42ND STREET(フォーティーセカンド・ストリート)No.2

そのときの二人は宝塚で演じたウエストサイド ストーリーの一場面のようだった。
私は、アメリカに行く八ヶ月前まで宝塚歌劇団にいた。
かなり昔の話になるが、池田理代子の「ベルサイユのばら」が驚異的なブームを巻き起こ し、社会現象までなった頃のことだ。
宝塚のプロデューサーたちも、この華やかな男装の麗人が主人公のラブストーリーを見 逃すわけがなかった。
すぐに、「ベルサイユのばら」は宝塚で上演され、月組、星組と公演が続いた。榛名由梨と 安奈 淳のオスカルとアンドレは、まさにタカラジェンヌの象徴となった。
私は宝塚史上に残るトップスターたちが大活躍をしていた一九七三年、宝塚音楽学校に 入学した。予科、本科を終え、歌劇団に入団した。
そして、トップスターを目指す研究科に入った。すべてが順調に進んでいた。だから、春 には満開の桜のトンネルを晴れやかな心で私は通り抜けた。
それが、ガラス細工が壊れるようにボロボロに崩れて行った。
レビューは入団してすぐから、前列を陣取り、均整のとれた肢体をフルに使ったダンスを 披露した。私のダンスセンスは並はずれていた。それは同期も先輩も誰もが認めてしまう ほどのものだった。
だから私は当然のようにトップスターになれると、傲慢稚気になっても許されると思っ ていた。
私はトップスターになる夢を毎晩見続けていた。五年間のあいだ期待と不安のなかで練習 に励んだ。
しかし、その夢は一瞬にして道が閉ざされてしまった。なんと、強力なニューフェース の大地真央の出現だった。
ディレクターは主役を決める時、ダンスにしろ、歌にしろ、必ずしも天才を求めなかっ た。それよりも「天性の男役」とだれもが認めるものを備わった者が、トップスターにな れるのだ。
今思えば、私はトップスターになる幾つかの要素が欠落していたことがよく分かる。し かし、あの時は私には耐えられない屈辱だった。
確かにそのなかには「運」もあるかもしれない。しかし、私は夢を諦めなければならな かった。幻となったウェストサイド ストーリーの失敗を原因にはしたくないが、私はす べてにけじめをつけた。
そして一九八一年の秋、ひっそりと宝塚歌劇団を退団した。
あの黒木 瞳が映画女優としてデビューするように、私はミュージカルスターとしてアメ リカでデビューを飾った。

私は宝塚を退団して、すぐに親交があった中野先生のダンススタジオに飛び込んだ。中 野ブラザーズは日本のタップダンスのパイオニアだ。
その中野先生(兄弟の兄のほう)からタップダンスを薦められた私は、ミュージカルス ターを目指した。
このとき、私は幸運にも中野ブラザーズのニューヨーク公演についていくことになった。
家族の反対を押し切って宝塚を辞めても、この公演のお陰でなんとかカッコがついた。
「娘は宝塚を辞めて、アメリカのブロードウェイでミュージカルスターになります」
と両 親が知り合いに自慢することができた。これが二度目の親孝行になった。
一度目はもちろ ん、宝塚の初舞台だ。今回は多少の後ろめたさがあったが、私の成功を喜んでくれた。
私は両親をありがたいと思った。ただ、姉だけはすべてを見抜いていたのか私のアメリ カ留学に最後まで反対していた。
五歳上の姉は私の本当によくサポートしてくれた。私が宝塚に入れたのも姉のおかげだ った。それは、今でもほんとうに姉に感謝している。
でも、当時の私は姉のそばから離れたかったことも事実だ。それは、姉の期待を裏切った 辛さに耐えられなかったからだ。
姉もまた宝塚を目指していたそれは私など問題にならないくらいタカラジェンヌになり たがっていた。
あの事故さえ起きなければ、間違いなく姉は宝塚のトップスターになれた。そう、姉は 私の身代わりに車の前に飛び込んで左足を無くしてしまったのだ。私が九歳で、姉は宝塚 を受験する十五歳の時だった。

私は六ヶ月間、中野先生からタップダンスの猛特訓を受けた。
そして、ショウを振付けてもらい一九八二年三月、ニューヨークのラジオシティ・ミュー ジックホール五十周年記念公演「アンコール」の舞台に立つことができた。中野ブラザー ズのタップダンスを披露できて私は有頂天になり、過大評価を自分にしてしまった。宝塚 のときのように・・・・。
ニューヨーク公演が終わり、私はひとりアメリカに残った。
もちろんブロードウェイでミュージカル女優のオーディションを受けるためだ。
その日から私は英語という語学の壁や日本人という人種差別に立ちむかうことになった。
世間知らずで、思い上がりの強い私には厳し過ぎた。
現実を目の当たりにした私は、オーディションを受けることすらできなかった。たかが三 ヶ月で英語、ダンス、歌とすべてにおいて最悪で最低な自分になった。悲しいかな「宝塚」 という日本のブランドはブロードウェイにはまったく通用しなかった。

それでも、私はこうして明日に向かって走っていた。
サマータイムになったばかりの五月のマンハッタンは、夜の七時過ぎでも、まだ明るかっ た。
いつのまにか雨もあがり、眩しい西日が摩天楼の数え切れないほどの窓に差し込んでいた。 私たちの影もビルの壁に細長い模様となった。
ビルの谷間に沿って単調だった道が大きな交差点にぶつかった。
そこはブロードウェイとアベニュー・オブ・ジ・アメリカンと西三十四丁目の通りの三 叉路だった。マンハッタンは碁盤の目のように縦、横に規則正しく道ができている。
その 中にブロードウェイ・ストリートだけが斜めにマンハッタンを縦断するように走っている。 私たちはこの広場のような交差点で立ち止った。
「ねぇ、どこまで行くの?」
と私は彼に訊ねた。
彼は両手を手櫛のようにして頭の前方から後方へとかきあげた。
そして頭を左右に軽く振った。
「どこへ行くかなんて、何も考えていなかった。ただ、アンタをあの場所から連れ出した かっただけだ!」
「私のことアンタなんて呼ばないで、葉子、私、門田葉子よ」
「ヨーコ、門田葉子。俺、中村 秀。シュウって言うんだ」
「シュウ、シュウって呼んでいいの?」
「あぁ」
「シュウ ありがとう。私、どうかしていたわ。チケットを無くしたくらいで、ブロード ウェイで泣くなんて、ほんとうにどうかしていたわ」
「あんなことして、警察に連れて行かれたら大変なことになる!」
「ねぇ、大変なことって、何が?」
「不法滞在がばれたら、捕まって取り調べられて、強制送還さ!」
「私、不法滞在なんかじゃないわよ。ミュージカル女優になるためにアメリカに来たのよ。 まだ、ここに来て三ヶ月だけど、ビザだってあるわ。ダンススクールの就学ビザよ」
シュウは私をバーやナイトクラブで不法労働をしている日本人と思っていた。
「そうか。就学ビザか」
とシュウは淋しいような悲しいようななんとも言えない顔をした。 そして、シュウの顔に似合わない東北訛りが耳に強く残った。
シュウは「ちぇ!」と舌打ちをした。そして怒った口調で言った。
「グリーンカードがあれば、俺は自由になれるのに!」
「えぇ、グリーンカード?」
と私はシュウに訊き返した。
(グリーンカードとはアメリカの移民局から永住を認められると外国人登録証が発行され る。このカードの表面の色がグリーンだったため、グリーンカードと呼ばれている)
「そうさ、グリーンカードさえあれば俺は自由になれる!」
シュウは怒りの拳を突き上げた。拳の先にはマンハッタンのシンボルのエンパイヤーステ イトがそそり立っていた。
私たちはこのビルのステイタスに押しつぶされそうになった。
いつも感じている息苦しさがこのときは嫌になるほど重く圧し掛かってきた。
「自由になれるって、どう言う事?」
「俺は、俺はあいつに縛られている。グリーンカードがあれば、俺が人として生きること ができるのに・・・・」
「人として生きる? シュウは不法滞在なのね」
「あぁ、そうだよ」
「ねぇ、シュウ、あいつって、だれ?だれに縛られているの?」
「店のマスターだよ。俺、鮨屋で板前をやっているのさ。ロスで四年、ここで二年、不法 労働さ」
「六年もアメリカにいるの?」
「そうさ。ポリスと店のマスターに怯えながら、六年さ!日本からロスに来たときは鮨職 人としてちゃん働けることになっていたのに・・・」
私は言葉に詰った。シュウも黙ったまま、続きを喋ろうか迷っているように見えた。
私はシュウとのあいだに流れている空気が、澱み始めたのをこのとき感じた。
シュウは私の知らないアメリカを知っている。そこは汚れた空気を吐き出している闇の 世界だ。リトルイタリー、チャイナタウン、そしてメインストリートを外れた裏道にもあ る暗黒の世界だ。
シュウはこの闇のどこかで、怯えながら隠れて生きている。
危ない男だ!もう、近づいちゃいけない。
それなのに、私はどうしても触れてみたくなった。この危ない男のすべてに・・・・・。
そして、そっとシュウの手をさわった。
彼は黙って、私の手を強く握った。私はシュウの温もりがひたひたと伝わってくるのを感 じた。
このとき、私はほんとうの淋しさから開放された。やわらかな光を身体全体に浴びたよ うな気持ちになった。
私たちは言葉もなく、この温かな光を確かめ合っていた。
そして私たちの瞳にはお互いの過去も未来もすべてを分かち合えるものが芽生え始めてい た。
シュウは腕時計を見ると現実の世界に引き戻るように私に訊いてきた。
「八時になる。ヨーコはどこに住んでいる?」
「ペンシルヴェニア駅の2ブロック西にあるアパート」
と私は答えた。
「ここのすぐ近くじゃないか。チェルシーだろう?芸術家やアクターが住んでいるチェル シー・アパート?」
「そんな凄いところじゃないわよ。アパートにはダンススクールやアクタースクールの生 徒が何人かいるけど・・・」
「そうか。でもチェルシーに住んでいれば、スターになるのも夢じゃないぞ!」
「そうなのよ。ルームメイトも同じダンススクールの子だったし・・」
「それなら、なおさらいいじゃないか」
「でも彼女、私のお金を盗んで帰ってこないのよ」
「それ、ほんとうかい。それで、その部屋の鍵を取り替えたか?」
「なぜ?取り替えてないわよ」
「あぶないぜ!盗まれたのは金だけか?パスポートは?」
「お金だけよ」
「これから、すぐ、鍵を取り替えよう」
「これから?ねぇ、どうしてそんなに急ぐの?」
「まだ、分からないのか!金を盗んだ次は、ヨーコが危ないんだぜ!」
「お金の次は私なの?怖いわ!」
「ヨーコはアメリカの恐ろしさを知らなさすぎる。俺のようにならないうちにヨーコは日 本に帰ったほうがいいよ」
「シュウみたいに?」
「俺はただ、日本に帰りそこなっただけだ。けど、青森に帰ったところでどうしょうもな いんだ。あの貧しい生活が待っているだけだ。俺はアメリカで生きるしかないんだ!ヨー コは、とにかく日本に帰れ!」
「そんなことできるわけないでしょう。私は絶対にミュージカルスターになるのよ!」
「それなら、早く鍵を取り替えるしかない」
「分かったわ」
私たちはチェルシー・マーケットに鍵を買いに行った。
そして、シュウが私の部屋の内側と外側のドアに二箇所、新しい鍵を取り付けてくれた。
私はシュウに新しい鍵を預けた。
そう、この日から私たちは恋に落ちた。