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三光田の由来

 道後村の内、三光の田という所あり。五月に至り水をちらし明日早苗取るべしというころ、この泥水中、殊に澄みこる所有り。
能く見れば日月星の影をあらわせり。実にふしぎの事に思い、恐れて耕をやむ。
−−−温湯の西五六町に樋股(ひまた)というところ有り。是を すみ田 とも 三光の田ともいう。
<予陽郡郷俚諺集 温泉郡の部より抄録>
この書は松山藩家老 奥平氏により編集されたもので、松山藩内全域内の地名の伝説や神社・寺院・城址の由来などが
集録されている。完結したのは宝永7年(1710年)である。
<この現象の特定> これは金星の最大光輝の現象を見たこの地の人の言い伝えで、
現代の暦に直すと1393年6月12日の事である。(記録では14日とある?西岡)


史上に記録された三光現象

西暦 元号&旧暦 記録 出処
 875年 7月 9日
 875年 7月10日
 875年 7月11日  
貞観17年 6月 3日きのえとら甲寅
貞観17年 6月 4日きのとう乙卯
貞観17年 6月 5日ひのえたつ丙辰   
日少光 星月並昼見 三代実録27
1019年 7月 8日 寛仁 3年 6月 4日つちのとうし己丑 午時 月星共見 小右記
1032年 9月 3日 長元 5年 7月26日きのとひつじ乙未 未刻 月星見…是皆太白与月現見也 平戸記
1056年10月 9日 天喜 4年 8月28日ひのとうし丁丑 月星又見之由…是皆太白与月現見也   平戸記
1107年 8月18日 嘉承 2年 7月28日みずのえね壬子 天晴…午刻許天有星云々… 殿暦
1393年 6月14日 明徳 4年 5月 5日つちのととり己酉 申刻 三光見了 言語道断事也 大乗院孝尋日記
1580年 7月21日 天正 8年 6月10日つちのえさる戊申 三個月 自今日与欠 太白与月加景 公卿補任


金星の伝承

日本 明けの明星、宵の明星
ギリシャ フォスフェラス、ヘスペルス
西洋 ヴィーナス(愛と美の女神)
中国 太白星
仏教 明星天子、虚空像菩薩の応化
神社 明星天社、星の宮
求聞持法 明星を拝み記憶力の増進を祈る