が弁当を持って田圃へ出かける時、必ずこの銀杏狸はそのあとからついて行く、そして野良で仕事をする百姓が弁当を風通しのよい木の枝を見つけて吊り下げておくのを知っていて、都合のよさそうな枝に化ける。そんなことを知らぬ百姓はその枝に弁当を吊って仕事にとりかふるので銀杏狸の狙いは、めったに狂わず弁当のご馳走にありつくというだんどりになっている。

 或る時、雨の降り続いたのちの晴れた日であった。近くに住む独りものの年老いた百姓が大銀杏のすぐそばの畑へ仕事に出かけた。田圃の仕事はたまっていたのでその日の弁当包みは格別に大きかった。腹の減った銀杏狸がそれを見逃そう筈はなく、シメシメ今日という今日は願ったり叶ったりと、お家芸の取らぬ狸の皮算用をきめてパッと木の上にとび上がると得意の枝に化けて爺さんが弁当包みを吊りにくるのを待っていた。

 ところが驚いたのは爺さんで、それもその筈、狸はあんまり慌てたので腐ってガランドになっている枯れた方の幹へ青々とした枝をはやしたのだから恰好がつかね。サテは銀杏狸の化け枝だな、と思ったからおかしくなり、今日こそはいたずら狸の化けの皮を剥いでやろうと考えた。そして爺さんは独り言をいった。「なんと、見事な枝ぶりじゃないか、俺の弁当箱を吊るには勿体ない枝じゃ、ところであの上の枝じゃが、あれがどうも気に入らぬ、あの枝さえなかったらほんに街道一の枝ぶりじゃに、おしいこっちゃ」と、これを聞いてうれしくなった銀杏狸は、街道一番の枝ぶりになってほめて貰いたさに腹の空いたのも忘れて掴まえていた上の枝の手を放したからたまらない、ドスンと音を立てて落ちてしまった。

 爺さんはすかさす「ざまー見ろ、銀杏奴、今頃そんな手は古くさいぞよ」と言ってワッハッハとからかった。皮算用は外れるし腰の骨は痛むやらその上、化け方が古いと言って笑われたので狸は口惜しくてたまらない、先祖代々のお家専門芸である枝の化け方が失敗するとは思わなかったので銀杏狸も大いに頭の切り替えをせねばならんと考えた。

 今日は弁当にも異変なく、いたずら狸をとっちめて仕事も大分はかどったのでいい心持ちで帰って来る爺さんは途中の土橋の裾の水溜りに目の下一尺もある大きな鯉がバタバタおどっているのを見つけた。思いがけない拾いものだと拾わぬ先から「婆さんや、今日はいいお日和でお蔭があったぞよ、南無頼生菩提南無阿弥陀」と亡き婆さんにお礼のお題目を唱えながら腰をかがめてその大鯉をつかまえようとしたとたんに、鯉は勢よく跳上がってバーンと爺さんの頬ぺたを打って川の中へ逃げてしまった。

 「アッ惜しいことをしたわい」と頬ぺたをさすってボヤイタその時、土橋の下から声がして「今の化け方なら新しかろう、生きもよかろうがな」と銀杏狸の笑うのが聞えた。早速の仕返しを食った爺さんは今更仕方もなく、すごっすご家に帰えり、いつものとおり仏壇の前へ行って婆さんの位牌にお燈明をあげて「いまもんたぞよ」とおがもうとしてヒョイと頭を上げると「おや、こりゃ、どうしたんじゃ、婆さんの位牌が二つあるぞ」と驚いた。

 目をこすって見ても寸分違わぬ同じ位牌が二つ並んでいる。銀杏奴またいたずらをやっているなと思った爺さんは「コリャ銀杏狸、いたずらもホドホドにせい、仏壇の中で化けるとは不都合な奴、今度こそ逃しはせぬぞ、イイカ、うちの婆さんのお位牌はのう、毎晩わしがこうしておがむ時、ほんとうの婆さんの位牌ならきっと頭を下げておじきをするんだぞ」とどなった。すると一つのお位牌がペコンとおじきをした。こいつ奴と爺さんの手が伸びようとすると、その位牌は消えてしまった。

 こんなことがあって以来、銀杏狸は専門の木の枝に化けることをやめてしまって、雨の降りそうな晩に番傘専門に化けるようになったという。