遥かなるオレゴンコースト3



エナジーが蓄えられていき、ひとつまたひとつと花が咲くように李紗の運命は転換期を迎えていった。
「李紗、新しく出来た室内テニスコートの柿落としにスタンフォードのテニス部との試合があるので是非参加してもらいたい。 李紗にエキジビションマッチに出て貰いたので、早急に返事をください。日時等は下記の通りです。   ボブ」
  
久しぶりのテニス部からのメールに李紗は「気」を感じて、直ぐに参加することを書いて返信した。
もしかしたら、アレックスに逢えるかも知れない。
そう思うと、胸がきゅうにワクワクしてきて何かが起こりそうな予感がした。
中学、高校とテニス部だった李紗は、オレゴン大学でもテニスを続けた。
そうすることで大学生活に早く馴染め友達も出来たテニスに感謝するところは大きかった。
そのテニス部は残念なことに西海岸地区大会はなんとか上位にいけてもスタンフォード大のように全米大学選手権に団体優勝することはなかったが、
李紗は三年生の時に西海岸地区の大会でシングルスがベスト8になった。

この大会は、全米大学選手権でここ数年連続優勝をしているスタンフォード大学で行われた。
     初夏のスタンフォードは高貴な白が良く似合い高級感に溢れ、学生もスタンフォードに相応しい品のよさがあって、
まさに「私学の優」と言った雰囲気を漂わせていた。

李紗はオレゴンの田舎くささとスタンフォードの洗練された優雅さとのギャップを感じながら、
西海岸地区大会のコートに向かった。

広大なスタンフォードの敷地は李紗を迷子にさせ、試合の時間に間に合わなくなりそうになった。
慌てて走りながらテニスコートを探していると、爽やかな皐月の空から「テニスの皇子様」が李紗の目の前に現れた。
皇子様はスタンフォードカラーの赤のテニスシャツにプリンスのラケットを持っていた。
李紗はもう助けてくれる人が皇子様であろうと乞食であろうとこの迷路のような整然とした広い構内の中から目指すテニスコートに行く道を尋ねた。
「すみません。テニスコートはどこですか?」
皇子は笑いながら
「ここです。ほら、見えるでしょう」
「ほんとう、木立の中にコートがあるわ。ありがとう」
「ずいぶん慌てているけど、何番コートですか?」
「十五番コートです」
「十五番コート、それならもう少し先にあります。このまま進んで次の交差点を左折すると直ぐ右にあるから、試合がんばってください」
皇子はそう言いながら李紗の横にたった。

   ファースト・タイムはなんとも盛り上がりに欠けた二人だった。
李紗は悲しい事に目の前にいる青年が皇子様であることにも気づかずに慌てて走り去り、
テニスコートにギリで着いた。

試合が始まって李紗は夢中で戦った得意なフォアーハンドのダウンザラインが面白いように決まり、
試合の流れが李紗に向いていたが激しい追い上げとスタンフォードの多くの応援団に押しつぶされそうになった。
「どうしたらいいの?焦りは禁物よ。集中よ。今の私はボールに集中するしかないわ」
そう心の中で、李紗はもう一人の自分とも戦っていた。
コートチェンジから追い上げられたら、このコートチェンジから振り切らなければ空回り仕掛かったエンジンが元に戻り始めた。
雑音も耳に入らないくらい集中できた最後の五分が勝利を李紗にもたらした。

アジアの女の子が、ネイティヴアメリカンの金髪の女の子を負かしたことから、
二回戦からアジアからの留学生の応援もつき快進撃が始まった。
<そんな中、チラチラと皇子様が李紗の試合を見ていた。

そして、李紗はベスト4を決めるクゥオーターファイナルに進んだ。
コートもメインコートに移り第二シートのキャサリーン・キムと対戦することになった。
キャサリーンはコーリアンアメリカンでまるで日本人のようなキュートな女の子だった。
李紗と体形も同じくらいで、プレースタイルも良く似ているストローカーでコースをどのくらい正確に決める事ができるかが、勝敗を分けた。
シイソウゲームとなり勝負の分かれ目の第9ゲーム、キャサリーンのサービスを李紗がブレイクをして5―4とリードをした。
李紗は、サービング・マッチの第10ゲームが始まった時に今まで経験のしたことの無い極度な緊張感が体中に走った。
今まで決まっていたフォアーハンドストロークの逆クロスの強打もダンザラインも少しずつアウトになり、
上ずったプレーが続きキャサリーンに挽回されてしまった。

そしてあっという間に勝利の女神から見放されてしまった。
悔し涙でグショグショになってコートを後にした李紗に
「素晴らしかったよ。妹よりストロークの切れがあってよかったのに、次の大会期待しているから」
と優しく声をかけた青年がいた。

「ありがとうございます」
汗と涙で顔をタオルで覆いながらやっと応えた李紗は、徐(おもむろ)に顔を上げてタオルの隙間から、
その青年の顔をはっきりと見た。
その青年こそ、「テニスの皇子様」ことアレックス・キムだった。

李紗は昨年の西地区大会で初めてアレックスの試合を見て、同じアジア系ということでセミファイナル、ファイナルと応援した事を思い出した。
そんな彼が私に声をかけてくれたなんて、とても信じられない。
スタンフォード大のエースで全米学生チャンピオンとして将来はプロの道を進むことになっているアレックスが、
李紗は慌ててタオルを取り払って、立ち去ろうとするアレックスに向かって、
「明日の試合、見に行きます」
と満面の笑みを浮かべて声を上げた。

「ナイスゲームをするから」
そう李紗に言うとアレックスは爽やかに微笑みながらテニスコートへと行ってしまった。
試合の悔しさが一瞬で消えてしまうほど、李紗はハッピーになった。
翌日、アレックスの試合を見て飛行機でオレゴンに帰って以来すれ違いが続きアレックスとは逢うことができなかった。

久しぶりにラケットを出して、アレックスのことを思い出した李紗はいても経ってもいられなくなり、
テニスコートにむかった。

「李紗、久しぶり。元気にしていた?」
「ナンシー、久しぶり。私は元気、元気だよ」
李紗は一週間前まで、すべてがブルーだった事をすっかり忘れたように応えた。
こんな時に約束もなしに一番仲良しのナンシーがコートに来ていることもすべてが、
あのアレンとのイーチン(易経)が導いてくれているようで信じられない思いに心が躍った。

「ハーイ李紗、メール読んでくれた?スタンフォード大が来るから凄く盛り上がっているよ」
コーチのボブも李紗に声をかけてきて、エキジビションの事について詳しく話し始めた。
「ほんとうですか!アレックスと私がミックスダブルスをするのですか?」
李紗はもう、気持ちを押さえられないくらい興奮をしてしまった。
「李紗、もちろんシングルスは出てもらうからね」
ボブは李紗にそう言いながら、久々に会えた愛弟子に期待をかけた。