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 特別寄稿   山頭火さん 元山頭火鉢の子会代表 書家高橋正治  H10・11・10 創刊号
 父、高橋一洵は松山高商から松山商大(現松山大)に至る33年間にわたり教鞭を執っていたフランス語の教授。教育者のかたわら「層雲」に所属し、作句活動にも傾倒した。県内外から多くの文人たちが訪れ、種田山頭火もその一人であった。「伊予に死にたし」と全国放浪の果て、一洵を頼って来松したのが昭和14年10月のことである。
 そんなことからわたしも自然に山頭火さんに親しみを憶え、魅力を感じるようになってきた。長年にわたって山頭火さんの位牌を守るべく、山頭火鉢の子会の名称で静かに今日まで活動をして来たのである。句碑も建立、山頭火遺墨展など、顕彰活動をしてきたのではあるが、この度、平成10年4月に、まつやま山頭火の会への合流にお誘いがあり、私としても一つにまとめるのがよかろうと承知をし、 「山頭火鉢の子会」は発展的解散とすることになった。
 このような経緯もあって、「まつやま山頭火の会」の事業として、山頭火の命日に行ってきた法要を「一草忌」として引き続き実施、また、この会報にも「鉢の子会」の名残を留めることになったわけである。
 このところ、松山にも山頭火ファンが急増しつつある。当時(昭和15年)といえば、山頭火はまだ一介のこじき坊主、しかし、そのころから、父一洵は彼の句に非凡な才能を見いだしていた。書き残したものを大切に保管し続けてきた。日記類、句集、書など多く残存している。これらの多くは、すでに出版され、山頭火関係の書物の下敷きとなったものも数多い。
 大酒飲みでぐうたらといわれながらも、旅の途中で手を合わせていたのであろう、手帳の中には肉親たちの戒名がきちんと記され、律儀で心優しい一面を覗かせている。彼の最期の句に、

 打つよりをはる  蟲のいのちのもろい風

がある。死の直前、虫の死によって自らの死を予期したかのようなこの句は、孤独な放浪の俳人の最期の心情であろう。
 現在では、生前の一洵・山頭火の交流を知って、遠くから訪ねて来られる。
 五・七・五の定型俳句が主流を占める現在、かって山頭火や一洵が生涯をかけたにもかかわらず、今また消え去っている自由律俳句の火を再び灯さなければならない。
 過去は過去、こだわることなく、心と心の通じ合いを打ち出せる自由律俳句をやりたいと思う。