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般若(はんにや)
〈般若心経)
【解説】
「般若」とは、梵語(ばんご)のプラジュニャーを中国語に音訳したもので、中国語の文字そのものに意味はありません。
意訳すると、慧(え)あるいは智慧ということになります。
つまり般若とは仏の智慧・悟りの智慧ということですが、学問によって得られる常儲的な知恵ではなく、相対的・差別的なものを超越した絶対智ともいうべきもので、宗教
的経験によってのみ初めて体得されるものです。
 この般若は、煩悩妄想を取り除いてくれるものであり、仏果を得るための最も重要な契機(素因)とされています。

【寸話】 
二世紀から四世紀にかけて、中国にはインドで起こった仏教が入りましたが、その折、インドで書かれたサンスクリット、つまり梵語の経典もたくさん入ってきました。
しかし、中国人にとっての仏教は、あくまでもインドで起こった外国の宗教であり、、経典の中に書かれているインドの宗教の思想は、中国にはなかったものです。
 当然、当時の経典をインド語から中国語に翻訳したお坊さんたちは、非常に苦労することになります。
なかでも、それまでの中国にはなかった仏教の槻念をいかに訳すかが大きな問題でした。
そこで考えられたひとつの方法が、発音をそのまま中国語に当てることでした。
そのひとつの例がこの「般若」です。仏もその発音訳のひとつです。
 本来般若というのは、仏教における悟りの智慧をことばに当てはめたものです。
この般若をしいて訳す場合には智慧としていますが、これだと、知識のあるものとか、賢いものというような意味になってしまいます。
しかし、これでは仏教における悟りの世界は表現できません。
そこで、そのまま般若ということばに翻訳され、今日に至っています。
 この有名な般若という名前のつく経典は全部で六百巻あります。
その中で、最も多くの重要なポイントをふくみ、最も短い文章にまとめられたすぐれた般若経といえば、日本人の誰もが知っている『般若心経』(はんにやしんぎよう)です。
経典の内容をかいつまんでいうと、一切は空、ということにつきます。
心にある想念とか煩悩とか、あるいは分別とかといわれる一切の心は、本来は何もなく、空である。
つまり、一切は空である、と説かれている所以です。
 そのようなことから、そういう人間の心、根源の心の姿を知る智慧は、むしろ知識とか智慧ということばよりは、自覚ということばのほうがふさわしいのではないかと思われます。
この自覚の智慧を私たちは「般若」とよびます。