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 続 山頭火句五題 三たび殺か放か 高村 昌雄 H14・04・30 10号
 三たび殺か放か
 「鉢の子」第9号の「再び殺か放か」に対して、香川県長尾町の砂井斗志男氏からお便りをいただいた。
「再び殺か放か」の文章大変面白く読みました。
 この問題作品は大正7年のもので、「飯十一句』の中の第三句目のものである。ちなみに
第一句
飯の白さの 梅干しの赤きたふとけれ
第二句
風吹きつのる 草原の虫鳴きつのる
第四句
草の葉そよぎかはしつつ 暮るるかな
第五句
ふる郷の小鳥啼く木撫でてみる
 当時はどの句にも詩的感覚が豊富なものが多く、正に文学にのった作品ばかりである。こんな生々しいときに「殺したり」という表現はしなかっただろうと思う。
 私は、たまたま部屋の柱かどこかにつかまってねむっている蝶を見て、可愛想にと思いつつ羽根をつまんで外へ逃がしてやったものと解している。蝶は元来野外にいるものだからこそ、大自然の中に放してやったものと考える。そこにこそ文学の基本姿勢がのぞかれる。
 この句の場合「真夜中」の場面で殺したりしたのでは、何の救いも価値もない作品になってしまいます。
 「蝶々」複数も駄目。
 真夜中に大きな蝶を放しやったことで、第一句の「梅干の赤きたふとけれ」にも通じるものです。
大きな蝶を放したり真夜中
 これでこそ人はどう生きるかの文学作品。ご参考までに。」
というご意見である。
 砂井氏は、中村草田男に師事された俳人であるが、山頭火にも強い関心を持たれており、実作者の立場からのご意見をいただいたものと思う。
 ご指摘のとおり、問題の句は「層雲」の大正7年4月号37頁に「飯」と題して発表された内の第三句であるが、まぎれもなく「殺したり」となっているのである。もし「放し」であるなら、正誤訂正記事が出ているかもしれないと思い、その後の層雲をずっと調べてみたが訂正された様子はない。もちろん百%正誤訂正が出ているとは限らないのだか、一応誤植ではないと考えてもよいのではないかと思う。
 「層雲」では通常、出稿されて二〜三ヵ月後に掲載されている。となれば「飯」十一句は大正7年2月か1月に出稿されたことになるが、第二句の

風吹きつのる 草原の蟲鳴きつのる

第八句の

鳴く蟲のひとつ 店の隅にて更けてあり

あたりは問題の句と共に冬の最中に詠まれた句ではなく、秋に詠まれたと考えるのが自然であろう。とすると大正6年の秋か、あるいはもうと以前に詠んだ句ということになるが、作句時期は確定できない。
 この当時、山頭火は熊本にいたが、層雲に発表した以外に問題の句を発表する機会はなかうたのだろうか。もし句会の席等で詠んでおり、その時の記録でもが出てくれば、それが「殺」であれ「放」であれ、確定的な判断をする根拠になるのだが。私としては、「層雲」に発表された句が「殺す」となっており、正誤訂正の記事も出ていないというところから、新しい資料が出てくるまでは「山頭火展」の図録の文字を含めて、従来どおり

大きな蝶を殺したり真夜中

としておきたいのだが、どうだろうか。

 ここで毎日新聞社が昨年開催した「生誕百二十年記念ー風と雲と酒ー山頭火-今甦る流旅人」展の図録について、気がついた誤りを訂正して置こう。
31頁
  雪をまじかに↓
  雷をまじかに

  雪をましか尓↓
  雷をましか尓

63頁
  空 山 と同じ大きさの字になろていて(山頭火の略)とあるので空山が山頭火の別号と誤解した人があった。
   「山」は一段小さな大きさにしておくべきであった。

134頁右上
  白銀越ー白根越

149頁
  迦洞無坪居の所在地は生口島ではなく「生野島」である。

152頁〜153頁
  「全国厳選句碑一覧」の地図に付けられている黒丸が154頁以下に掲載されている句碑以外の句碑の所在地を示しているかに見えるが、
  「人脈地図」をそのまま利用しているため、句碑の所在地とは関係の無いところに黒丸と地名がついている。

154頁
  東京に耒てゐる↓
  東京に来てゐる

 なお、70頁左の

 枝に花がのしづけさ

は、「山頭火大全」 (講談社刊)では

 枝に花がのしづけさ

となっているが、これは「図録」の方が正しい。

(高村)

 熊本市電運行妨害事件の日時特定について
 山頭火が大正13年12月頃、熊本市電の前に立ちふさがり急停車させた事件の「日」を特定するため、熊本市交通局を訪ねて調査を依頼していたが、残念ながら「熊本市電六十年史」に出ている以上の資料はないとの回答があった。かなり期待していたのだが残念である。

(高村)