第100回 藤田嗣治の幻のフイルム「子供の日本」 20年ぶりの再会
Life of the Cildren of Japan
東京国立近代美術館フィルムセンター 所蔵
昭和58年発行 「ひとの顔 まちの顔」 発行者 上田雅一
筆者 あとがき
藤田嗣治 ふじた つぐじ ふじた つぐはる レオナール・フジタ 明治19(1886)〜昭和43(1968)
藤田嗣治 ふじた つぐはる が監督で来て松山城、中の川などで「子供の日本」(Life of the Cildren of Japan)を製作したのは昭和12年であった。
このフイルムは日本をPRするため、外務省から各国にむけて送られた。
いま、そのフイルムは国内にもない。消失したとするなら誠に惜しいことだ。(昭和58年現在)
上から : 日本の子供の生活 ; 姉と弟. 散髪する子供. 占い師. 芸者の踊り”東踊り”
ずっと以前の話ですが、NHKが「昭和回顧録」を企画、全国各地から往年の映画フィルムを掘り出し、興味深い歴史を再現放映したころ、筆者にも数回、問い合わせがあった。
九ミリ半、八ミリ、十六ミリによる過去のフィルムを共に探索して回ったり貴重なフィルム借り出しに協力もした。
その折、NHKの取材網を生かして、幻のフィルム捜しをするよう逆提案したのであった。
カメラ右 藤田嗣冶 フジタ ツグハル 氏 昭和10年ころの松山市駅前風景
昭和十年ごろ、大阪商船(現・関西汽船)が製作した観光映画は道後、松山、そして面河漠を撮影している。何処かに眠っているはずのこのフィルムがひとつ。

昭和十二年、外務省が藤田嗣治に監督を依嘱して「現代の日本」を製作した、その第一巻「子供の日本」(Life of the Cildren of Japan)は松山を舞台にして撮った。
平和な松山の町で、元気溌溂の子供たちに演技をさせたこの映画には、三、四十人.の子供が出演した。
中の川の石橋で、ドーランをぬられた草屋の女の子が、何度も可憐な演技をくり返した。
藤田嗣治は例のおかっぱに、つば広のカウ・ボーイスタイルの帽子、巴里仕込みの装いでメガホンを振っていた。
完成した映画は不評ではあったが、ここに紹介しているように海外むけのパンフレットも作成したし、プリントも各国に送られたのであった。
外務省にもプリントはない、ということであった。米、仏、英のフィルムライブラリーにも問い合わせするよう頼んだが、その後なんらの回答もなかった。
これら二つの幻の映画は、いまだに消息が知れない。(昭和58年現在)
あとがき
昭和10年といえば、70年前。
藤田嗣治撮影隊来る、と言うので駆けつけて見学。ドーラン化粧の子供、河端での演技あと。その時の出演者の一人である山口功氏とは、最近でも時々逢っています。「二幸送風機株式会社」会長さんとは70年前の昔を懐かしんでいます。
上田雅一のシネマなページ
藤田嗣治の幻のフイルム「日本の子供」
20年ぶりの再会Life of the Children of Japan
2007年8月15日NHK松山ローカル18時10分「いよかんワイド」
終戦企画 「藤田嗣治の国策映画」
リポート 桑嶋 洋平 記者
上田雅一のシネマなページ