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世界の中で  まつやま文化展望より

抑留キャンプ 一片のパン 〜 一輪の花に世界を見る 〜  愛媛生涯学習推進講師 西岡千頭

敗戦直後の日本兵

 思えば昭和20年の8月15日、私たちは生き地獄のビルマ(現在のミャンマー)戦線において敗戦を迎え、以来復員の日までの約2年間、全く乞食同然の姿で苦しい労役に服してきた。当初は一日の配給米は一合にも足らず空腹を抱えての労働であったから英印軍のキャンプへ到着するや否や、直ちにゴミ捨て場に群がり残飯を漁るという哀れな状態であった。

英印軍キャンプ 一片のパン

 そんなある日のことである。キャンプの長(インド人の准尉)が私を呼んでいるので急いで駆けていくと「君は指揮官か?」と問うから「そうだ」と答えると、彼は次のように言った。「私は日本軍が降伏する8月15日まで日本軍の捕虜であった。当時のひもじさは今も忘れない。この頭の傷は、空腹のためよろめいたとき、日本兵に銃で殴られた時のものである。私はこのキャンプのサプライチーフ(給食担当責任者)である。あなた達がこの部隊のキャンプへ作業に来ている間は、毎日必ず昼食を給与するから、ゴミ捨て場へは行かぬようにして欲しい」と。その時に給与されたパンの味は、50年後の今日でも忘れることはできない。そして「日本軍の敗北」を心の中で認め始めたのは、実にこの日からのことであった。

日本兵に肩を貸した英国人の中佐

 また別の日の作業のときである。その日は小雨が降っていた。二人の日本兵が材木を担いで細いあぜ道を通つていたが、つい足を滑らしてよろめき、転びそうになった。その時、二人のすぐ後を歩いていた英国人の中佐が、間髪を入れず、さっと材木の下に肩を入れ難なきを得た。そして広い道路へ出るまで一緒に材木を担いで歩き、さりげなく去っていったのである。ほんの一瞬の光景であったが、このときほど大きい衝撃を受けたことはなかった。この英国人のとった行動は、私の心の中における「日本軍の敗北」感をいよいよ深いものにしていった。

日本兵の遺体に敬礼する英印軍兵士

 さらに数日後のことである。一人の日本兵が池に落ち、不幸にも亡くなったときのことである。その葬儀のために、私たちの部隊?には一日の休暇が与えられ、葬儀に必要な一切の器材も給与された。葬儀が終わり、いよいよ遺体を載せたトラックが火葬場に向かって出発をしたその時である。キャンプ内を歩いていた英印軍の兵士たちは、それぞれの場に立ち止まり、直立不動の姿勢をとって遺体に向かって敬礼をしているではないか。私の胸には大きい感動が込み上げてきた。何という敬虔な姿であろうかと。国境を越え民族を越えた人間愛の発露であり、人の命に対する畏敬の念の表現である。この瞬間、私の心の中の「日本軍の敗北」は決定的なものになった。

いくさの勝敗

 戦いの勝敗を決するものは、果たして武力のみであろうか。一国一民族の勝敗を決するものが単に軍事力の優劣であるなどと考える者がおるとすれば時代錯誤も甚だしいことは言うまでもない。一国一民族の運命を決するものは政治・経済・社会などの一切を含めた文化の力であり、民族のもつ世界観の高さと深さにあると思う。物質的繁栄の中にある今日の日本人が忘れているものは一体なんであろうか?それは心であり、精神であり、思想である。今こそ真の日本人の自覚に立って世界に目を開き、雄渾なる精神文化の興隆のために奮起すべき時だと思う。