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旅と猿 高村 昌雄 H12・04・20 4号

 今年私のところに来た年賀状の中に、防府の山頭火ふるさと会の会員からもらうたものがあり、

ほんにあたたかく 人も旅もお正月 山頭火

という句が記されていた。
 私の出した年賀状には

ほんにあたゝかく 人も猿もお正月 山頭火

と書いておいた。
 前句と後句の違いは「旅」と「猿」である。
 昭和48年刊の「定本山頭火全集」と「山頭火大全」のいずれにも「道後公園」と前書きして「人も旅も」と記してある。
 「人も旅も」の句は昭和16年刊「愚を守る」(初版)の「俳句」の「遍路行」にやはり「道後公園」と前書きして「人も旅も」と記してある。まだ「層雲」を確認することができていないが、おそらく「愚を守る」初版本がこの句を活字にした最初であったろう。以後常にこの句は「人も旅も」であった。

老松の根にすわり
物乞うことども
枯れす
ゝきは

枯れるま
ゝにしておく
ほんに

あた
ゝかく人も猿も

お正月
春遠からじ

水へ
したたる

柳のかげの
をんなを岩に

ピント

合わしてる
若さ
人 も 猿 も






 ところが、いまここにあるコピーには「人も猿も」とある。このコピーの表紙には「皇紀二千六百年正月・句会日記」とある。因みに皇紀二千六百年は昭和15年のことである。この日記は山頭火の畏友「高橋一洵翁の自筆記録によるもので、正月三日の記事に 「山頭火、月邦、柳女、一洵炊の四人連れ立(ち道後=破損欠落)公園を散歩し石手寺に詣で寺内地蔵院(にて=破損欠落)初句会を催す院主水崎玉峰師心から歓迎して下さる」とあり、次の頁に左図の句が記録されている。
 三行目が問題の句である。

右に「人も猿も」を特に引き出した(原寸大)が、どう見ても「旅」ではなく「猿」である。句会では、声を出して詠まれたであろうから、その上での記録であるからには書き誤りはまず考えられない。したがってここはやはり「人も旅も」ではなくて「人も猿も」とするのが正しいであるう。
 「人も旅も」ではどうもその取り合わせが不自然で状況が把握できなかったが、「人も猿も」となればようやく納 得できる。お正月のこととて人も酒に酔って赤い顔をしており、公園で見た(当時、道後公園には猿の檻があった)猿.も赤い顔をしており、まさにお正月の風景である。
 結局、「愚を守る」を作るときに大山澄太が原稿を誤記したか、印刷所の誤植だったのかのいずれかであろうと思われる。それがそのま「定本山頭火全集」に受け継がれ、さらに「山頭火大全」につながったものであろう。
 ただ一つ疑問の残るのは、高橋一洵の「句会日記」には「道後公園」という前書きはない。したがって大山澄太はこの句会日記を見ずに、山頭火自身の書いた何か(この日の日記はない)例えば「句日記」を見ているのではないだろうか。その何かには「人も旅も」となっているのかもしれない。それを確認しておかなければならまい。

 大山澄太がこの句会日記を見ていないと考えられるもう一つの理由として、「人も猿も」の句の後の

枯れすゝきは 枯れるまゝにしておく
老松の根にすわり 物乞ふことども

の二句が「愚を守る」にも、「定本山頭火全集」にも収録されていないことが挙げられる。句会日記を見ていれば当然この二句は収録されていたはずである。
 このことに最初に気がついたのは藤岡照房氏で、彼の著書「ひともよう」に「人も猿も」で紹介してある。続いて「山頭火文庫通信NO6」にもう少しつっこんだ形で論及している。因みに
因みにこの句は、松山市道後湯之町のふなや旅館奥庭に建てられている句碑の

朝湯こんこんあふるる まんなかのわたくし

の裏面に

ほんにあたゝかく 人も旅もお正月

と刻まれている。