42ND STREET(フォーティーセカンド・ストリート)No.9

翌朝、私は一度も足を踏み入れたことのないポルノ街に行くかどうか迷っていた。
その場所はブロードウェイを走る54番のバスから見えた。
そこは露骨なポルノの看板が夜になると、どす黒く現れて思わず目を逸らしたくなるところだ。
そんなポルノ街も午前中はほとんどの店が閉まっていて人通りもない。
私は帽子を深めにかぶり、人通りのない道を脇目も振らずに速足で歩いた。そして、43 丁目にあるロンさんの店の前にきた。
私は香織さんが出てくるかもしれないとドアが開くのを待っていた。
どのくらい時間が過ぎたのか分からないが、ずいぶん長い時間あてもなく立っていた。
そんな私に幾つもの視線が向けられていた。
細い路地の隙間やビルの小いさな窓や、えげつないポルノの看板の横から、まるで品試 しでもするようにじっと視線が迫ってきていた。
静寂が一発の銃声で破られた。まるで爆竹が耳もとで破裂したように聞こえた。
「ヨーコ、どうしてここにいるンだ。逃げろ!」
シュウが突然私の前に現れた。
「シュウ、何が起きたの?」
「いいから、早く逃げるンだ」
ピストルが再び火を噴くと、私の左肩が燃え上がる炎を押し当てたように熱くなった。私は右手で肩を抑えると真っ赤な血が勢いよく出てきた。シュウは私を抱き上げると狭い路地をジグザグに走り出した。

空白の時間がどのくらいだったかと思い出そうとしたが思い出せない。ただ、部屋の窓には光沢のある臙脂のカーテンがすべてを遮断するようにひかれていた。
「ヨーコさん、気がついたのね」
肩の痛みで、目が覚めた。傷は浅く薄い皮膚が剥けるだけで、骨は大丈夫だった。それでも五針も縫い、左肩は包帯で覆われていた。
「シュウ、シュウ。どこにいるの?」
「ヨーコさん、シュウはここにはいないわ。私、香織よ」
「あなたが香織さん」
彼女は日本人女性なのに、日本人でない違う国籍を感じさせる女性にみえた。それが私にはどうしても受け入れられなかった。
「シュウはあなたを助けて、せっかくのチャンスを逃したのよ」
「チャンスを逃したって、どういうこと。香織さん」
「どうしてシュウの邪魔をしたのよ」
「邪魔したって、なんのこと」
「あんたが店の前にいたことよ」
「それがいけなかったの」
「そうよ」
香織はタバコの煙をスタンドの灯りに巻きつくように吐いた。そして白く細い指でタバコを灰皿に置くと私を睨みつけながら、飲みかけのジンを飲んだ。 彼女の眼はアイラインが太くひかれ、まるで整形をしたような二重まぶたが印象的で、その顔は今でもはっきりと覚えている。 それに私を非難した彼女は、まるでシュウの恋人のような言い方でいってきた。
「ヨーコさん、車で送るわ」
「ここはどこ?ひとりで帰ります」
「何言っているのよ。ここはブルックリンよ」
「ブルックリン?」
そこは私の知らないところだった。
香織の後について、ガレージに行くと波の音が聞こえた。 「ねぇ、もうシュウと会うのはやめてね。彼はあなたが思っているような男じゃないわ」
と香織は車に乗り込むとすぐに言ってきた。
「それ、どう言うこと」
「こんな酷い眼に遭っているのに解からないの」
「えぇ、解からないわ」
「シュウは警察に追われているのよ」
「警察に追われている・・・」
私はほんの数時間前に起きたことが、まるで夢のように思えた。ただ、銃声の音だけがいつまでも耳に残った。