遥かなるオレゴンコースト1![]() 誰もいない海が、吹き荒れる風が、李紗を凍らせた。三ヶ月前のあれほど賑やかだった 夏のコーストがまるで嘘のように寒々とした海辺へと変わり果てた。荒涼とした海岸沿い のハイウェイを李紗は、黙って運転をしていた。 Thanks. Giving(サンクス・ギビング)を家族とともに過ごすとは言え、これほど退屈 なドライブをすることになったことを李紗は悔やんでいた。せめて、助手席に気の置けな い誰かが乗ってくれたらと思いながら一人ぼっちで李紗はハンドルを握った。 オレゴン・コーストとはアメリカ・オレゴン州の西海岸のことで、夏は避暑で賑わう風 光明媚な海岸だ。日本で言うと何処となく北海道の余市から積丹の海岸線と石狩から留萌 にかけての海岸線を直線的に繋げて、それをもっとダイナミックにした感じだ。 十一月下旬の荒々しくうねった波が打ち寄せる海岸沿いの道を、三時間以上かけてポー トランドの李紗のアパートからニューポート(セントラルコースト一の観光地)にあるロ バートの別荘に向うことになったのは、李紗の母親である寛子からの半強制的なお呼びに 従うことになったからだ。 李紗はここ一ヶ月ほど、ずっと忙しかったが、今週は久しぶりにゆっくりできそうなの で火曜日の夜、三週間ぶりにジムに行った。ジムで一時間ほどトレーニングをしてアパー トに帰ると、リーン、リーンと電話が鳴っていた。 李紗が慌てて受話器を取ると母親の寛子の声がした。 「李紗ちゃん、お仕事お疲れ様。遅くまで大変ね」 「そうなのよ。大変なのよ。ママ、元気?」 「李紗ちゃん、ママは元気よ。ところで、サンクス・ギビングはコーストのロバートの別 荘に来て欲しいのよ。家族みんなでギビングを過ごすから、必ず来てね」 「随分、急な話ね」 「悪いけど、都合つけて来てちょうだいよ」と、寛子にはめずらしく強い口調だった。 李紗は久しぶりの寛子からの電話に嬉しさがシュワットと溢れ出て来たところだったが、 寛子のこの言葉にヘナヘナと嬉しさが萎えてしまった。 「今ごろ、アレックスはフロリダの大会でテニスだし、ジョナサンはサンタバーバラの病 院だし、今年の夏休みもギビングもママに振り回されて終りね」 「何、言っているのよ。私がロバートと結婚するように仕向けた張本人が今更その態度は なによ」 「寛子ママは愛するロバートと二人でギビングを過ごせば良いじゃない」 李紗も寛子も刺々しくなっていく会話を押さえる事もなく、「売り言葉に買い言葉」を楽し むかのように素直に感情を吐き出していた。 「李紗、ママの話しを聞いてちょうだい。ギビングにはNY(ニューヨーク)から美紀ちゃ んがボーイフレンドを連れてくるし、エミリーも慎一郎さんをロバートに紹介すると言っ てきたのよ」 「いったい、どうしたの美紀もエミリーも姉の私をさしおえて二人とも結婚でもする気?」 李紗はここ数ヶ月の間、ボーイフレンドであるプロテニスプレイヤーのアレックスとうま くいっていなかった。アレックスの態度が煮え切らなくて、いらついた日々を送っていた が二週間前に運命的な出逢いをしたドクターのジョナサンから結婚を意識して付き合いた いと言われていた。 李紗の心はテラブルな状態だった。それは李紗の恋愛問題だけでなく仕事のストレスも 加味されていた。日本向け商品の売り込み戦略の責任者となったことが見えない圧力とな り精神面でかなり疲労を余儀なくさせられた。 人生とは摩訶不思議なもので、李紗の生きてきた時間をこの時にまるで集約させたよう な仕事に恋に大きなうねりが押し寄せてきて渦の中に李紗はいた。ほんの一ヶ月ほど前ま では、仕事も恋も頭打ちだった李紗が余りに早急過ぎる流れに自分自身を見失いかけても 当然のように見えた。そんな不安定な心情を李紗は母親の寛子が感づいてくれると一瞬思 えた。だが、寛子には気づく余裕さえなかった。 李紗と寛子は友達のような仲のよさでお互いに悩み事を察するテレパシーが強力に働い ている親子だった。それが寛子の再婚を機に、李紗は悩みを素直に明かせなくなってきて いた。寛子も寛子で無意識のうちに自分自身で解決しようとロバートとの悩み事を李紗に 相談しなかった。 良くある話だが親友のどちらか片方が結婚をしてしまうと、何でも話せるほど相性のい い親友もギクチャクすることがある。 まさに李紗は寛子に対して以前のように話すことが出来なくなっても仕方ないことだと ネガティブになっていた。それでも久しぶりの寛子の声を聞いて、ポンポンと本音を言い 合っているうちに心の中で燻っているアレックスとジョナサンとの事をどうしても寛子に 相談に乗って貰いたと李紗は心から思った。そして李紗は寛子にこう言った。 「行くわ。ギビングはロバートの別荘で皆と過ごすから大丈夫よ」と、李紗は軽やかな声 で答えようとしたが、ぶっきらぼうな少しばかりふてくされ気味な返事になってしまった。 それでも寛子は、「ありがとう。李紗ちゃんには本当に感謝しているわ」と、いつもと変わ りのないとても五十三歳とは思えない可愛らしい声で答えたのだった。 「いいのよ。もう・・・・」 と言いかけた李紗の元気のない声にやっと気が付いたかのよ うに寛子が、 「李紗ちゃんとは、このところ落ち着いて話もしていなかったわね。こんなに長い間、話 さなかった事って今までなかったわよね」 と、寛子は落ち着いた口調で話し出した。 李紗は胸に込み上げるものを感じて一気に喋りだそうとしたが、あえて寛子にそれを悟ら れないように堪えた。 「そうね。私もロンドンに出張で二週間ほど居なかったし、ママも日本にロバートと行っ ていたし、ほんとうに今日の電話が一ヶ月ぶりね」 「ほんとうね。日本にママがいた時のほうが国際電話で毎日のようによく喋ったわね」 李紗は目頭の熱いものが我慢できなくなり、大きく深呼吸を一つした。そして寛子に気ず かれないように話題を変えた。 「ところでどうして、サンクス・ギビングがコーストの別荘なの?」 「そうなのよね。私もロバートもギビングは二人でハワイに行きたかったのよ。でも、美 紀やエミリーが急にこの時期に私たちに話があるからって言ってきたのよ。それを聞いた ロバートが、僕たち二人が愛を誓い合ったオレゴンコーストの別荘がいいと言い出してす ぐに決まったのよ」 「そう、それで家族みんなでギビングをコーストの別荘で過ごすのね」 「それじゃ、待っているからね。その時にママも李紗ちゃんに聞いてもらいたい話がある のよ。それから李紗ちゃんの話も聞くから」 そう言って寛子はやさしく受話器を置いた。 李紗も電話が切れた音を確認しながら、受話器をそっと胸に押し当てた。最後に言った寛 子の言葉が李紗の耳に残った。 寛子が再婚を二ヶ月前に決意した時、ロバートと「死ぬまでずっと愛し続ける」ことを 心からふたりで誓い合ったと言う寛子の話を思い出した。それは牧師の言葉でなく、誓い の言葉でもなく、ただ漠然とした事でなく、寛子は健気にそして強く望んだことだ。人生 の折り返し点を過ぎた寛子が心から「真実の愛」を求めたのには寛子なりの秘めた思いが あった。それは二十五歳の李紗には、寛子がどうしてこれほどまでに「真実の愛」に拘っ たのか理解できなかったようだったが、李紗の勤めている会社のボスと寛子が結婚したこ とは李紗にとって幸せなことだった。寛子の結婚に関して言うならば、いつのころからか 李紗はただ漠然と母親の再婚相手を探すようになっていた。はっきりと行動に出たのは李 紗が大学生になってからだ。 寛子は夫の女性問題が原因で離婚をしていた。まだ李紗が三歳になったばかりで妹の美 紀は生まれてすぐだった。幾度か再婚の機会は寛子に訪れたが再婚をすることもなく二十 二年の歳月が過ぎていった。寛子は親と暮らしていたせいか経済的にもそれほど困った事 もなく、育児に専念して過ごす事が出来た。そして寛子にとってロバートとの素晴らしい出 逢いをもたらしてくれたのは娘の李紗だった。 この二人がそれぞれ願いを叶うことができたのは、運命的な出逢いがあったからだ。 それは中国三千年の歴史が物語る「易経」であった。李紗と寛子のもとに運気がもたらし て幸運を掴むことが出来たのは、「易経」を信じるか、信じないかではなくて、二人が既に コインを振る時から運気を呼び起こす集中力と人間が潜在的に持っている「気」の力で自 ら生み出した「運」を上手に使えたからだ。これは少しも特殊な事でなく、誰もがいとも 簡単にできることだ。しかし、現実はこの「運気」は目に見えないので掴むタイミングが 人によっては非常に難しいこともあると言う事だ。 |
