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一期一会(いちごいちえ)
(茶湯一会集)
【解鋭】 
これは井伊直弼(1815〜1860)の『茶湯一会集』に出てくる有名なことばです。

「一期」とは、人が生まれてから死ぬまでの期間、一生涯のことです。
「一」とは、ただ一度で二度と繰り返しのないこと。
「会」とは聚集の意で、人の集まり会する法会(ほうえ)を指します。
つまり、「一期一会」とは、一生にただ一度の出会いという意味です。

これは茶会における心構えや態度についてよく使われる句ですが、仏教においても、この世は無常で、会う者は必ず離れる運命にある「会者定離」(えしやじようり)といい、会ったときが別れであり、同じめぐりあいは二度とないので、やはり一期一会であるといえます。
また、何事にも一期一会と観じて全身全霊を注ぐことは、「ものになりきる」「一心不乱になる」ということで、仏教でいう「三昧(ぎんまい)」に通じるとされています。

【寸話】
 これは茶席の軸物の句の中によく書かれていることばですが、「茶湯一会集」に出てくる有名なことばです。

「一期」というのは、一生に一度だけという意味です。
一念一念に徹することが一期一会ということです。

 このことばの意味は、一度人に会って接するときは、一生に一度しかないという覚悟で、相手と応対をすべきだというのが、普通の解釈です。
しかし、これは人に会うというだけのことではなく、日常のいろいろな行ないをする場合、あるいは、ここでいまこの本を読んでいるということ自体も、この本を読むということに出会っているわけで、そのときには、その読むということにずうっと一心不乱に専念してしまうという、そのようなこともまた、一期一会なのです。
 うれしいことに会ったときは徹底的に喜べばいいが、しかし、そしてそれっきりだという世界です。
悲しいときには天も裂けよとばかりに泣けばよいのです。
そしてそれっきりだという世界、無心に喜び、無心に悲しむ世界、そういう喜び悲しみの主体となるものは無心ということになってきます。
こういう無心の喜怒哀楽の生活、または生涯を一期一会の生涯というわけです。
 そういうところからお茶人の人たちは、お茶事をした場合、何人かの人が集まってきます。
そして一生に一度の集まりであるという覚悟で、お茶の宴を張りなさいというような教訓になったのでしょう。
 もちろん、これは茶人のためばかりではなく、一般の人々の日常の生活能産というのも、まさに一期一会でなければならないということです。