|
42ND STREET(フォーティーセカンド・ストリート)No.4 「クレア・チャンネル劇場」を訪ねるようにと中野先生から電話があったのは、翌々日の 三十日の晩だった。 私はシュウのお陰で随分と落ち着きを取り戻していた。だから、オイスターバーで取り 乱してしまったことを素直に先生に謝ることができた。 先生も言い過ぎたことを認めて、私にこの上もないチャンスをくれた。 それは、先生の知り合いが、私のダンスを見てくれるということだった。翌日、すぐにブ ロードウェイにあるその劇場に行くことにした。 ブロードウェイ・ストリートには、二十もの劇場が立ち並び、数多くのロングラン・ミ ュージカルを上演している。 そして、ブロードウェイに憧れ、各地からミュージカルスタ ーを目指して若者たちが大勢集まってきている。私もその中のひとりだ。 これほどエキサ イティングな街で舞台を踏めなければ、私の人生は始まらないと思いたくなるブロードウ ェイ・ストリートだ。そして、中野先生がくれたチャンスをものにしてみせると私は気持 ちを奮い立たせた。 タイムズスクエアーからブロードウェイを南下して七ブロックほど歩いたところで、私 は地図を広げた。 「えぇ、あれがクレア・チャンネル劇場」 と私は思わず叫んでしまった。 なんとそこには、あの「42ND STREET(フォーティーセカンド・ストリート)」の看 板があった。 私は高揚した顔で事務所のドアをノックした。そして私はどきどきしながら扉を開けた。 「あなたがヨーコね。私はべスよ。宜しく!中野さんから聞いていますよ。すぐにタップ ダンスを踊ってみてちょうだい」 と四十歳ぐらいの化粧っけのない大柄な白人女性に声を かけられた。彼女は、感じよく、私を迎えてくれた。それでいて、彼女は時たま鋭い眼で 私をみた。こんな緊張の場面で、私は不思議と力が抜けてリラックスした状態で受け答え が出来た。 「オーディションはすでに終わったけど、ヨーコのダンスを見たいのよ」 「オーディションって?」 「42ND STREETのオーディションよ」 「それ、ほんとうですか」 「ほんとうよ。さあ、踊ってみせて」 「はい」と、最大級の笑みを浮かべてこたえた。 私はいままでの屈辱を晴らすかのように伸びやかに、そして軽快にタップダンスを踊っ た。高いジャンプや側転や、ばく転をアレンジして踊り、基本のステップは正確かつ優雅 に踊れた。 「すばらしいわ。ヨーコのタップダンスは輝いているわね」 とべスが絶賛してくれた。 「ありがとうございます」 私は充実感に満たされた。しかし、歌と台詞を英語で上手くできるか自信がなかった。 宝塚で六年間、歌や台詞をやってきたが英語には、自信がなかった。 「この場で悔やんでも仕方ない」 と自分に言い聞かせてみたが、私は不安をかくせなかっ た。 ベスはそんな私の顔を見て、クスッと笑って、 「この台本に書いてある台詞と歌を練習しなさい」 と私に台本を渡すと、部屋を出て行っ た。しばらく、もごもごと英語で歌っていたが彼女がなかなか戻ってこないので私は心配 になった。そして集中して歌や台詞の練習もできないまま時間が過ぎていった。 結局、その日はダンスだけで帰ることになった。そして、べスに明日はリハーサルスタ ジオに直接来るようにと言われた。 私は中野先生にすぐこのことを話したかったが、先生はすでに日本に帰ってしまってい た。その晩、歌と台詞を覚えなくてはいけない私は、台本を夜遅くまで読んだ。 翌日、リハーサルスタジオに行くと本番さながらの練習が始まっていた。そしてタップ の音がスタジオに響きわたり、その軽快なタップダンスに私は圧倒されてしまった。 「これぞ、プロだわ!」 と感激してうっとりと見とれてしまうほど、タップダンスの層の 厚さを感じた。 そんな中、ディレクターの厳しい声が飛んだ。 「こんなんじゃ、ヨーロッパ遠征にいけないぞ!」 天才演出家ジュリアンが「42ND STREET」をパリとロンドンで海外公演をするために オーディションをした新メンバーたちに檄を飛ばした。 私は身体がブルブルと震え出し、自信喪失状態に陥ってしまった。 ブロードウェイミュージカルが緻密なタップダンスをこれほど素晴らしく表現させてしま う演出に恐れおののいてしまった。 「さぁ、ヨーコ、オーディションに合格したのよ。いっしょに踊りなさい!」とべスに言 われた。 私は諤々しながら、その中に飛び込んでいった。 そして私は最後尾で踊ると、頭の中は真っ白になった。それなのに私の足はとっても軽か った。稽古が始まって、まだ一週間も経っていないのにすっかり皆は仕上がっていた。 五十四人がいっぺんに階段でタップダンスを踊るダイナミックさは圧巻で、このミュー ジカルの最大の山場だ。けっして一人のミスも許されない。私は、興奮が頭のてっぺんま で到達してしまった。その日の稽古がすべて終わるまでこの興奮は続いた。 私はアパートに着くなり、ベッドに倒れこんだ。それはなんとも心地よい疲労感だった。 薄汚れた壁も天井も、今日はまったく違って見えた。 飲みかけの渋くなったワインだけは不味かったが、私は久しぶりの歓びに浸った。 そして、私は久しぶりのふんわりとした温かな眠りについた。 |