遥かなるオレゴンコースト11



人生には偶然の出会いによって、大きく歩む道が変わることがある。それがイーチン(易 経)との出会いから始まったものだとしたら、李紗も寛子も気の流れを感じて、運気をよ び寄せたことになった。
幸せに酔い、最高の歓びを得て人生が終わる。だれもが、願う事だ。ただ、運気は所詮、 気まぐれだ。幸せが継続することことと、運気を呼び寄せることは少し違う。
アレックスとの関係が上手く行かなくなって悩む李紗が、再び運気を呼び寄せる事がで きるか。果たして、イーチン(易経)はどうでるか?
李紗は一月の全豪を応援しにオーストラリアへ行った際、アレックスから五十位以内に 入ったらプロポーズをしたいと言われた。李紗が待ち望んだプロポーズがもうそこまでき ていた。アレックスより一年前にプロになったジェームス・ブレークやアンディー・ロデ ックは二十位以内にいる。当然、アレックスの実力から言っても夢の話ではなかった。 幸せな日々が突然、ふたりから消えてしまった。

九月のUSオープン、サンノゼ、フロリダ、そして、一月の全豪とそれなりの成績を収め たアレックスは、2003年も順調なスタートだった。しかし、三月、不幸は突然アレッ クスを襲った。
全豪の後、アレックスは膝の故障で、手術を受けた。手術は成功し、アレックスはすぐ にリハビリ、トレーニングを再開した。それは、全豪の1回戦で大物プレイヤーに勝ち大 金星をあげ、2回戦、3回戦と勝ち進めた調子を早く取り戻したかった。アレックスはいつ になく焦っていた。焦りすぎて、膝をまた傷めてしまった。
そして再度手術が必要となった。アレックスは全仏とウィンブルドンを断念せざるをえ なくなってしまった。そして、USオープンも微妙なところになってしまった。
アレックスの膝は思ったより回復が遅れて、戦列から離れたことでATPランキングが八 十位から二百位へと下がり、アスリートにとって最大のピンチにアレックスは立たされた。 李紗はどう慰めればよいのか戸惑っていた。アレックスの故障が及ぼす影響を考えると、 メールや電話で通り一遍の励ましの言葉で済ませらない深刻さがあった。
アレックスが戦列から離れれば離れるほど、ふたりのあいだがギクシャクしていった。 そして、アレックスからメールが李紗に届いた。
「李紗、僕たち、別々な道を歩こう。君は僕のとても大切な女性だ。だから僕は別れるこ とにした。心から愛している」
李紗は五ヶ月という時間の流れの中で、いつかこの日がくると予感をしていた。しかし、 別れる心の準備ができていなかった。李紗はアレックスのメールを読むなり、泣き出して しまい。そして、李紗はこんなにも彼を愛していたのかと、悲しくて、悲しくて堪らなく なった。李紗はこの気持ちをアレックスにメールした。
「アレックス、なぜ、私たちは今、別れなければならないの? 私はあなたを失いたくない。すぐに、あなたのところに行くわ。 あなたを心から愛している。     李紗 」
翌日、李紗は会社に出て、一週間休みをとることにした。ただ、週末のミーティングと水 曜日の日本出張だけは休めないので、来週の八月十日から休暇を取ることした。
「李紗、僕はUSオープンだけはどうしてもやりたい。膝はたしかに思わしくないが、ここ でプロの道を捨てる事ができない。しかし、この膝は致命傷になりかねない。この恐怖と 戦っていると弱気になる。僕は李紗に会えば、気持ちが揺らいでしまう。だから、 李紗に会うことはできない。   アレックス 」
それでも、李紗はアレックスのもとに行くことにした。メールではどうにもできない思い を伝えるためにサンノゼに来た。
夏の太陽を浴びて、スタンフォード大学は眩しいくらい白く輝いていた。西地区の大学 選手権の大会となったテニスコートはアレックスとの想い出の場所だった。
四年前にはじめて、アレックスと言葉を交わしたテニスコートが見えてきた。李紗は懐か しさに心が震えた。そして硬式ボールをバコ、バコと打ち合い音があちこちから、聞こえ てきた。
知らず知らずのうちに涙が溢れてきていた。李紗はこの激しく打ち合うエネルギュシュな 光景に忘れかけていたテニスの情熱を思い出した。そして、メールでは理解できなかった アレックスの気持ちがなんとなく解かった。
「アレックスはテニスが大好きなんだわ。私よりも・・・・」と李紗は淋しく呟いた。
膝の故障を気にしないで、テニスをしてほしい。いままでのようにトーナメントでアレッ クスの勇姿を見たい。
そして彼にテニスを続けさせたいと心からおもった。
そのための、別れなら・・・・・・。
アレックスを愛していても、今はこうするしかないと。
そして、このままアレックスに会わずにポートランドに帰ろうとした。
彼の顔を見たら、きっと崩れてしまうくらい脆い決心だということが李紗にはわかってい た。だから、すぐそこでアレックスがいるのにこの場から立ち去ろうとした。大粒の涙を 溢れさせて、李紗はポートランドに戻ってきた。
「アレックス、昨日、私はあなたに会うためにスタンフォードに行ってきました。あなた はきっと、15番コートで練習をしていたはずです。でも、私は四年前にあなたと初めて言 葉を交わした、10番コートで学生たちのプレイを見たら、このまま帰ることに気持ちが変 わりました。テニスはあなたにすべてだということに気がつきました。 私はアレックスの一番のファンよ!     李紗」
そして、ふたりは別々に道を歩むことになった。