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山頭火の日記から  高村 昌雄 H15・07・10 12号
 山頭火は、昭和5年9月9日、熊本から行乞の旅に出るが、その旅に出る前に、それまでに付けていた日記、手記を全て焼き捨ててしまった。何時からの物であったのかはわかっていない。おそらく大正15年ころからの物ではなかろうか。このために、特に昭和2年から3年7月までの山頭火の消息は謎につつまれてしまった。
 この時点で、過去の山頭火の全てを消し去り、新しい山頭火の誕生を決意したのでないかと言われている。
 昭和5年9月9月、行乞の旅に出た山頭火は再び日記を付けはじめた。題して「行乞記」としている。
 9月9日は八代町(現・八代市)の吾妻屋、9月10日〜12日は日奈久温泉(八代市)の「織屋」に滞在した。この「織屋」は現在もほとんど当時のまま保存されており、毎年9月に日奈久温泉が開く町起こしイベント「9月は日奈久で山頭火」で一般公開されている。
 9月13日、二見(八代市)まで約4kmを歩いたあと、列車で佐敷(芦北町)まで行って「川端屋」に泊まる。
 9月14日、佐敷川沿いに山に入り、途中から列車で人吉に着く。人吉に着いた山頭火は宮川屋に投宿、16日まで滞在している。この「宮川屋」は、人吉駅からすぐ狭い路地を左へ少し入った線路脇の建物で、廃屋になりかけているが、一応現在も残っている。
 9月14日の日記には、「呪うべき句を三つ四つ」として「死」をうたった句が4句記されたあとに、「焼き捨てた日記、手記の中から記億に残った句を整理した」として、19句を復活させている。
その第一句の

○ けふのみちの    たんばゝさいた

は、昭和5年2月28日、津屋崎町(福岡県宗像郡)から木村緑平宛に出した葉書に記されている。第3句目の

○ 炭坑街大きな雪が 降りだした

は同年2月17日に金田町(福岡県田川郡)から松垣昧々宛に出した葉書に

○ ボタ山の雪晴れてゐる

とともに記されている句である。しかし、その他の句はいつ、どこで最初に詠んだのか不明である。
 この日記は大山澄太が出していた「大耕」の昭和25年1月号から「遺稿火行乞記 ー昭和五年九州地方ー種田山頭火」として連載され、昭和27年10月「あの山越えて」として和田書店から刊行されたが、そのいずれもが9月10日〜13日が脱落しており、1 4日も「呪ふべき句を三つ四つ」と「焼き捨てた句19句」が区別なしに列記され、しかも「呪ふべき句を三つ四つ」のうちの1句と「焼き捨てた句19句」のうちの12句が欠落している。「定本山頭火全集」(春陽堂刊)の原本となった山頭火の自筆日記とはかなり違っている。しかし、「山頭火の本(2)ーあの山越えてー行乞記一(春陽堂平成2年7月刊)」は自筆日記にしたがった内容になりている。
 さて、最近、松山市立子規記念博物館に所蔵されている「自筆日記火」のうち、昭和5年9月9日から9月16日までを閲覧、写真撮影する機会があったが、そのうちの14日
の日記を見ていてとんでもない疑問にぶつかった。「焼き捨てた句」の第8句目が

○ あの雲がおとしたか雨か 濡れて涼しや
となっている。(左端図)
 なんとなく私の記憶と異なるので、「定本山頭火全集(2)(春陽堂昭和47年4月刊)」を見ると

○ あの雲がおとしたか雨か  濡れてゐる

となりている。「山頭火の本(2)ーあの山越えてー行乞記一(春陽堂昭和54年11月刊)」も同様である。
 ところが、「山頭火全集(3)(春陽堂昭和61年5月刊)」では

○ あの雲がおとした雨か  濡れてゐる

となっている。
 「定本山頭頭火全集(1)(春陽堂昭和47年11月刊)」の総集編や、「山頭火大全(講談社平成8年3月刊7刷)」の総集編も同様である。
 いずれにしろ、原本となる自筆日記の記載とは異なっている。
 ところが、自筆の日記の方をよくみると、この句の上端に「鉢」、「おとしたか」の「か」の上から(\)、「涼しや」が( )で括られ、その右に「ゐる」と鉛筆で書き加えられている。これは「鉢の子」ではこのようになっているというメモ書きではないかと思われる。誰の手によるものかはわからないが、山頭火自身の推敲ではないはずである。
 この句は、この日記を書いたのとほぼ同じ頃に「層雲」に他の句とともに投句していて、昭和5年11月号の「一人ー境」に8句中5句目に

○ あの雲がおとして行った  雨に濡れてゐる

となっており、少し異なる。次に昭和7年6月に発行された第一句集「鉢の子」では51句目に

○ あの雲がおとした雨に  ぬれてゐる

と異なった句になっている。
 前記「大耕」(昭和25年1月号)や、「あの山越えて」 (昭和27年10月和田書店刊)も

○ あの雲がおとした雨に  ぬれてゐる

と「鉢の子」と同じ句になっている。
 それが「定本山頭火全集」(昭和47年春陽堂刊)で

○ あの雲がおとしたか  雨か濡れてゐる

となり、「山頭火全集」(昭和61年春陽堂刊)では

○ あの雲がおとした雨か  濡れてゐる

と変わる。
 結局

(1) おとして行った 雨に濡れてゐる
(2) おとした雨にぬれてゐる
(3) おとしたか雨か濡れてゐる
(4) おとした雨か濡れてゐる

の4句が出てくるが、

○ あの雲がおとしたか雨か   濡れて涼しや

は一度も表に出ていない。(1)は「層雲」、(2)は「鉢の子」に山頭火自身が出したのだからそれでいいのだが、(3)・(4)は山頭火の推敲もなさそうなのに、どうしてこのようなことになったのだろうか。        (高村記)