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  富田 狸通

伊予の銘狸列伝  毘沙門狸の巻

 雨が降らんのに傘さして毘沙門狸にだまされたーーーこの唄は昔、城下町の子供等が口ぐせに唄った文句で、松山城の東口、東雲神社境内の毘沙門堂に棲んでいた狸の名前である。今でも東雲神社の前あたりを毘沙門坂という。

 毘沙門狸は高坊主と提灯に化けるのが得意で、故人の柳原極堂翁や山本義晴さんもよく化かされたと聞いている。明治三十年の頃、一番町と道後の間を汽車が通い出した当時のこと、毘沙門狸はよく汽車に化けて通行人を驚かせていたという話。極堂翁が若い時、夜更けて道後温泉から帰る途中、近道をして線路上を歩いていると、真向うからポッポ、シュッシュッと汽笛の音と共に赤いヘッドライトが近づいて来るのであわてて線路をよけた拍子に側溝へ転倒したという話を聞いた。あとで考えてみると終列車の時間はとうに過ぎていた真夜中であったという。

 いまこれに似たような話に先年物故された景浦稚桃先生から聞いた話。夜おそく景浦先生が毘沙門坂を通って帰る時、目の前へ突然高坊主が現われて道を塞いだので驚いた先生は逃げ場を失い、突差に高坊主の股の下をくぐって逃げたが、頭の上を大きな金玉で撫でられたと経験談があった。

 当時は松山城に残るいろいろの伝説と共に城北には昼なお薄暗い町や無気味にそびえる高石垣の下を曲って毘沙門坂に出るので狸の活躍するには打って付けの舞台であったらしいが現在はその坂も追々と切り下げられて観光施設ロープウェイの停留所が出来て明るい町並みになった。また東雲神社の石段右上にあった毘沙門堂はずっと前の明治十七年に取り壊されて御本尊は法竜寺へ、お堂の建物は余土の市之坪玉善寺の本堂になっている。

 毘沙門狸は八股のお袖や荏原の金平狸とは毛並みが違って、いたずらをする狸であったが、眼のフチが赤いのが特徴で「大明神さま」といって拝むと願いごとをかなえてくれるので当時の信仰は大変なものであったという。

 東雲神社の宮司で先年物故された田内さんは由緒ある毘沙門坂が文化の波に押されてその風致を失われてゆくのを残念がって東雲神社の復興に先立ってせめて昔の毘沙門堂を再建して、この「大明神」を勧進したいものだと言っていたが。ーーー(毘沙門堂が壊された原因の一説にはこんな話がある。お狸さんの御利益が益々評判となってお詣りが多くなりお百度詣りの賽客がお百度の数とりに、境内の竹や木の枝を折って困るのでとうとうお堂をとり壊したのだそうな)