MY EASSY


タブ譜

最近タブ譜付きのギター本が多く出始めてきた。ますます時代はイージーな感覚になってきている現われだと思う。
僕の教室でも教材としてタブ譜を採用して、20年ほどが経った。僕が何故このギター専用譜面を使い始めたかと言うと いくつかの理由があげられる。一つは楽譜で読む場合の初見の限界。つまり頭脳のCPUの楽譜解読処理能力の限界 それから、指導上、生徒に伝える範囲の限界、更に今後オープンチューニング(変調弦)によるレパートリー拡充に 対する、対応の限界等です。このことはギターという楽器の複雑さを示しているとも言えるでしょう。
スペイン留学から帰国後、まもなくギター教室を始めた私にとって衝撃的な事件が起こった。 それはエレキギター等を弾く青年が習いに来た時のことである。 当時楽譜中心にある程度初見もきいたのだが、彼はギターを始めて半年ほどの初心者で、タブ譜を使っていた。 私にとってはよく知らない臨時記号の多いハイポジションの曲だったのだが、さっそく初見での演奏を試みた。がさっぱり演奏できない。
それを彼はいとも簡単に弾きのけてしまった。これは私にとってある意味ショックだった。 つまりタブ譜の優位性がそこにあったからだ。 その後私は生活のため大正琴を教え始める。そこで出会ったのが楽譜を使わない数字譜である。 大正琴を習う方の多くは楽譜を読めない高齢者だったのだが、実にその上達性の早さに指導する合理性を感じた。 これがもし楽譜であれば生徒はおそらく大半辞めていただろう。
そこで、ギター教室でも同じ教材をタブ譜と楽譜で同時に異なる初心者に始めさせてその上達振りを観察した。 その結果は明らかにタブ譜の方が早かった。 しかし、タブ譜は多くの欠点を抱えていることも事実ですし、保守的な音学学習者にとっては、批判的な意見もよく理解できます。 又、楽譜のもつ視覚的な美しさからの音楽表現や芸術性もタブ譜には欠けている事だと認識しています。 そして、決められてしまった弦やポジションでは生徒に考えさせ、選ばせるという自立性も養えない。これも事実です。 しかし、考えて見ますと楽譜にせよ、タブ譜にせよ、あるいは中世のウネマ譜にしても全ては、言語と同じく意味を伝える 手段であり、目的ではないと思っています。 大事なのは音楽でありたとえどんなに楽譜やタブ譜が読めても良い演奏がなければそれは空しいでしょう。
昔、イタリアでは楽譜の読めない歌手がいたそうです。ある時、そのオペラ歌手がピアノ伴奏者 と練習をしていた時、音の間違いに気が付いたそうです。しかしピアノ奏者はそのことを指摘されるまで分からなかった そうです。一体どちらが本当に楽譜を理解できていたのでしょう?