42ND STREET(フォーティーセカンド・ストリート)No.10

ブルックリン橋を渡ると道路わきに若者たちが錯乱状態になってドラッグをやっている のが見えた。私たちはそのことに気づきながらも一言も言葉にしなかった。
香織はフロン トガラスの先を見て、私はドアの窓から盗み見をするように真夜中のマンハッタンを恐る 恐る見ていた。何を見ても私たちは黙ったままだった。
アパートの前で車がとまった。香織は顎をツンと上げて車から降りるように指図をして きた。そして氷のような冷たい眼で私をみると、シュウを探さないように念を押した。
私はそんな香織の言葉を振り切ろうと、車のドアを開けようとしたがガチャガチャと鈍 い音をたてるばかりでドアは開かなかった。
すると「ここよ」と香織が身体をねじって腕を伸ばしてきた。
私は思わず身体を後ろに引くと座席にぴたっと張り付いた。目の前にある香織の細く白い 腕には幾つもの注射の跡が茶色くなっているのが見えた。そして私が香織のそれを見てい る間にドアが重力に引っ張られるように開いた。
「早く、降りて」
と香織の怒った声がした。
「ありがとう」
と私は声をつまらせながら車から降りた。
走り去って行く香織の車が路地から消えると、胸が熱くなり涙が溢れ出てきた。
「何をしているのよ。こんなことしてバカ!」
と詰りながら、アパートの階段を駆け上が った。
部屋に入ると、むっとした。たった一日窓を締め切っただけなのに食べ残したチキンの腐 った臭いが充満していた。
私はすぐに窓を開けて、腐ったチキンをテッシュに包んで捨てた。
それでも臭いは残って、胃の中の物がこみ上げてきた。
たった一日で、こんなに腐るのだろうかと思うと「今日」が何日なのか何曜日なのか確か めたくなった。
私は香織の家に何日いたのだろうと、ラジオのスイッチを入れた。
ラジオからは「Today」と何度も聞こえてくるが、今日が何日なのか何曜日なのかDJはな かなか言ってくれない。
私はガタガタと身体を揺すりながら、ラジオを聞き続けた。
やっと今日が金曜日だとわかると、私は血の気がひいてしまった。そして
「水曜日じゃな いの」
と声を上げた。 火曜日にロンさんの店へ行ったのだから、今日は水曜日のはずだと思っていた。
「痛い!痛いじゃない」
と身体をねじった。
私はうっかりして左肩をベッドについてしまった。その瞬間、火が付いたようにぴりぴり と熱くなった。しかし、その痛みよりも二日間も私が何をしたか覚えていないことがショ ックだった。
「銃で撃たれた後、何があったの?シュウ!どこに消えちゃったのよ。私を香織さんに預 けてどこにいっちゃったの・・・」
こう叫んでも、だれも応えてはくれないしシュウも現れない。
私は涙で滲んだ目で、薄茶色の天井のシミを数えはじめた。こうすると感情を抑えるこ とができた。そのシミは小さな羊や馬に見えるのだ。
頭がクラクラするくらい眼をしっか りと開けないと無数にあって、数えきれない。肩に力が入っていたが、二百十ぐらい数え ると眠くなった。
私は夢の中に逃げ込んで、すべてを忘れようとした。そして、香織が言ったようにシュウ のことも諦めようと思った。
しかしその時だ。通りからサイレンの音と叫び声が聞こえてきた。私は冷たい氷水を一気 に浴びた思いをした。
「私を助けようとしてシュウに何かあったンだわ。お姉ちゃんのように私を助けようとし て事故に遭ったように、シュウが銃で撃たれたりして・・・・・・」
私はベッドから起き上がり、床に泣き崩れた。
その夜は、なにも思い出せずに過ぎていった。結局、私はあの惨劇から助けてくれたの はシュウだったということしか思い出せなかった。
そして、思い出せないまま日々は淡々 と過ぎていった。
私がこの空白の記憶をうめることができたのはずいぶん後になってからだった。