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臨済宗 妙心寺派 景徳禅寺

雪を擔って古井を埋む
南無の会会長 松原 泰道 師筆
お経の喩え話でも、こちらの心の受信装置が精密になればなるほど、何でもない話から深い真理を受け取ることができるようになるものです。その意味でお釈迦様の説かれた「雑法蔵経」の喩え話をご紹介したいと思います。

ヒマラヤの山麓に森があった。その森にある時、山火事が発生し、森の中に住んでいる虎や獅子は懸命に火を消そうとしたけれども、手がつけられなくなった。彼らも危険を感じたので、岩陰に隠れていたところ、一羽の小鳥が自分の羽根にわずかな水溜りをのせて、延々と燃え上がっている火を消そうとしている。それを虎や獅子が見て言った。

「やめよ、やめよ。俺たちが出来ないことを、お前たちがそんな小さな体で水を運んでなんになる」
小鳥は答える。「私が出来ないことはよくわかっています。けれども、森が焼けるのを見ているわけにはいきません。出来る、出来ないではなくて、私は水を運ばずにはおれないのです」

このたとえ話は「出来る、出来ない」を超えて「なさずにはおれない」というこの小鳥こそが仏教の精神なのだと教えています。「出来ないからやめた」ではなく、不可能を不可能と割り切らずに自分の成すべきことならば、どこまでも努めていくというところに、本当の人間の叡智があるのではないでしょうか。