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「みだれ髪」
清水《きよみづ》へ祇園《ぎをん》をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
その子二十《はたち》櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
髪五尺ときなば水にやはらかき少女《をとめ》ごころは秘めて放たじ
道を云はず後を思はず名を問はずここに恋ひ恋ふ君と我と見る
臙脂色《えんじいろ》は誰にかたらむ血のゆらぎ春のおもひのさかりの命
やは肌のあつき血汐《ちしほ》にふれも見でさびしからずや道を説く君
写真提供:日本近代文学館
与謝野晶子歌人。
「明星」に短歌を発表していたが、
やがて主宰者の与謝野鉄幹と
恋愛し、結婚した。
同じ年歌集「みだれ髪」を刊行。
恋愛への情熱を華やかに
うたいあげて注目をあつめた。
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いみじかる 秋にひたれり 瀬戸の海 道前道後 石づちの山
海清し 四国のさくら 紅き葉を おとし初めたる 松山の城
松山の 城より秋の 海見れば 大地も持てり うつくしき蔓(つる)
なかば海 なかばは山を 見る城の 十一月の しろき石段
一筋の 石手づつみの 木のはてに 川ぐちの水 しろき秋かな
海は海 山はおのれの 青をもて 惑ふことなく つらなれる伊豫
四国にて われそもいくつ 見ることぞ 秋のこころの 現るる城
朱の襦子(しゅす)の 柿のおち葉の めでたさよ 伊豫松山の 城門のもと
かずかずの 文のからかと 見ゆるなり 物をおもへば 瀬戸の小島も
子規居士と 鳴雪翁の 居たまへる 伊豫の御寺(みてら)の 秋の夕風
湯のこほり 石手の寺の 前を過ぐ 松山城に 日のおつるころ
古伊豫の 湯の郡(こほり) これ山の城 天帝廟(びょう)の ここちすれども
夕明り 道後の湯場に かかるなり 松山の城 月のここちに
伊豫節を おとも歌ひて 「ていれぎ」を 噛めば清水を 噛むごとしわれ
湯之町と 松山城をつなぐ道 眞白し秋が するわざのごと
道後なる 湯の大神の御社の もとに寝(ぬ)る夜と なりにけるかな
夕映(ゆうばえ)の 空を負へれば わが知らぬ めでたき國の 門に似る城
松山を なほあまたたび 訪はしめよ 伊豫の湯げたの 数に似ずとも
伊豫の秋 石手の寺の香盤に 海のいろして 立つけむりかな
別るべき 伊豫の港よ 松山の 古町(こまち)の雨に ぬれつつぞこし
与謝野晶子 よさのあきこ 1878〜1942 
明治〜昭和期の歌人。
大阪府堺市生まれ。
旧姓鳳(ほう)。
「明星」に短歌を発表していたが、
やがて主宰者の与謝野鉄幹(寛)と恋愛し、
1901年(明治34)結婚した。
同年、歌集「みだれ髪」を刊行。
恋愛の情熱を大胆かつ華やかにうたいあげて注目をあつめ、
「明星」のロマン主義運動を開花させるとともに、
短歌が近代人の表現になりうることを世にしめした。
大正期には女性問題や教育問題への発言も多く、
1921年からは文化学院の創設に参画して自由教育につくした。

歌集「小扇」(1904)、
「恋衣(こいごろも)」(山川登美子、
増田雅子との共著:1905)、
「舞姫」(1906)、
「夏より秋へ」(1914)、
「白桜集」(1942)などのほか、
「新訳源氏物語」(1912〜13)などの

古典の現代語訳や鑑賞、童話、歌論、評論など多くの著作がある
なお日露戦争の際につくられた「君死にたまふことなかれ」(1904)は
反戦詩として有名である。
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