遥かなるオレゴンコースト10![]() その日の六本木はいつになく夜風がやさしく感じられた。日比谷線の改札口で李紗は、 リチャード ギアに似たアメリカ人と寛子を待っていた。 寛子は服選びに時間をかけ過ぎて、待ち合わせ時間の六時ぎりぎりに六本木についた。 「お母さん、ボスのロバートさんです」と李紗がとびっきりの笑顔で寛子に紹介した。 「寛子さん、僕です。ロバートです」 それは、あまりに突然すぎた。そして寛子は夢ではないかと思った。 ロバート ミルフォードとは二度と会うことはないと思っていただけに寛子は、「信じられ ないわ。こんなこと!」と感動のあまりに涙声になった。そんな寛子をロバートは抱きし めた。しっかりと抱きしめられながら、寛子は「愛の奇跡」が起きたと思った。 二人の運命の糸は複雑に絡み合いなりながらも三十年の歳月をしっかりと繋いでいた。 「私のこと忘れないでいてくれたのね」と寛子はロバートに囁いた。 「もちろんだよ」とロバートは熱い眼差しを寛子にむけた。 まるで恋愛映画が見ているような感動的なシーンに李紗はうっとりとしてしまった。そん なロマンティクなシーンをぶち壊すように六本木駅は乗降客で込み合ってきた。地下鉄が 到着する度に押し寄せる人の波から逃れようと李紗は二人に声をかけた。 「美味しい鉄板焼きのステーキを食べられるお店に行きましょう」 「そうしましょう」と、ロバートと寛子は頬を赤くしながら答えた。 その店は駅から歩いて四、五分のビルの二階にあった。店にはカウンターと奥にテーブル があったが、オーナーがカウンターを奨めた。カウンターは、目の前でステーキを焼きあ がるのを見ながら食べられるので、そこに座った。 寛子の隣に座ったロバートは、十年前に妻を癌でなくしたことや一人娘のエミリーを男手 ひとつで育ててきたことを寛子に話した。寛子はロバートの話を聞きながら、二人の間に 三十年の歳月がほんとうにあったのかと疑いたくなった。それはロバートが寛子を見つめ る瞳や優しく話し掛ける口元すべてが、あのころと少しも変っていなかったからだ。 むしろロバートが素敵に歳を重ねて、より魅力的な男性になったことを寛子は誇らしく 思った。いつの間にか寛子は二十歳の寛子になっていた。そして、再び恋に落ちた。一度 は諦めた恋がこれほど激しく燃えさかるとは誰も想像ができなかった。ロバートはそんな 寛子の気持ちをしっかりと受け止めた。そして今度こそ寛子を離さないと心に誓った。 このあまりにも幸せな巡り合わせに「運気」を感じた李紗はイーチン(易経)の占を想 い出した。そして、寛子が自ら引き寄せた運気によって、大河に浮んだ舟に揺られてみる ことも幸運を掴む手段のひとつだと、流れに身を任せているように見えた。 李紗の思った通りに、翌日のデートでロバートが早々と寛子にプロポーズをした。そし て、ロバートがアメリカに帰る日まで、二人のデートは続いた。まるで三十年前の時間を 取り戻すかのように二人は四日間を過ごした。 李紗は心から二人が結婚を決めたことを祝福した。今までの李紗の苦労がむくわれたの だ。李紗は数年前から、寛子に大学教授や友達のお父さんなどを紹介したが、すべて失敗 だった。まったく寛子にその気がなかった。それが、今回は母である寛子の初恋のひとが 李紗の上司であるロバートとは、信じられないくらい素晴らしい巡り合せだ。 彼は李紗の会社の尊敬すべき上司だ。李紗が七月に入社してから会議や研修で何回か会 っていたが、二人が私的なことを話すことなど皆無に等しかった。 それが、この夏休みにNY(ニューヨーク)からポートランドまでの飛行機に李紗とロバ ートが乗り合わせる事になった。 「ハーイ、李紗」とケネディー空港の国内線出発カウンターで、ロバートは李紗に声をか けた。レイバーデーの休日を挟んだ土日、ロバートはNY(ニューヨーク)に住んでいる妹 さんのところに遊びに来た帰りだった。李紗はアメリカ人男性から声をかけられて、戸惑 ってしまっていた。それは、隣にいる人が誰なのか、思いつかなかったからだ。ロバート はサングラスを外してみせた。すると、李紗は満面な笑みを浮かべた。二人は会社での関 係を忘れて、七時間余りのフライトを隣同士で過ごした。 ロバートは娘エミリーの話を李紗に始めた。それは彼女がワシントン州立大学のアジア文 化史を専攻している学生で、この秋、日本に留学するが、何かと心配だと言う話だった。 ロバートとからホストファミリーの話が出て、李紗はエミリーのホストマザーに母の寛子 を推薦した。ロバートは李紗の母親の名前を「寛子」と聞いたとき、顔色をかえて「寛子」 と絶句した。そして、李紗はロバートから初恋のひとが「寛子」と言う名前の日本女性だ ったと聞かされた。その時、李紗は、まさか母親の寛子がロバートの初恋の女性とは思え なかった。 再会から十ヶ月後、ロバートと寛子はポートランドのローズガーデンで六月に身内だけ で結婚式を行なった。園内は薔薇が咲き乱れ、甘い香りでいっぱいに広がり、ジューンブ ライトの寛子は幸せに輝いていた。 |