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薄墨桜(うすずみざくら)の由来

三輪田米山の書「薄墨桜」
 寺伝によれば、天平の昔天武天皇のころ、道後温泉にお留りの時、皇后が病気になられ、畏くも病気平癒の勅命を受けました。一寺を挙げて本尊薬師如来に修法祈祷を行ったところ、日ならずして皇后が回復されました。喜ばれた天皇は勅使を遣わし、薄墨の綸旨(天皇の詔)と共に一本の桜を賜ったのです。寺ではその桜を育て薄墨桜として今日まで伝えています。
薄墨桜は、江戸時代から伊予節や伊予万歳にうたわれ、松山の名桜として親しまれています。
現在は若木に引き継いでいますが、松山市指定天然記念物であり、学名では「イヨウスズミ」といいます。
▲初代の薄墨桜
薄墨桜の句碑   薄墨の 綸旨かしこき 桜かな   極堂
この句の作者柳原極堂は俳人正岡子規の友人で松山の俳人の一人です。昭和27年4月極堂翁立会いのもと除幕された極堂直筆の句碑がこの桜を褒め讃えています。
西法寺で生まれた西法寺桜
 薄墨桜とソメイヨシノの自然交配による実生で育ち、西法寺桜と命名し新品種とし注目されています。西法寺桜は、薄墨桜より開花が少し早く、4月6日前後が見頃です。