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第12週「おら、東京さ行くだ!」第67回〜第72回 演出:井上剛

あまちゃん(再放送)第67回 2015H27/6/22(月)

さて、東京編の〆は安定の井上剛ディレクターでがんす!

ユイと待ち合わせの北三陸駅にやってくるアキ。北鉄の最終は19時半とクソ早い。そしてスナック・梨明日は19時半からスナックタイム。

吉田副駅長が手巻き寿司が好物で、妹がブスで名前がユイだとのトリビアwww。その吉田は何故か東京の歌を歌いながら仕事をしとる笑。
また北三陸高校の修学旅行が東京で、ユイは骨折して行けなかったとのトリビアも。

観光協会ではヒロシが双眼鏡で、バス停を監視。アキの家出を警戒している。それに焼きもちを妬く栗原ちゃん。

アキの「先に言っとくけど、おら東京に行ったら別人になるからな!口数、減るからな!じぇじぇとか言わねえからな!基本、敬語になるからな!一日一食にな るからな!歩く速度1.5倍になって、便秘になるからな!ネガティブなポエム書くからな!毎日、木や草花に話しかけるからな!」にはワラタ。

駅舎で時間を潰していた二人だったが、その時、トイレから出てきた勉さんに見つかってしまう。このシーンは秀逸!
ユイは超絶悪魔の微笑みで、勉さんに向かってシーッのポーズ。この時のユイの表情は凄い。男なら間違いなくドキリっとする。そして勉さん向かってハウスの命令。がはは。
勉さんも勉さんで頷いてオドオドしてそれに従う。勉さんの可愛さは、もはや異常!がはは。

て言うか画面を見て居いなくても、セリフとナレでストーリーがわかるようにするという都市伝説を持つ朝ドラの定石的には大丈夫か?笑。

勉さんは梨明日に戻るが、とりあえず何も言えない。
ユイは「大丈夫!もう(バスで出る午後)9時!行こうか!その前に(アキに)ストーブさんに電話。あいつが見張っている限りパスに乗れないじゃん」

アキはストーブに電話。いろいろ言って窓から離そうとするが失敗。最後の最後に
アキは「ストーブさん!オラ東京なんか行ぎだぐねぇ!ずっとここさいてぇ!北三陸で暮らしてぇ!助けてけろぉ〜!本当は家でなんかしたくねえんだ!」と叫ぶ。慌てて窓際から離れるストーブ。
アキ「行こう!」
ユイ「はぁあああ!?」
アキが一芝居打ったのだ。超ビックリするユイ。やはり作劇上での役者はアキの方が一枚上手なのだ。

急いで東京行きのバスに飛び乗る二人。バスの方向幕(行き先表示板)には確かに「上野行き(急行)」とあった。しかしこれがクルクルと回って別の行き先に変更になる。それにどー見ても高速バスではなくて、路線バスだ。

にしても最初の行き先の「上野行き(急行)」とはナンだったのか?北三陸の地名か?これは「ウニ・シューター」と並ぶ、あまちゃん疑問のウチの一つである笑。

まぁ、そうであって欲しいの願うユイとアキが見た見間違えを具現化したものかもしれん。まぁ、あまちゃんは落語の世界だ。これでいいのだ!
て言うか「となりのトトロ」の猫バスみたいなもんか。猫バスの行き先は自在だもんね。

ユイとアキの家出に気付いた皆は大騒ぎに!


あまちゃん(再放送)第68回 2015H27/6/23(火)

今日は見応え有り。井上剛ディレクター様様ですよ!

まず場面転換がダイナミックでその上、わかりやすくて(・∀・)イイ!。
一つは観光協会でのK3RNSP(北三陸をなんとかすっぺ)会議の場面。こっちは春子とユイ。
もう一つは海女カフェの場面で、アキと夏ばっぱ。
これが交互にカットバックして同時展開する王道進行に萌え〜。ディスってるワケではないが、いかにも舞台的な演出ではない感じも(・∀・)イイ!。

そしてセリフの内容に説得力もあった。(・∀・)イイ!
アキが上京するという規定路線のせいで、レームダック状態だったここ数日の展開に“喝”が入った感じ。井上剛ディレクター様様ですよ!

本日のポイント→組合長がホワイトボードの事を「白板」と言っていたけど、ホワイトボードは商標らしいぞ。

先ずは【K3RNSP】
こっちは家出の概要説明。前回のバスでの家出のシーン、ミズタクのシーンなどなど。今日の演出は、非情に丁寧に、以前のシーンをいちいち挿入してくるのも(・∀・)イイ!。

続いて【海女カフェ】
こっちは夏ばっぱがアキを詰める。
夏ばっぱ「おら達は毎日、命がけで潜ってる。海の中でも、陸の上でもお互いの信頼関係が何よりも大事なんだ!おめえ(アキ)はその信頼関係を壊して逃げようとしたんだど!重大なペナルティだ!」
…と例によって一瞬、マジモードだったけど、いつものように、シリアスな展開(葛藤)はこれでおしまい。こーいう軽さが、ニッポンの朝には必要だったんだよね。非常に(・∀・)イイ!

【K3RNSP】
栗原ちゃんが、アキとユイを失った時の経済的損失を計算。しかし結果があまりに厳しいせいで超苦悶の顔芸を披露。しかもSLOW再生付き笑。脱力すますた。
まぁ基本的にゼニの話し。唯一、勉さんだけがゼニ以外の話しがありそうだが、いつものようにシカトされる笑。

【海女カフェ】
こっちはアキが回りを説得。
アキ「(芸能)事務所の社長とも電話でしゃべったべ」
一同「じぇじぇ!」

【回想インサート】
アキとユイに電話する、その事務所の社長の太巻。「今、夏休みだよね?東京、出てこれる?」

【K3RNSP】
ユイ「(その事務所の社長の太巻に)『会ってみたい』って言われました。だからとにかく行こうとって決めたんです…」と滑らかに繋げる演出。(・∀・)イイ!てか警察の取り調べか!笑。
しかし大人達はいつもワンパターンでユイの慰留。
そしてユイの饒舌な反駁(はんばく)が冴え渡るぜ。(・∀・)イイ!
ユイ「(自分達が東京に行った後について)それについては考えました。確かにうちらがいなくなると一時的に観光客は減るでしょう。でもPRなら東京行って も出来ますよね?むしろ北三陸の知名度を上げるためには、ここへいて観光客を待ってるより東京へ行って呼びかけた方が効果的なんじゃないかって」
菅原「くそっ!正論だ…」
ユイ「アキちゃんも私も東京行ったら積極的に訛っていこうって。相手がタモリさんだろうがアッコさんだろうが『じぇじぇ!』って通そうって。『じぇじぇ』で流行語大賞獲りまーす!」にはワラタ。実際の流行語大賞獲ったしね笑。

【海女カフェ】
アキは語る。「…でもこんな事言ったら怒られるかもしんねぇが…」
夏ばっぱ「怒んねぇから言ってみろ」
アキ「海女は好きだけど。今じゃなくてもできるべ。だけどユイちゃんと東京さ行ってアイドルさ…なれるかどうか分かんねぇけど、それは今しかできねえべ!」うん。これは説得力あるべ。
続けてアキは語る。いよいよ座敷わらしの洗脳開始だ!笑。
美寿々「(アイドルに)なれねがったらどうする?」
アキ「そん時は潔く帰ってくるべ」
かつ枝「帰って来てまた潜るのか?」
アキ「当たり前だ!オラ、海女だもん!…ただし町のためとか誰かのためでねえ!おらが潜りてえから潜るんだ。爺ちゃんが言ってた。ここが世界で一番良い所 だって夏ばっぱに教える為に長く航海してるって。【回想インサート:忠兵衛のシーン】おらも一緒だ。ここが一番いいぞって皆に教える為に東京さ行ぐ。行ぎ てえんだ!」
かつ枝「行かせてやっぺ!行けアキ!ここさオラ達に任せて東京で頑張れ!誰の為でもねえ潜りてえ時に潜る…そったな当たり前の事をまさかお前がら教わるとは思わながった」それに皆が賛同。
をいをい!海女はサービス業じゃなかったのかよ?あっサービス業なのは“観光”海女だったけか笑。

座敷わらしアキはまたも洗脳に成功した模様www。そして花巻の娘の姉妹で「新あまちゃん」が作れる予感!笑。

【K3RNSP】
遂に海女クラブを味方に付けたアキが乗り込んで来る。本領発揮ですな。もちろんドラマの進行的には「さてこれからどうなる?」モードですが…。更に組合長の突然の雄叫びが不穏を表すのだ←ウソ。


あまちゃん(再放送)第69回 2015H27/6/24(水)

K3RNSP中の観光協会に乗り込む海女軍団 with アキ。

勉さんがいたずら…いや復讐で仕込んだ一味だか七味だか入りのお茶を飲んで絶叫する組合長www。アキは「そんなに泣かれると…」と天然応対。

先ずは夏ばっぱが、関係者各位同士を謝罪をさせた。これぞ「謝罪の王様」である。←ウソwww。

その上で、夏ばっぱは改めて、それぞれの言い分を聞くという大岡越前ぶりwww。

北鉄も観光協会も漁協も、言い分は十年一日の売上重視のゼニゲバ(死語)。功はユイ本人の希望に任せると、いつものように鷹揚。春子は芸能界入り絶対反対運動展開中。勉さんは…これは言わない約束www。

最後に夏ばっぱが喝破する。「おめぇら、ここらで2人に恩返しするのが筋でねぇか?若ぇ2人の未来を、欲の皮の突っ張った大人が犠牲にしちゃなんねえ」で流れを変える。皆を少しばかり( ゚Д゚)ハッ!とさせ、少しばかり納得させるのだ。

春子が別の意味でこれに激しく反応。「私が出て行く時も(こんな風に)言ってくれたら良かったのに。…来たよね?ウチに欲の皮のつっぱった大人が!あの時さ、今みたいに立派な事言ってくれたら私の人生も違ってたんだろうな」

は〜い!やっと出ましたぁ。急いで第39回を読み返してください!笑。

『若・夏ばっぱは若春子が出て行くことを見逃すつもりだから、あえて若春子に何も言わなかったのだ。しかし若春子は、それを「母は肝心な時には何も言ってくれなかった」と捉えた。逆である。肝心な時だから夏は何も言わなかったのに…。』

あまちゃんに頻出して、奥の方で神秘的な構造を成す、超絶技巧プロットの一つである“対を成す同じ構造体”の、出現である。今回のこの構造体は第39回と第42回にチラリと出て来るが、それが今回、ハッキリと“対を成す同じ構造体”として出現したのだ。

視聴者は「ああ!あん時の、アレはコレと繋がるのか…いやこれは“対を成す同じ構造体”なのか!すげープロット(プロットと言って良いのかまだわからんが)だなあああ!」と感じるのである。…まぁ、そう感じるのは、おらみでぇなアホだけですけどね。げへへへ。

あまちゃんはサラリと見てこんな深読みしなくてもストーリーとしては普通に面白いし楽しめる。しかし、こんな風に見ると、なるほど!と思う仕掛けにもなっている。こーいう「レイヤー構造(二重性または通奏低音)」が、あまちゃんの凄みなのだ。

要は春子の家出と、今回のアキとユイの家出が“対を成す同じ構造体”プロットである。でも全てが同じなわけではない。奇しくも夏ばっぱが「お前とアキも違うぞ」と言ったように、アキは春子とは違った。

春子は妙な誤解をしたままだが、アキはコトを素直に受け止めた。「だから人は素直になれ」…なんてクドカンさんは教訓めいてないけどね。そこがクドカンさ んのいいところだ!…て言うか、ここは夏ばっぱと春子の確執がテーマなので、アキを絡ませる必要かないからなんだけどね笑。



さて、姉さん!事件でがす!

スナック・梨明日に集まるいつもの面々。なななんと!いつの間にかミズタクがシレッと居るではないか。しかも、ちょっと眼光鋭い所までチラ見せした。ここで水口がスーツを着てないのは、東京編で、スーツ姿で全力でアキを召喚しにすっ飛んでくるサマを魅せるためだ。

しかし、当面はミズタクの存在は無視される。これはお約束www。

さぁ!水口。オマイの名前の通り、水の口を開けてユイとアキを東京に流し込めるか?いや、ユイはまだキルケゴール的に“潜っていない”ではないか。あまちゃんは“潜る物語”だ。従って、潜ってないユイは、水口の水路に入れない。

にしてもあんなに激怒して破門にしたのに勉さんはミズタクがいる事を喜んでるように見えるではないか笑。「師弟の葛藤より、ほのぼの展開」クドカンさんらしいです。もちろん美寿々も大喜び。

大吉は酒に酔った「勘違い」でミズタクを殴る。リアルなら刑事事件だけど、ここは落語の世界。大丈夫だよん。流れ的には大吉の怒りをここで一時、発散しておく必要があったようだ。ウーロン茶で酔うという設定も面白いしね笑。

にしてもクドカンさん。やはりキャラの使い方が上手い!ミズタクは見たまんまのストレンジャー。掻き回し役で、文字通り掻き回して流れを変える。

しかもミズタクは「その場の空気」を変えるのが上手かった。第61回の時は「オーディション」ネタを使って空気を一瞬にして変えてみせた。

今回は「今日は社長の代理で来ました…。オーディションではなく正式にユイちゃんとアキちゃんをハートフルの所属タレントとして迎えたいというご相談です」と、これまた一瞬で空気を自分の色に変えてみせた。

春子は「何で社長が来ないの?」と、芸能界関係にサムシングがある事も、ほんの少し臭わせた。

ミズタクは「GMT47プロジェクト」について話す。
静岡代表『茶柱ピンピン娘』、
福島代表『あかべこ&あおべこ』、
福岡代表『親不孝ドールズ』などが紹介された笑。
いずれねも、鉄拳のアニメでの紹介が最高!

て言うか、お茶の魔術師「静岡 給湯キューテーズ」(第62回)はどうしたあああ!太巻のメガネにかなわなかったのか!?

珍しくまたも眼光鋭くミズタクは言う。
「でも僕も本気なんで。ここで引き下げる訳には行かないんです」

さあ!ハブとマングース…いや春子とミズタクの対決!明日はどうなる!おら、ワクワクが止まんねぇ!


あまちゃん(再放送)第70回 2015H27/6/25(木)

天野家に戻った春子。アキとユイが待っていた。

今日は特にアキの服装に注目。パンプキン色のTシャツの上に白いシャツ、そして青いサムエル風パンツ。ユイはパンプキン色のカーディガンの上に白いインナー。逆の色使いだ(アッパーだけだけど)。並ぶと、まるでツインで姉妹のように見える。もちろん計算だろうねぇ。

そして楽しげなタイトルバック。冒頭でジャンプするアキが、今日のこの服装なのだ。(タイトルバックでは靴がハイカットのバッシュで、今日のドラマではサンダルだけどね)

春子は天野家の自室(今はアキの部屋)で、アキと話し合い。春子はとにかくアイドル以外は絶対反対だと押す。
春子はアキが、韓流スターの追っかけをしたり、なでしこジャパンに入ったり、ガールズバーで働く「とか」でも全然OK!とのこと。なでしこ以外はディスっ てねぇか?笑。昨今、いろいろとやかましい時代に大丈夫か?NHK。実際は大丈夫だったようだけどね笑。いつも書いてるが、視聴者もこなれているのだ。

アキは「聞いてけろママ。おらがアイドルになりてぇって思ったのはママの歌、聴いた時なんだよ。…かっこよがっだぁ」
アキはこれで話しの流れを変えた。



そして超重要シーン、キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!

春子はどうしていいかわからず、階下で寝ている夏ばっぱに相談に向かう。

起きてきた夏ばっぱと春子の話し合いは、当然の流れとして、春子の過去の恩讐の話しとなる。また恨み節を持ち出す春子。
春子は自分が家出して上京した時は、夏に止めてもらえず、心配してもらえず、また送り出してももらえず、それが長年のトゲとなって春子の心に刺さっていた。

なのに夏は今回はアキの上京にアッサリ賛成だ。春子は自分の時と違う夏の対応に釈然としない。

さぁ!ここからですよ!またも「あまちゃん」に頻出する「レイヤー構造(二重性または通奏低音)」が出ました!

超重要シーンは、夏ばっぱのこのセリフから始まる。

「やっぱし、あん時のことが引っ掛かってんだべなぁ…」

巧いっ!たまらん!なぜ、たまらんかは野暮ながら後で解説しよう。

夏ばっぱ「あの晩、おめぇ(若春子)は本気で訴えかけてきた。おらも本気で応えるべきだった…『大事な娘を欲の皮の突っ張った大人達の犠牲にしたくね え』って、市長さんや組合長さ、タンカ切るべきだった。その事をずーっと、ずーっと悔やんできたから、おめえの顔見るのが辛かった…すまなかったなぁ、春 子…25年かかった…この通りだ…許してけろ」

春子は泣いている。

春子「…お母さん…顔、顔上げてよ…お母さん…」
夏ばっぱ「ふぅ〜…スッとした。…やっと言えたべ」
春子「…私もスッとした」
夏ばっぱ「そうかい」
春子「…謝って欲しかったのか、私…よく分かったね?」
夏ばっぱ「まあな」

素晴らしい!素晴らし過ぎる。これをヒトコトで言おう。夏ばっぱは“一芝居打った”のだよ。

第39回と第42回を読み返して欲しい。

第39回【レイヤー1】
春子の家出について、当時の若・夏ばっぱの考えはこうなのである→『来る者は拒まず、去る者は追わず…だ。春子は自分が守る。自分が責任を負う。だから自分に黙って、家出でもいいからここから逃げろ!自分はそれを見逃す。去る者は追わない。そして東京で夢を掴め!』

第39回【レイヤー2】
でも当時の若春子はこう捉えた『さっき夏は東京行きを認めてくれたのに、北三陸の市長まで自宅に来て、自分が海女になる事を要求された。それに対して夏は自分を守ってくれなかったではないか。手のひらを返した。話しが違う。腹が立った。もう出て行け…って事だと思った』

第42回【レイヤー1】
レイヤー1では「夏ばっぱは今でも春子の家出とかアイドル志向を快く思っていない」と感じさせる造りになっている。

第42回【レイヤー2】
しかしレイヤー2は違う。「夏ばっぱは反省しているのだ。あん時、春子を黙認して送り出して、こっそり応援したつもりが、何故、春子の不興をかったのか?」と悩んでいるのだ。

そして今日。

今日【レイヤー1】
レイヤー1構造は、ツラーとサラリと見た時に感じられる感動である。レイヤー1構造は表面的には、夏ばっぱと春子の親子の和解と関係の修復・再生に見える。これこはこれで感動的で(・∀・)イイ!春子は寛解された。

今日【レイヤー2】
しかし夏ばっぱはこう考えた。春子が家出した時と、同じ事がアキで、また起ころうとしてる。夏としては当時、春子を応援したつもりだったが、春子は誤解したままだ。
夏ばっぱはやはり賢いし格好いい。今日ここで、春子に「実はあん時は応援していたのだ。家出もあえて見逃したのだ」とは言わない。今さら感満載だし、野暮 だし、親だし、脚本的にも当たり前だ(笑)。そして何より、それでは「今の春子の…ひいてはアキの助け」にはならないではないかっっっ!
夏ばっぱは今の春子の感情の寛解をはかる事で、間接的に春子がアキに対しても素直になるように仕向けたのだ。

そう、夏ばっぱは“一芝居打った”のだよ。

ここは春子に対して、あん時、実は応援していた…とは言わず、守ってやれなくて許してけろ…と、まぁウソをついたのだ。

その証拠に次の回で夏ばっぱは言う。
「いいか春子。今なら娘の気持ちも、母親の気持ちもわかるべ?アキにとってどうすんのが一番いいのか、よーく考えろ」

凄いよねぇ。泣けてきた。夏ばっぱは春子の親だ。人の親というのは凄いものである。必要なら犠牲にもなるし、一生告白しない、墓場まで持っていくウソもつく。すごいよねぇ。感動した。

クドカンさんも凄い。前から書いているように、今日の回をツラーとサラリと見るとレイヤー1では「母娘の和解と再生」に見えて、すごく感動して泣ける。また演出もそれを狙っている。音楽も(・∀・)イイ!。

しかし、レイヤー2では違うのだ。夏は自分の本当の気持ちは隠したまま、親としてウソをつく。そして春子を納得させ、春子と同様にアキを援護したのだ。もっももっともっと感動したぞ!

「ゴルゴの結納」…じゃなくて「ゴルディアスの結び目」である。

ただバカみたいな感じで、面白いだけのドラマなのに、何か心に引っ掛かり、サムシングを感じさせ、何度も見返して、探求してしまう。そして、それでもなお、面白い!いや、更にもっと面白い!その理由はこんなところにもあったのだ。

ずぶんみたいに、ここまでアホみたいな考えも持たなくても、視聴者は潜在的に、そーいう事をどこかで感じているのだろう。だからこそ「あまちゃん」は大ヒットしたし、多くの人々の心に突き刺さったのだ。

凄いよね!あまちゃん!そしてクドカンさん!もう最高だ!おら!脚本家になりてぇ!爆!(なぬぅ?…なれねーよwww)


あまちゃん(再放送)第71回 2015H27/6/26(金)

昨日、書いちゃったけど、夏ばっぱの
「「いいか春子。今なら娘の気持ちも、母親の気持ちもわかるべ?アキにとってどうすんのが一番いいのか、よーく考えろ」が出た。

春子はアキのアイドル化を容認した。

そしてなぜか観光協会で調印式。太巻の芸能事務所「ハートフル」との契約。て言うかオーディションの話しは無しで、いきなり契約かぁ。「海女〜ソニック」が効いたな。なぜか、いっそんもいたぞ笑。

切符は大吉が手配してくれた。臨時列車まで出すという。ここで宮沢賢治作詞作曲の「星めぐりの歌」の大友良英さんアレンジによるインスト曲が流れる。

アキは最後の素潜りを堪能。

天野家でアキ。「ねぇ、ママは東京来ないの?くれば良いのに…て言うか、おらが行ぐって言ったらママも一緒に来ると思っでた」。確かにそうだな。がはは。 しかし、春子は夏と和解したので(?)北三陸で暮らす事に。東京のマンションも離婚したから、今は無いもんね。すまん。ホントの事を言うと東京編で春子を 劇的に登場させたいためか、小泉さんのスケジュールの都合だろう笑。

足立家も最後の晩餐。
ユイが「お父さん、お母さん、お兄ちゃん…長い間、お世話になりました」と珍しくしおらしいwww。
功は「頭が痛い…」と病気フラグで伏線完了www。

アキとユイが東京に立つ朝。
夏ばっぱはアキに「北の海女」はハチマキを餞別として渡す。
夏ばっぱ「この先、つれぇ事があったらこいつで涙、拭け。そんで思い出せ。寒い朝、浜さ出て潜った時の事。あれよりつれぇ事はまずねえがら…」
このハチマキは東京編で役に立つ。
夏ばっぱは「ワカメさ、ねぇな」とまた、こっそり抜け出す。夏ばっぱは何をしにどこに行ったのか?明日、明らかに…。

北三陸駅舎。
大吉の「アキちゃんの心は都会の絵の具に染まってるぞぉおおお」の元ネタは太田裕美さんの1975年のヒット曲「木綿のハンカチーフ」。

北三陸駅舎に海女クラブのメンバーが集結。アキの壮行だ。

今日はサラリとして進むんだ回でした。明日の夏ばっぱがたのしみ!


あまちゃん(再放送)第72回 2015H27/6/27(土)

本日は北三陸編、最後の日。気合いが入ってますぜ。見応えあり!刮目せよっ!

北三陸駅では海女クラブがアキの壮行。日章旗が振られる。これは日の丸ステマか?笑。

貸切列車に乗り込むアキと春子。春子はアキに手紙を渡す。この手紙が後で重要な役割を果たす事に。

しかも!賢明なる諸兄はお気づきいただけただろうか?今日から番組ナレーションが、アキになったのだ。
アキのナレで「それは、私の知らない母の半生を綴った手紙でした」と語られる。

フフフ。本放送当時は途中でナレーション担当が変わるなんて!と大騒ぎだったけど、そう。あまちゃんは落語の世界ですよ。落語の噺は自由なんですよ。フフフ。



駅での春子とアキの離別のシーン。春子のセリフがとても(・∀・)イイ!

アキ「ママ!私変わった?…1年前と随分、変わった!?」

春子「…変わってないよアキは!昔も今も『地味で暗くて向上心も協調性も存在感も個性も華もないパッとしない子』だけど…だけどみんなに好かれたね!こっ ちに来てみんなに好かれた!あんたじゃなくてみんなが変わったんだよ!自信持ちなさい!それはね、案外すごいことなんだからね!いってらっしゃい!!」

うん。これは(・∀・)イイ!ずぶんが当初から言っている…てか、このセリフで確信したのだが…アキは変わらないのだ。それはいつでもこのドラマの中で示 される。「ヒロインとが成長しないとは!」と本放送当時は視聴者からも批判されたが、クドカンさんが、そう決めたのだらか仕方ない笑。

しかも後の東京編ではアキ自身が「芸能界さ、いるど…ていうか、東京がそうなのかな?成長しねぇど怠けてるみたいに言われるべ?でもな、成長しなきゃダメ なのか?って思うんだ。人間だもの。ほっといても成長するべ?背が伸びたり、太ったり、痩せたり、おっぱいデカくなったりな。それでも変わらねえ。変わり だぐねぇ部分もあると思うんだ」と言ってしまったりしている笑。

つまり、アキは自分は変わらないものの、周りが変わる。周りを変える主人公。触媒…霊媒…座敷わらしこそ「アキ」なのである。

北鉄は行く。列車は「上手(かみて)」から「下手(しもて)」にはける。基本に忠実。

そしてこの臨時便には大吉は乗ってない。第12回では、大吉は一人で発車してしまった。しかし、今回、大吉は春子とホームに残った…と言っても、最後まで大吉と春子にエロい事はなかったけどな笑。



喫茶・リアス。思わぬ過去が露呈する。

春子「あの子たちは幸せよ。皆に祝福されてさ…私なんか誰も見送りなんか来なかったもんね」
勉さん「お母さん、居たんだよ。あの日…夏さん、ちゃんと見送りしてたんだ」「ホームじゃなくて、浜で…」

そう。実は25年前、春子が家出した時、夏は浜で大漁旗を振りながら見送り&応援していたのだ!そう!すぶんはこれを根拠として、前々回第70回 の春子と夏ばっぱのすれ違い構造と、それを逆手に活かした、クドカンさんの超絶技巧見事なプロット作りを導き出したのだ。←笑。

過去の再現シーンで、若夏は浜で大漁旗を振りながら「よし来た!頑張れ〜!春子〜!行ってこ〜い!!春子〜!元気でな〜!万歳〜!万歳〜!」

すぶん!このシーンでウルッと来たぞなもし!これぞ母の愛!感動した!夏ばっぱ、死ぬほど格好いい!格好いいはとはこーいう事だ。

春子「ずーっと恨んでた。もしも、あの時お母さんが笑顔で送り出してくれていたら…どんなに気が楽なんだろうって…」
大吉「…笑顔で送り出してたんだな」

大吉は春子家出の時に、列車内で春子に話し掛けたので、春子が夏ばっぱの見送りを見逃したのではと?と反省するが、まぁこれはどーでもいい笑。

そして次のシーンで、最も、どうしても、絶対に、何が何でも評価したいのは、クドカンさんより、NHK演出陣、今週は井上剛チーフ・ディレクターさんの演出、そして編集さんの手腕だ。

今回のアキの上京に際しても、夏ばっぱは、やはり浜で見送っていたのだ。昨日、夏ばっぱがどこかに居なくなった伏線回収はこれ。吉田がアキに話しかけて、うっかり邪魔しようとするのは、脚本の“対比構造”でいつもの事。

そして何より褒めて、与えてくれた感動に感謝しなければいけないのは、浜で大漁旗を振ってアキを応援する夏ばっぱのシーンに、楽しげなタイトルバックでかかるメインの「オープニングテーマ曲」…あのクソ明るい、あのクソやかましいスカの曲を重ねた事だ。

ずぶん、これで大号泣ですよ!

「重い事を重く描いてどーするよ。湿っぽい事を湿っぽく描いてどーするよ」である。しかも不意打ち。あのクソ明るい、あのクソやかましいスカのオープニン グテーマ曲は、このためにあったのか!…と思ったくらいだ。素晴らしい選曲だよ。ここを静かな選曲にすればただの凡百だもん。

北三陸編の最後にふさわしいですよ!滂沱の涙ですた。

にしても勉さんは若夏ばっぱに口止めされて25年も黙っていたのか!ユイの命令なんか数分しか守れてないぞ!(第67回参照)。がはは。やはりユイのよう な小娘では、勉さんのハートは射抜けないぞなもし。ユイは勉さんに表面的な事しか見てもらえず「ユイちゃんは、いい娘だよ」程度の扱いだ笑。やはり勉さん は、夏さん一筋やな!

にしても、あまちゃんというドラマは話しの内容ではなく、「レイヤー構造(二重性または通奏低音)」というプロットに感動するとは思わなかった。てかプロットで感動するとは思わなかったぞなもし!マジで。



アキを乗せた運命の列車は、ユイが待つはずの「畑野駅」に近づく。そしてユイはまたしても“運命(または運)”に翻弄されるのだ。ここで第61回と同じ事 を書こう!→ああ!人の運命を自在に操る…「夢邪気(出典:ビューティフル・ドリーマー)」…いや、脚本家とは、おもろい仕事ですなぁ!

ユイの父親、功が倒れたのだ。当然、今回の上京は見送りとなる。アキも上京を中止しようとするが、ユイは絶叫する。
「ダメ!それはダメ!アキちゃんは行って!…大丈夫。すぐ良くなるから、必ずすぐ行くから!ね…」

切ないのぉ〜。しかしユイには悪いが、これは“運命(または運)”なのだ。アキの運がいいように、ユイの運は悪いのだ。クドカンさんは「ラプラスの悪魔」である笑。
そして主人公ではないが、橋本愛さんも凄みのある良い仕事をしたと言いたい。←上から目線ですまん!

週末なので来週の予告ダイジェストが流れるが、このナレもアキになっている。てか予告編にナレってついてたっけ?笑。
そしてアキの語り口が、エヴァンゲリオンの予告風なのには吹いた。ま、最後には、いつもの「バカみたいな感じ」に戻るけどね笑。



【北三陸編の総括っぽい話し】

ずぶんは本放送の時、このいわゆる北三陸編の終わり方から見だして、北三陸の人間関係とかを把握できずにスキップ状態で、実質、東京編から見始めた感じだった。だから東京編を見てから、後で北三陸編を見たと言ってよい。

当時、ネット上では、このクソ暖かくクソ面白い北三陸編から東京編に移って、あまりにドラマのカラーが違いそうなので、ドラマが失速するのでは?という懸念が多かったと記憶している。それくらい北三陸編のあまちゃんは面白かった。

そして、今まで書いてきたように、あまちゃんには得体の知れない素晴らしいサムシングが宿っていた。有り体にいうとワクワクした。ガキの頃以来、超久し振りテレビにかじりついたし、毎朝が、そして明朝が楽しみで仕方なかった。

東京編に関しては心配は杞憂です。東京編は、北三陸編の少なくとも三倍は面白い笑。特に薬師丸ひろ子さんが登場してから、震災までのドライブ感・疾走感はハンパない。もはや異常事態だ!

クドカンさんは、どこかに書いていたと思うけど「東京編を描きたくて、逆算して地方とかアイドルを描いた」みたいな事を言っていたような気がするようなしないような感じだ。←曖昧やな笑。

北三陸編はクソ面白いんだけど、もちろん、これだけでは話しはまとまらないし、結論らしい物も出ない。伏線もだいぶ仕込んだしね笑。だから東京編は必定な んだけど今、改めて再放送で見返すと確かに東京編でドラマのカラーはガラリと変わってしまう。まるで別のドラマってなったくらいの変化だ。

しかし先も書いたけど東京編もクソ面白いぞ。ずぶんは東京編の方が好きで、先に東京編から見たせいか、後で見た北三陸編の方がおとなしい…と感じてしまったくらいだ笑。

改めて書くけど、あまちゃんには深い人生訓とか教訓とか含蓄とか美徳とか人間愛みたいなものは無いぞ笑。まぁまるで無いわけではないが…。感動や涙で推す ドラマではない。わかりやすい泣き笑いとか、家族の再生とか、地方と東京の折り合いとかは、朝ドラのフォーマットに応えたに過ぎない。

すぶん的には、あまちゃんの感動の正体とは・・・・・実はまだよくわかってないのだ。がはは。自分で何に感動したのか?わかってないのに実際、激しく感動した。強いていうなら、あまちゃんの“プロット”に感動したのではないか?と思っている。

しかしストーリーとか内容ではなく“プロット”に感動するって一体ナンなんだろう?すぶんはクドカンさんの同業者ではないので、プロットみたいな、いわば 視聴者は気にしなくてよいような物に感動するなんて、不思議な感覚だ。建築物の土台に感動するようなモンだろうか?笑。これを書く事で、この感動の源泉が 何か?自分でも明らかにしてみたいような気もするようなしないような笑。

まぁ、とにかく東京編も普通に面白い…いや“異常に”面白いぞ!



【あまちゃんにおけるビューティフル・ドリーマー】

さてここでやっと「ビューティフル・ドリーマー」…正確には「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」について触れよう。…と上から目線で正直、ス マン!「ビューティフル・ドリーマー」は1984年の日本のアニメ映画で、監督・脚本はあの、この、その押井守さんである。

すぶんは1984年の公開当時に劇場で見てはいない。ずぶんはずいぶんずんだすんだとずいぶん…いや随分後にレンタルで見た。興業的にはイマイチだったら しいけど、押井守作品の例に漏れず、後に評価され出して、それは今日まで続いていると言えよう。…と上から目線で正直、スマン!

国内、海外に押井守さんを私淑する同業者は多いようで、おおよそクリエイティブの仕事に関わる者で、この映画を観てない人は居ないのでは?…と思う。

クドカンさんも薫陶されたかもしれぬ。と言うのは、「北三陸」ってどー見ても「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」の舞台である「友引町」その ものだからだ笑。つまり「悪人が居ない。死人が出ない。自分に都合の良い事しか起こらない」世界なのだ。ビューティフル・ドリーマーでは途中で、超あから さまに自分(とその仲間達)に都合の良い事しか、徹底的に起こらなくなる。

特に永遠の夏休みをおもしろおかしく過ごす、うる星やつらのいつものメンバー達と、それを包み込む友引町の有りようを描いた映画の中盤シーンは、衝撃的 だった。ひたすらに心地よく、自由で、口唇期の全能感のようであり、そう!永遠のモラトリアムに生きるの甘美そのものだった。

なんせ悪人(この場合は錯乱坊、温泉マークなど)や、都合の悪い事(この場合はつまらない授業とか、学園祭に介入しようとする教師とか)は出て来ないか、序々に排除されていくのだ。ただただ楽しいだけの、宿題のない夏休みが毎日毎日ずーーーっと続くのだ。

もちろんそれでは理屈が通らない。みんな周知だと思うので、身も蓋もない感じでネタバレを書いてしまうが、ビューティフル・ドリーマーでは、その都合の良 い世界は夢でした…というオチとなる。もちろん夢オチだからと言って決してつまらない映画ではない。て言うか夢オチはどうでも良いくらい、凄い作品だ。

重ねて書くが、特にビューティフル・ドリーマーの中盤の永遠の夏休みのシーンは、魂を抜かれるほど、素晴らしいかった。第1回で書いように「(あまちゃんは)はまったのはエヴァンゲリオン以来。魂を抜かれたのはビューティフル・ドリーマー以来」なのだ。

あまちゃんって、ビューティフル・ドリーマーの心地よい世界観だけで終始、物語を構成したらどうなるのか?を実験してみたように、ずぶんには感じる。

ひたすらに心地よく気持ちよく安心して甘美な快感を月〜土まで毎日、浴びると…はい。人は廃人になります笑。中毒になりますね。夢中になりますね。そして大ヒット作となりますし実際、そうなりました。

となると2つの疑問が浮かぶ。一つは、じゃなぜ1984年のビューティフル・ドリーマーは大ヒットしなかったのか?あまちゃんと同じ作劇と思えるのに…。

2つ目は、あまちゃんには、ビューティフル・ドリーマーにあったような“オチ”が、それでもあったのか?オチ無しで、単に毎日、面白いドラマを流していただけで、これほど、人の琴線に触れる事が出来て、ヒットしたのか?…という疑問だ。



ビューティフル・ドリーマーでは、甘美な世界は、映画の中でも、一部分だった。しかし、あまちゃんは…震災はあったものの、あえて言うが…全編、甘美な世 界だった。ビューティフル・ドリーマーがヒットしなかったのは、そりゃ観客の見る目が、当時は無かったのだろうさ笑。だって、後で評価されるというのは そーいう事でしょう?笑。

あと、これに関連して言うと、ここで、何度も書いているけど、我々視聴者も成長したのだ。ビューティフル・ドリーマーで目覚めた人達が、今回のあまちゃんの視聴者を支えていたとも言えるかもしれない…そうかもしれないと思う毎日だ。←曖昧やな笑。

もう一つの疑問は、ビューティフル・ドリーマーには夢オチが用意されていたけど、あまちゃんは最後までオチ無しで押した。まぁ、押井守さん的に言えば、実はあまちゃんはその全てが夢だったというのもありそうだが…笑。

となると、ただただ甘美な世界だけで、悪人も、死人も、葛藤も、ルサンチマンもなしで、ドラマ…作劇って作れるのか?がもう一つの疑問として出てくる。

普通はそんな事はできない…という事になっているが、実際は、あまちゃんは大成功してしまった。今後、同業者の人達はこの事態について影響を受ける事にな るだろう。かつてビューティフル・ドリーマーが何十年に渡って、同業者に深い影響を与えたのと、同じ事が起きるかもしれない。

エヴァンゲリオン以降、アニメの作法が一変したように、しばらくは似たような、なんとなくおもしろおかしいだけのドラマが続くかもしれない。しかしテレビ ドラマは予算がなくなっており、あまちゃんの追従すら不可能で、このまま衰退していくかもしれない。悲しいけど、あまちゃんはテレビ界最後の輝きだったか もしれない。残るのは邦画とかネット動画に期待か?マンガはもっと以前から自由だったし…。

それと、単にクドカンさんの、おもしろおかしい世界観や、小ネタばかりを真似しても、通用しなかった例は既に出ている。意外にクドカンさんの世界は模倣しにくいし、模倣すれば、すぐに「クドカンっぽい」と言われモンなぁ笑。

まぁテレビの将来の事はともかく、あまちゃんは葛藤のないドラマだった。ただただ甘美で面白いだけの世界だ。そんな事で人の琴線に触れる作劇は可能なの か?それが可能なのは…漫才とか落語の世界だけかもしれない…そう。ビューティフル・ドリーマーが夢オチであったように、あまちゃんは、まぁ最初から言っ ているけど、落語の世界だったというオチなので、甘美世界との親和性は高かったではないだろうか。

視聴者に、あまちゃんは落語であるという事を気付かせないまま、この凄まじい長編を最後まで押し切ったのは凄い。もちろん小さな矛盾はあった。しかし、全体にまとまりがあった。

それと、ここで何度も書いてるが“プロットに感動した”と言うのもあるだう。もちろんプロットに感動なんてことは普通は感じる事はできない。しかし、どこ となく「あまちゃんって面白いだけではない。何かあるぞ」って感じてしまう事の背景には“プロットに感動した”というのがあるかもしれない。

これは今後のこの文章で明らかにしていこうと思う。…と上から目線で正直、スマン!



あとどうしても忘れてはならないのが、先のうる星やつらにも絡むけど、高橋留美子さんの事だ。言うまでもなく、日本を代表する大漫画家の一人で“るーみっくわーるど”と呼ばれる独特の世界観で有名。そしてマンガの作劇方法に革命を与えた人でもある。

一言で言うと“キャラをしっかり立てると、キャラは勝手に動く”という考え方で、師匠の小池一夫さんのメソッドでもあるよね。この手法を使った高橋マンガの成功はまさに「革命」で、高橋留美子以前と以後ではマンガの手法が、特に長編マンガでは一変したと言える。

例えば「こち亀」が好例だ。主眼となる軸の壮大なストーリーや重要なテーマ性は何もない笑。ひたすらマンガの中の世界で何かが起きるだけた。両さん、中川、部長などの際立った強いキャラが毎回、ドタバタを繰り返すだけ。でも面白い。

ただ、この手法だと、キャラが飽きられるので、次々にキャラを投入し続けないといけないという欠点(?)がある。こち亀で言えば、ボルボ西郷を出したのに、左近寺を出してしまって、結果としてキャラが被った笑。

高橋留美子さんの「めぞん一刻」で言うと、七尾こずえちゃんを出したけど、足りずに、八神いぶきを出したようなもんだ笑。

何が言いたいか?と言うと、あまちゃんの様なとてつもない長編となると、絶対にストーリー展開に行き詰まってしまう事が、今までは多かった。…と上から目 線で正直、スマン!そこで作者は“るーみっくわーるど”に頼ってしまう。キャラを立てて、次々とドーピングみたいに新キャラを投入し続ける。そして破綻す る笑。…と上から目線で正直、スマン!

“るーみっくわーるど”が悪いわけではなく、やはり使い方だろう。あまちゃんはどうだったか?確かにとてつもないキャラが大量に登場して、しかも次々に送り出されてくる。一見すると高橋留美子さんの手法のように見える。

しかし、あまちゃんでは、確かに各人のキャラは強烈に立っているものの、キャラが自然に動いている感じはしない気がする。もし動いてる感じがするならば、 それはクドカンさんが演者さんに“当て書き”しているせいだろう。キャラが動いているのではなくて、個性的な役者さんが動いているのだ笑。

あまちゃんには、内容はともかく(笑)主軸となるストーリーはあって、それがブレずに超長くうねって流れている。脇道(サイド・ストーリー)はない。でも 枝葉はある。枝葉(小ネタなど)が面白くて幻惑されるが、幹は別にある。またアチコチに大量にまかれた伏線も、ほぼ見事に回収されて、カタルシスを得る事 に大成功している。

となると高橋留美子さんの世界と、あまちゃんの世界は違うようだ。不思議だ。では、あまちゃんの世界とは何か?我々は何に感動したのか?

ずぶんは、あまちゃんの魅力の秘密は、伏線の組み方を含めて、構造体としての“プロットの魔術”なのでは?と思っているのだが…。正直、わからない。それ を見つけるために、これを書いているのだ。だから、ここは消化不良ですまん!てか最後まで、あまちゃんの秘密はわからないかもしれない。今のウチに言い訳 しておこう笑。

あと、あまちゃんには葛藤がない…にも通じるけど、サイド・ストーリーがほぼ無いよねぇ。例えば、今までも書いてきたけど、アキと父親の葛藤のサイド・ス トーリーで、一週間くらい引っ張れそうなのに、まったくそれをしないで、あっさり葛藤を捨てる。でも話しは面白い。葛藤って要らないんじゃね?笑。

葛藤やルサンチマンがあまりないのに、惹きつけられる作劇。うーむ、ますます不思議で仕方ない。ずぶんは、クドカンさんの同業でもないし、そんな裏方の事 は知らなくてもいいのに、どーしても気になってしまう。それくらい、今までの長編の作劇とは違う何かが、あまちゃんには潜んでいる。それは何だろうか?そ れを見つけるために、これを書いているのだ。だから、ここ「も」消化不良ですまん!てか最後まで、あまちゃんの秘密はわからないかもしれない。今のウチに 言い訳しておこう笑。笑。



最後に「あまちゃん」はクドカンさんの手柄オンリーに思われている節もあるけど、演者さん達も、美術さん達も、スタッフさんの力もだけど、演出陣の力量も絶対に素晴らしいものがあった。

実はずぶん的にはクドカンさんの作品で一番、好きなのは「あまちゃん」…ではなくて、実は映画「真夜中の弥次さん喜多さん」なんですぅ〜爆。「真夜中の弥次さん喜多さん」でクドカンさんは脚本と監督もしている。この映画、最高ですぜ!

しかし正直、一般受けは…しないですよねぇ。一般的にはワケがワカランと映画と言われているし…。がはは。あまちゃんも実はそんな感じだったかもしれないよ。「あまちゃん」直後に民法で放送した、クドカンさん脚本の「ごめんね青春!」は、何か消化不良だったもんなぁ。

またクドカンさん初期の作品で「池袋ウエストゲートパーク」があるけど、これもクドカンカラーと言うより、堤幸彦監督カラーが絶対的に強かった。

クドカンさん脚本は演出家によりけり…なんだね。

あまちゃんは「ドライなクドカンの脚本」に「ウェットで定石の演出」を加えた事が、一般受けと大ヒットを生んだのだと思う。…と上から目線で正直、スマン!

また第3回で書いたように、「本を渡したら演出には口をはさまない」と言うクドカンの姿勢も良かった。←と上から目線で正直、スマン!

あまちゃんでは、明らかに「ここ、そんなに泣かせるシーンか?」って所に、これでもか!と感動的な演出と音楽を被せている事があった。もちろん、それが悪 いわけではない。特に朝の忙しい時に、音声だけで、魅せなくてはならない朝ドラにとっては、クドカンさんの書いたレイヤー1の感動シーンは、それはそれで わかりやすかったし、狙いは見事に的中した。

クドカンさんのぶっ飛んだドライな脚本に、ウエットな演出をつけて、細部までこだわった圧倒的な情報量と、素晴らしい演者さん達、そして“こなれた”視聴 者達とネット民、そういったものの奇跡のマリアージュが、あまちゃんなのだ。…と上から目線で正直、スマン!しかも脚本集、読んでないけど…。

さぁ!いよいよ東京編だぁ!楽しみ!