はじめに
ここに纏め綴りました日本の一小都の 記録写真集 は、昭和という時代の証言を、後世に伝えのこそうとするものであります。
松山という町を知らないひとにも、 忌わしき戦争を知らぬ世代のひとにも、
その真実を知っていただきたいがゆえに敗戦三十八年目のいま、敢えて刊行することといたしました。
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朝日新聞 昭和59年1月15日(関西版) 2月1日(関東版) の学芸欄より
松山の上田さん写真集を発刊
民俗学者柳田国男は、昭和五年に執筆した名著「明治大正史 世相篇」で、「最近、東京人の眼が大へんに怖くなっている」という問題をとりあげている。「こういう感じには個人の立場が働くから、よほど重ねて見ないと事実としては取扱いにくいが、それは我々にありそうに思われる変化である」として顔と世相の関係に言及している。人の顔は、時代相で変わるのだろうか。松山市越智町の映像作家上田雅一さんが、昭和二十二年の松山市内の街角で道行く人を撮ったスナップ写真600枚と、昭和初期からの世相、町の風景を集めた写真集「ひとの顔まちの顔」を出した。
昭和のはじめから写真を撮り続けた上田さんは終戦直後、町の繁華街の往来にカメラをかまえる写真屋稼業を試みた。カメラに気づかず通りすぎる老若男女をパチリと撮って売り込むのだが、あまりもうからなかつたという。紹介されている写真は、このときのもの。「ヤミ市の残るあの時代」と聞き知るだけの目からは、女は白いワンピースだったり、えりを工夫したり、男は三つぞろいだったりと、当時の人が意外とおしゃれにみえる。表情は穏やかともとれる。食糧難といわれるあの時代、女性がまるまるとした顔、体つきなのも意外。しかし、カメラの"証言"である。
上田さんのまわりでも意見は分かれた。ある人は「この表情はこの時代のもので、現在ではみられない」。上田さんは「やはり戦時下をくぐったという解放感がある」。
昔のその人の顔は、本人や身内よりもむしろ友人たちがぴたりと当てる面白い現象もみられたという。ほかに一部借りてつづった松山の風景写真など約六百コマや、地元の人たちの寄稿「私の松山」などを収めている。
(発行所=松山・不二印刷。4,500円。三百三十三ページ) |
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| 藤田嗣治監督「子供の日本」松山ロケ/166 |
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| 初公開一松山大空襲米軍報告書/196 |
| 私の大街道界隈・坂本忠士/272 |
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| 松山=女性=装・高原恭子/279 |
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| わが松山日記抄・上田雅一/282 |
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| 松山七十余年戦さのあとさき・光田稔/305 |
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| 知られざるひと/313 |
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| 戦災記・高橋丈雄/315 |
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| 松山被災回顧・宮脇輝一/320 |
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| 花扇・岡田寿満子/323 |
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| 電柱の詩・山本耕一路/332 |
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挿画・ウエ タカイチ
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